宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

クオリア

2016年02月22日 | こっくり亭日記

「クオリア」という言葉は、元・脳科学者でいまは科学評論家(?)の茂木健一郎氏のおかげで、ここ数年はすっかり有名になった。これは、たとえば「リンゴが赤く見える」というときの、「赤い」というような、脳が生み出すリアルな感覚のこと。

西洋哲学には大昔からある言葉で、例によって、最初に言い出したのは「聖アウグスティヌス」だそうな。でも、大昔の哲学者が使ってたのとは異なり、現在は「脳科学の用語」として知られている。つまり、脳の研究が進むにつれて、人間なら誰もが持つ「感覚」が脚光を浴びてきた。

 それはともかく、クオリアがなぜ問題になっているのかというと、「不思議だから」の一言に尽きる。

 たとえば、「リンゴが赤く見える」という例をとってみると、それ自体は、何の変哲もない当たり前なことに思える。ところが、「これが、何で赤く見えるんだろう?」というのを疑い始めたら、たちまち分からなくなり、疑問の泥沼にハマってしまう。

 というのも、リンゴは、光を反射している。その反射した光が、人間の目に入って、視神経を通って脳に届く。そこで、脳に「赤い」という色がパッと浮かぶ。人間の認識は、そんな風にできている。

 ここで、「赤い」という色が最初に発生するのは、どこなのか。最初に、リンゴが光を反射したときなのか。それとも、光が空気中を通ってくるときなのか。それとも、光が目に届いたときなのか。

  実のところ、そのどれでもない。なんと、「人間の脳の中」というのが正解なのである。

 たとえてみれば、テレビみたいなものだ。テレビ局から、電波が飛んでくる。テレビは、その電波をキャッチして、映像を映し出す。電波そのものには、何の色もない。それは、単なる無色透明な情報だ。それをもとに、青とか赤とか黄色とか・・・色とりどりな色彩が映し出されるのは、液晶のおかげ。同じ青い色でも、画像設定を変えることによって、微妙に色味が変わってくる。それ以前に、テレビの性能によっても変わってくる。

 人間の脳も、実際にはテレビと変わらない。それは、空気中から電波を受け取って、それをもとに、心の中で映像を映し出しているだけ。何も考えず、普通に暮らしている分には、そこに気づくことはまずない。それが、あまりにも自然なことに感じられるからだ。でも、よく考えてみると、この赤とか青その他の色は、「ボクの脳が、ボクの心の中で映し出している映像なんだな」ということが分かる。

  人間の脳の中には、「赤・青・黄色・・・」のスイッチがあって、そこに特定の波長の光が入ると、「スイッチオン」の状態になって、そこに「色が見える」という仕組みになっている。

 でも、その「特定の波長の光」というのが問題だ。そこには単に、「波長が長いか、短いか」という違いがあるだけ。光には、もともと色なんか無いのである。色とりどりな色彩感は、人間の脳の中で起きる、脳内現象でしかない。

 これは、人間が生きるために必要な機能なのだ。というのも、木にミカンがなっているとする。このミカンが反射した光を受け取って、人間は「青い」と認識する。経験的に、「青い」ミカンは、食べると酸っぱい。人間は、「まだ食べるには早いみたいだな?」と判断する。やがて、ミカンが反射する光は、「黄色」に変わってくる。それは、やっと、人間にとって甘くておいしいミカンになったということを意味している。

 この「酸っぱい」とか「甘い」というのが、これまた、人間の脳内現象。クエン酸も、果糖も、それ自体には味がない。あくまでも、人間の舌を通って脳に到達したとき、「酸っぱい」とか「甘い」という、脳の中のスイッチが押されて、そこで感覚が生じる。

  高い音や、低い音も、人間の脳の中で鳴っているだけ。たとえば、救急車がサイレンを鳴らしたとしても、人間の耳に入るまでは、それは単なる空気振動でしかない。人間の耳が空気振動をキャッチして、それを脳に伝えたとき初めて、脳の中に「ピーポーピーポー」という音が鳴り始める。それまでは、何の音でもない。

 いずれにしても、感覚が発生するのは、脳の中。これは、視覚だろうと聴覚だろうと、触覚だろうと、全部一緒。そこは変わらない。

 リンゴが赤く見えるのは、人間の脳の中の問題だってことは分かった。では、「リンゴは、本当はどういう色をしてるのでしょうか?」という疑問が、ここで生じる。

  本当は、リンゴは別に赤くなんかなくて、人間に赤く見えるだけなのかもしれない。本当のリンゴが、青だろうが白黒だろうが、人間にとって「赤く見える」ことに変わりはない。

 本当は、リンゴには色はないのかもしれない。人間が、脳の中で「赤い」という色づけをしているだけという可能性は高い。いずれにしても、本当のリンゴがどういうものなのか、人間には決して知ることができないのである。

  思うに、この物質世界というのは、おそらく、本当は無色透明なのではないか。それも「透き通るような純白」とかじゃなくて、なんとも味気ない、セピア色のくすんだ世界というのが、この物質世界の真実の姿なんだろう。それを人間が、脳の中で色とりどりに着色して、カラフルで華やかな世界にしている。なんとも、不思議なことだ・・・。

  (つづく)