宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

量子力学 その4 ~ 多世界解釈

2016年04月03日 | 精神世界を語る

 

電子というのは、原子核のまわりを回っている小さな粒。ところが、二重スリット実験の結果、「電子は波である」ということが分かった。粒なのに、波でもある。ここが、量子力学のカナメとなるポイント。

水滴が集まって川になり、海となり、寄せては返す波になる。これは分かる。でも、電子の場合は、「たくさん集まって波になる」というわけではない。ひと粒なのに、波になる。

電子は、もとはといえば小さな粒子。でも人間が観測していないときは、波動になって広がりだす。人間が観測すると、もとの粒子に戻る。観測した瞬間、パッと戻ってしまう。

これこそ、量子力学の要点。これが意味不明なのは誰にとっても同じで、ワケが分からなくても仕方ない。なんたって人類最大級のナゾなんだから、それも当然といえるだろう。これには、分かるなどということはあり得ず、慣れるしかないのである(笑)。

それはともかく、なんで、ひと粒なのに波なのか。そこが問題。

実のところ、波になるのは、無数の分身たちなのだ。電子は、電子銃から発射された途端に、無数の分身に分かれ、波になって進む。

でもって、ここがカンジンなところなんだけど、電子が通る確率が高いところには、分身が多い。電子が通る確率が低いところには、分身が少ない。

つまり、電子銃から発射された時点では、未来は決まっていない。電子がどこを通って、どこに当たるかは、これからの話。たくさんの未来が電子を待っている。未来が決まるのは、人間が観測したときか、最後にスクリーンに当たったとき。結果が出るまでは、たくさんの分身に分かれて、多くの未来が同時進行する。結果が出た瞬間に、無数の分身たちはすべて消えて、ひとつだけが残る。

もちろん、これは科学者にとっても意味不明なストーリーであることに変わりはない。それなのに、なんで皆がこれに納得しているのかというと、この考えを前提にして確率計算をすると、実験結果と計算結果がピタリと整合して、きれいに説明がついてしまうから。物理のプロにとっては、それこそが問題解決を意味する。

それにしても、この話のどこが、そんなに意味不明なのか。もちろん、「最初から最後まで」と言ってしまえばそれまでなんだけど、特に意味不明なのは、「人間が観測した途端に、無数の分身たちがすべて消えてしまう」というところだろう。

この最大の欠点を改良したのが、かの高名なる「エヴェレットの多世界解釈」と呼ばれる理論。

物理学では主流じゃないにもかかわらず、なぜか精神世界では人気抜群で、マニア同士の会話には普通に出てくるほどよく知られている。主流派よりも、「多世界解釈」のほうが遥かに認知度は高い。もはや、これは物理の専門用語というより、精神世界の用語と言っていいだろう。

電子銃から発射された電子は、どこを通って、どこに当たるか決まっていない。たくさんの未来が電子を待っている。右のスリットを通る電子、左のスリットを通る電子、その間に当たって届かない電子、横にそれてしまう電子・・・。そんな多くの未来が、無数の分身に分かれて同時進行する。

やがて、結果がひとつに定まる。

ここで、主流派(コペンハーゲン解釈と呼ばれる) の場合は、無数の分身たちが消えて、ただひとつの結果だけが残る。

ところが、多世界解釈の場合は、そのまま行ってしまうのである。つまり、たくさんの分身たちは、消えずに突き進む。そして、たくさんの違う結果になって残る・・・。

早い話が、これはパラレルワールドの理論。

電子を待っていた多くの未来は、そのまま無数のパラレルワールドに分かれて、異なる未来となっていく。「どんだけ多くの世界に分かれるんだよ」と思うけど、このように考えると、主流派の理論の最大の難点が解消される。

あとは、そんなパラレルワールドが本当にあると思えるかどうかだけ・・・ということになるだろう。

精神世界マニアに言わせれば、科学者たちはまだパラレルワールドの存在が信じられず、古い主流派の理論にシガミついているのだ・・・ということになるんだけど、実際のところ、主流派と多世界解釈の違いは、意外と大きくない。というのも、主流派の理論も十分に奇妙で、勝るとも劣らないほど変だからだ。両者の違いは、紙一重といってよい。

「粒子が、無数の可能性に分かれて重なりあった状態になる」というところまでは、どちらも同じ。違うのは、主流派では「ただ一つの結果に決まると、残りの可能性は消えてしまう」と考えるのに対し、多世界解釈では、「残りの可能性は、別のパラレルワールドに行ってしまったのだ」と考えるところ。

電子銃から発射された瞬間に、電子は多くの未来に分かれる。無数の状態が重なりあい、波動になって進む。電子は、右側にあるのか、左側にあるのか。人間が観測するまで、それは決まっていない。観測すれば、どちらかに決まる。

ここで、観測したら左側にあったとする。この場合、主流派の解釈では、「さっきまで右側にあった分身は消えて、左側が残ったのだ」と考える。多世界解釈では、「ボクは今、左側にある電子を観測している。でも、右側にあった分身は消えたのではない。別のパラレルワールドに行ってしまったのだ。そこには、右側にある電子を観測している自分がいる」という風に考える。

これで、主流派の意味不明なナゾは解消された。その代わり、パラレルワールドというさらに奇妙な、「信じるかどうかはアナタ次第です」というシロモノが登場する。

ただし、このパラレルワールドという考え方は、精神世界マニアにとっては、実にピンときやすい。だから、量子力学そのものだって、世間の一般人より精神世界マニアのほうが、ずっとナジミやすいのは確かだろう。筆者も、これまで科学者や科学評論家が書いた量子力学の本をたくさん読んできたし、講義も聞いたけど、やっぱり、「パラレルワールド」を前提にして考えると、実にシックリ来るものがある。

もはや、哲学だけでなく科学でさえも、精神世界の素養があったほうが分かりやすいという時代になっているのだ・・・(笑)。

それはともかく、少数派とはいうものの、一部の専門家は多世界解釈を支持している。ある有名な量子コンピュータの研究者は、「量子コンピュータは、いままでなら千年もかかったような膨大な計算をあっという間に処理してしまう」と語り、「なんで、そんなに速いんですか?」と聞かれて、「無数のパラレルワールドで同時に計算するから」と答えていた。

(つづく)