「2012年アセンション」が過ぎ去って久しい。早いもので、あれからもう10年近くが過ぎた。「次のターゲット」と目されていた2020年も過ぎた。今は2021年の秋分も過ぎて、冬至に向かっているところ。2021年の冬至は重要な節目になると、アチコチで言われている。
筆者は昔から「アセンション」が大好きで、この話になると、他のことがどうでも良くなってくる。発達障害人だから人生が難しいので、もっと生きやすい世界へと地球が変容することを望んでいるのではないか・・・と言われることもある。まあ確かに、そういう面もあるかもしれない。もっと順調な人生を送っていたら、また違う人生観になっていたかもしれない。こればっかりは、他の人生を送ってみないと分からないが。
でも、やっぱり、そうじゃないと思うんだよなあ。というのも、類は友を呼ぶで、学生時代の友人とか、若い頃に筆者の周囲でとくに親しかった人たちは、メンタル面になんらかの問題を抱える人が多かった。でもって、彼らに「アセンション」の話をしても(その時代にはまだアセンションという言葉が使われてなかったが、要するにそういう主旨の話をしても)、「そんなバカな」と笑い飛ばされることが多かったからだ。
メンタル・プロブレムを抱えて人生で苦労しているからといって、「地球という環境そのものの変容」を望むかっていったら、それとこれとは別問題だということを、彼らを通じてよく知っている。「地球は、いまでこそ生きるのが難しい環境だ。でも、これから大きく変わる。地球の変容は遠くない」という考えに、幼少の頃から取りつかれているのは筆者の個人的な属性であって、他の人たちはそうではなかった。
たとえば先日、昔の友人と15年ぶりに再会した。若い頃は大変な行動力の持ち主で、単身、アメリカ西海岸に渡り、そこでフリーター生活してたほどフットワークが良く元気だったが、帰国後になぜか精神を病んでしまった。もともと、メンタル面でなんらかの問題を抱えていたのだろう。だから筆者と波長が合ったのだ。久しぶりに再会して、「元気だな。年齢のわりにすごく若いな。とても自分と同じ年齢と思えない」と言われた。こちらは七転び八起きの人生を通じて発達障害をほとんど克服し、昔よりずっと元気になっている。一方、彼は精神の病気と闘う人生を通じて、さすがに老いが感じられた。でも、筆者の考えでは、そういう人もこれからの地球環境の変容により、健康を取り戻すはずなのだ。そこで「アセンション」の話をしてみたが、反応は良くなかった。「相変わらず、奇妙なことを考えているな」と一笑に付されてしまった。
そういう若い頃の友人が、他にも何人かいる。東大の学生だった友人が、大学を卒業したばかりの頃、「ボクは子どもの頃から勉強ばかりしてた。小学生のとき、中学受験予備校で成績が上から5番目だった。◯◯君が1番だった。アイツには勝てんかった」としきりに言うので、「まあ、どっちにしても昔のことだ。あんな奴に勝たんでもいい。気にするな」と筆者は励ましたが、本人はいたって真剣で、「人生は1度きりだというのに、なんとも凡庸な人生。こんな生き方してていいのか?」とますます悩みを深めていた。そこで、「いや、人生は1度きりなんかじゃない。人は何度でも生まれ変わっているんだ」という話をしたところ、彼はビックリしていた。「なにを奇妙なことを言い出すのか?」とあきれられた。彼は結局、精神を病んで早期にリタイアしてしまった。性格がマジメすぎる人ならではの辛さで、残念なことだった。筆者もマジメといえばマジメだけど、根がイイカゲンなので、こうはならない。でも、彼のような人も、今後の地球環境の変容により、元気を取り戻すはずだ。
というようなわけで、メンタルな面で問題を抱えることと、精神世界・スピリチュアルの探求に向かうこととは、筆者の経験では直接の関係がない。何も問題がない人と比べたら、探求する上でやや有利かもしれないが。でも、それとこれとは別問題。そうとしか言いようがない。
それより、地球はいよいよドン詰まりを迎えている。現状を維持するのは無理なので、変わるしかない。アセンションは避けられない。もっと、アセンションを本気で目指す人が増えないものか。筆者の関心は、なんといってもそこにある。正直なところ、自分自身の人生のことより、「地球の変容」の方がもっと気になっている(笑)
