☆ いつも心がスキップしている
年齢的にはもう立派?な老人のわたしだが、自分ではまったくそんな意識
がない。ホンネではできるだけ年齢を知られたくない、と言うことは、きっと
内心では自分の年齢を十分意識し、認めているからかもしれない。
ときどき自分の歳を忘れて、あるいはまったく考えないで行動するが、それ
はあまりにもしばしばある。まだ娘が大学生だった頃「ママを見ていると
高校生と言うより、まるで中学生よね。」と、呆れたように言われたことが
あった。またインドのヨーガのお師匠様は、わたしの言動を見て、「ユアー
エイジレス・ベービー」と、笑いながらおっしゃったこともあった。
もともと天心欄慢で、無邪気な性格のためか、思慮分別がなく衝動的で
その頃からまったく成長していない。
また、ごく親しい人に限られるが、最も感受性が強かった「15歳の幼い
わたし」が、今でもときどきダイレクトに顔を出す。
50代になったばかりの頃、親しかった精神科医に「心が歳とる薬はないの?」と、
真剣に聞いたら大笑いされた。「でもたとえもしあったとしてもあなたには
絶対飲ませたくないね」と言われたこともあったが、今でも実年齢と精神年齢
とのギャップに、戸惑うことはあまりにも多い。
丁度一年前には、最大の目標だった「世界心理治療学会」でのプレゼンが
実現できたばかりなのに……またまた、次なる夢を見ているのは、どういう
ことだろう?これはわたしの個性だと感じているが、保守的な同世代の人達
から見ると、もしかしたら「何を今さら」と、思われるだろうが、心の中から
込み上げてくる情動が、わたしを駆り立てるのだから仕方がない。
誰にも迷惑をかけるわけではないし、他人に何と思われたって、わたしは
ヘッチャラだ。たとえ目標が実現できなくても、その「燃えているプロセスが
大好き」なのだから、どうしてもふつうの「老人」になれきれない。
ところが昨日は気分は悪くないのに、体調がよくなくて起きられなかった
のは、(やっぱり、これって歳なんだ)と、考えさせられてしまった。
年齢的にはもう立派?な老人のわたしだが、自分ではまったくそんな意識
がない。ホンネではできるだけ年齢を知られたくない、と言うことは、きっと
内心では自分の年齢を十分意識し、認めているからかもしれない。
ときどき自分の歳を忘れて、あるいはまったく考えないで行動するが、それ
はあまりにもしばしばある。まだ娘が大学生だった頃「ママを見ていると
高校生と言うより、まるで中学生よね。」と、呆れたように言われたことが
あった。またインドのヨーガのお師匠様は、わたしの言動を見て、「ユアー
エイジレス・ベービー」と、笑いながらおっしゃったこともあった。
もともと天心欄慢で、無邪気な性格のためか、思慮分別がなく衝動的で
その頃からまったく成長していない。
また、ごく親しい人に限られるが、最も感受性が強かった「15歳の幼い
わたし」が、今でもときどきダイレクトに顔を出す。
50代になったばかりの頃、親しかった精神科医に「心が歳とる薬はないの?」と、
真剣に聞いたら大笑いされた。「でもたとえもしあったとしてもあなたには
絶対飲ませたくないね」と言われたこともあったが、今でも実年齢と精神年齢
とのギャップに、戸惑うことはあまりにも多い。
丁度一年前には、最大の目標だった「世界心理治療学会」でのプレゼンが
実現できたばかりなのに……またまた、次なる夢を見ているのは、どういう
ことだろう?これはわたしの個性だと感じているが、保守的な同世代の人達
から見ると、もしかしたら「何を今さら」と、思われるだろうが、心の中から
込み上げてくる情動が、わたしを駆り立てるのだから仕方がない。
誰にも迷惑をかけるわけではないし、他人に何と思われたって、わたしは
ヘッチャラだ。たとえ目標が実現できなくても、その「燃えているプロセスが
大好き」なのだから、どうしてもふつうの「老人」になれきれない。
ところが昨日は気分は悪くないのに、体調がよくなくて起きられなかった
のは、(やっぱり、これって歳なんだ)と、考えさせられてしまった。
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