裕福で、教養の高い家庭が崩壊していく・・・そんなドラマや映画は、今だったら話題にもならないだろう。進学校に通学するこどもが、爆弾を投げて事件を起こす時代である。連日の事件報道から、家族崩壊はどこにでもころがっている日常的な珍しくもないドラマになってしまったことを私たちは知っている。けれども1978年、この時代におけるアメリカでは、まだ家族というつながりは確かであたたかいものという神話が残っていた。
インテリア・デザイナーである母が、次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハード)が映画作家の夫、マイクと住む新居を訪ねるシーンからはじまる。上品なブルー・グレーのコートをはおる母イヴ(ジェラルディン・ペイジ)が、高価な花瓶をどこにおくべきか、自分が選んだ電気スタンドの色から細かくこだわる姿に、完璧主義者の病んだ片鱗をのぞかせる。その様子にうんざりするマイクに観ているうちに同調しながらも、ロング・アイランドの高級住宅地に住み、3人の娘がそれぞれ独立した後に残された両親が、別居していることを理解していく。
シンプルだけれど上品に、完璧だけれどどこか冷たさを感じるインテリアに、この家族を構成する個の寒々しい内面がやがて露呈してくる。
詩人として成功してはいるが、売れない作家の夫との口論の絶えない長女レナータ(ダイアン・キートン)、次女のジョーイは両親から最も才能を期待されながらも、創作活動にいきづまり、妊娠してもこどを産む自信がない。末っ子のフリン(クリスティン・グリフィス)は、女優として活躍しながらも結局はB級のテレビ映画の端役をこなしている現実。
やがて父親は、イヴとはまるでタイプの違う女性パールと再婚したいといい始める。
イヴは、ギリシャ風女神のように結い上げた髪型、上品な色合いと優雅なデザインの服装で、まさに妻としても母としてもすきのないくらい完璧である。笑顔も静かで、知性的だ。それに対してパールは、真っ赤なドレスと少々悪趣味な髪型で肉感的な女性である。映画の話題でも、周囲の難解な解釈にはついていけない。けれども陽気で、開放的なあかるさがある。そんなパールにとまどいと、受け入れ難い拒否感を娘たちは父親に訴える。それは、しかし悲劇でもない。単に、人間として彼女達があわないというだけである。そして両親が離婚して、再婚した夜に本当の悲劇がおこる。
結局、イヴにとっては実業家の夫も、美しく賢い娘たちも、室内、つまり家庭を完璧にするためのインテリアにしか過ぎなかった。彼女の思い描く世界に、美しさと創造性はあったかもしれないが、感情も本質的な愛もなかったかもしれない。結婚後30年間もの間、日々築いてきたつもりの家族が崩壊した時のイヴの絶望感、それを充分に哀しみをもって理解できてしまう。すべて順調で整然と仕上げられていたはずの部屋が、或る日突然なにもない真っ白な箱でしかなかったと気がついた時の喪失感と空虚さは、自分のこれまでの人生をすべて否定され拒絶されたことにつながる。
音楽もなく、暗い海の荒れた波を背景に進行する静謐な心理劇を描いたウッディ・アレンのこの映画を、多くの観客は暗くて退屈と感じるだろう。けれども私はこの小さな悲劇を描いた映画を、特に女性の方にすすめたい。夜の闇で、自分を見つめながら1杯のカクテルを味わうかの如く。
インテリア・デザイナーである母が、次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハード)が映画作家の夫、マイクと住む新居を訪ねるシーンからはじまる。上品なブルー・グレーのコートをはおる母イヴ(ジェラルディン・ペイジ)が、高価な花瓶をどこにおくべきか、自分が選んだ電気スタンドの色から細かくこだわる姿に、完璧主義者の病んだ片鱗をのぞかせる。その様子にうんざりするマイクに観ているうちに同調しながらも、ロング・アイランドの高級住宅地に住み、3人の娘がそれぞれ独立した後に残された両親が、別居していることを理解していく。
シンプルだけれど上品に、完璧だけれどどこか冷たさを感じるインテリアに、この家族を構成する個の寒々しい内面がやがて露呈してくる。
詩人として成功してはいるが、売れない作家の夫との口論の絶えない長女レナータ(ダイアン・キートン)、次女のジョーイは両親から最も才能を期待されながらも、創作活動にいきづまり、妊娠してもこどを産む自信がない。末っ子のフリン(クリスティン・グリフィス)は、女優として活躍しながらも結局はB級のテレビ映画の端役をこなしている現実。
やがて父親は、イヴとはまるでタイプの違う女性パールと再婚したいといい始める。
イヴは、ギリシャ風女神のように結い上げた髪型、上品な色合いと優雅なデザインの服装で、まさに妻としても母としてもすきのないくらい完璧である。笑顔も静かで、知性的だ。それに対してパールは、真っ赤なドレスと少々悪趣味な髪型で肉感的な女性である。映画の話題でも、周囲の難解な解釈にはついていけない。けれども陽気で、開放的なあかるさがある。そんなパールにとまどいと、受け入れ難い拒否感を娘たちは父親に訴える。それは、しかし悲劇でもない。単に、人間として彼女達があわないというだけである。そして両親が離婚して、再婚した夜に本当の悲劇がおこる。
結局、イヴにとっては実業家の夫も、美しく賢い娘たちも、室内、つまり家庭を完璧にするためのインテリアにしか過ぎなかった。彼女の思い描く世界に、美しさと創造性はあったかもしれないが、感情も本質的な愛もなかったかもしれない。結婚後30年間もの間、日々築いてきたつもりの家族が崩壊した時のイヴの絶望感、それを充分に哀しみをもって理解できてしまう。すべて順調で整然と仕上げられていたはずの部屋が、或る日突然なにもない真っ白な箱でしかなかったと気がついた時の喪失感と空虚さは、自分のこれまでの人生をすべて否定され拒絶されたことにつながる。
音楽もなく、暗い海の荒れた波を背景に進行する静謐な心理劇を描いたウッディ・アレンのこの映画を、多くの観客は暗くて退屈と感じるだろう。けれども私はこの小さな悲劇を描いた映画を、特に女性の方にすすめたい。夜の闇で、自分を見つめながら1杯のカクテルを味わうかの如く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/1a/828d76f4ffadfd516bb65ab85d94e54f.jpg)
>結婚後30年間もの間、日々築いてきたつもりの家族が崩壊した時のイヴの絶望感、それを充分に哀しみをもって理解できてしまう
僕が男だからでしょうか、イヴに共感する程の理解はできなかったですネ。
1980年にレッドフォードが「普通の人々」という家族崩壊の映画を作りました。家庭の主婦に厳しい目が向けられる時代でもあったんでしょうかねぇ?
コーチングの考え方を使うと、あの再婚相手の女性のキャラは、イヴにとっては自分自身そのものを否定されたようなものです。
この映画は女性の方が自分自身に重ねて感じるものは多いと思います。
>家庭の主婦に厳しい目が向けられる時代
家族って何なんでしょうね。家庭とは。。。
最も身近な題材でこんな映画をつくってしまうウッディ・アレンはやはり天才です。