筆者は昔から「アセンション」が大好きで、この話になると、他のことがどうでも良くなってくる。発達障害人だから人生が難しいので、もっと生きやすい世界へと地球が変容することを望んでいるのではないか・・・と言われることもある。まあ確かに、そういう面もあるかもしれない。もっと順調な人生を送っていたら、また違う人生観になっていたかもしれない。こればっかりは、他の人生を送ってみないと分からないが。
でも、やっぱり、そうじゃないと思うんだよなあ。というのも、類は友を呼ぶで、学生時代の友人とか、若い頃に筆者の周囲でとくに親しかった人たちは、メンタル面になんらかの問題を抱える人が多かった。でもって、彼らに「アセンション」の話をしても(その時代にはまだアセンションという言葉が使われてなかったが、要するにそういう主旨の話をしても)、「そんなバカな」と笑い飛ばされることが多かったからだ。
メンタル・プロブレムを抱えて人生で苦労しているからといって、「地球という環境そのものの変容」を望むかっていったら、それとこれとは別問題だということを、彼らを通じてよく知っている。「地球は、いまでこそ生きるのが難しい環境だ。でも、これから大きく変わる。地球の変容は遠くない」という考えに、幼少の頃から取りつかれているのは筆者の個人的な属性であって、他の人たちはそうではなかった。
たとえば先日、昔の友人と15年ぶりに再会した。若い頃は大変な行動力の持ち主で、単身、アメリカ西海岸に渡り、そこでフリーター生活してたほどフットワークが良く元気だったが、帰国後になぜか精神を病んでしまった。もともと、メンタル面でなんらかの問題を抱えていたのだろう。だから筆者と波長が合ったのだ。久しぶりに再会して、「元気だな。年齢のわりにすごく若いな。とても自分と同じ年齢と思えない」と言われた。こちらは七転び八起きの人生を通じて発達障害をほとんど克服し、昔よりずっと元気になっている。一方、彼は精神の病気と闘う人生を通じて、さすがに老いが感じられた。でも、筆者の考えでは、そういう人もこれからの地球環境の変容により、健康を取り戻すはずなのだ。そこで「アセンション」の話をしてみたが、反応は良くなかった。「相変わらず、奇妙なことを考えているな」と一笑に付されてしまった。
そういう若い頃の友人が、他にも何人かいる。東大の学生だった友人が、大学を卒業したばかりの頃、「ボクは子どもの頃から勉強ばかりしてた。小学生のとき、中学受験予備校で成績が上から5番目だった。◯◯君が1番だった。アイツには勝てんかった」としきりに言うので、「まあ、どっちにしても昔のことだ。あんな奴に勝たんでもいい。気にするな」と筆者は励ましたが、本人はいたって真剣で、「人生は1度きりだというのに、なんとも凡庸な人生。こんな生き方してていいのか?」とますます悩みを深めていた。そこで、「いや、人生は1度きりなんかじゃない。人は何度でも生まれ変わっているんだ」という話をしたところ、彼はビックリしていた。「なにを奇妙なことを言い出すのか?」とあきれられた。彼は結局、精神を病んで早期にリタイアしてしまった。性格がマジメすぎる人ならではの辛さで、残念なことだった。筆者もマジメといえばマジメだけど、根がイイカゲンなので、こうはならない。でも、彼のような人も、今後の地球環境の変容により、元気を取り戻すはずだ。
というようなわけで、メンタルな面で問題を抱えることと、精神世界・スピリチュアルの探求に向かうこととは、筆者の経験では直接の関係がない。何も問題がない人と比べたら、探求する上でやや有利かもしれないが。でも、それとこれとは別問題。そうとしか言いようがない。
それより、地球はいよいよドン詰まりを迎えている。現状を維持するのは無理なので、変わるしかない。アセンションは避けられない。もっと、アセンションを本気で目指す人が増えないものか。筆者の関心は、なんといってもそこにある。正直なところ、自分自身の人生のことより、「地球の変容」の方がもっと気になっている(笑)