ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

歓喜と感動との違い

2012年07月25日 | えっせー
 今本を書いていて「感動ある人生を」を書きながら、長年生きていて
今更ながら「ハット」気がついた。感動とはどちらかというと、受動的な
ものだということを……人それぞれ価値観の差があるかも知れな
いが、「歓喜」は自分の魂そのものに、ダイレクトに感じるものだと思う。
 感覚的なわたしは、人一倍感じることが多いが、でも過去に沢山あった
感動的な「サクセス体験」の中で、「歓喜」は滅多にないことに気が付いた。
 それを数字に当てはめると、明確ではないが、多分十分の二位かも知れない。
その三つが何と外国だった。


 インドリシケシの「ヨーガニケタンアシュラム」での瞑想体験、体が震える
ような喜びは、感動をはるかに超えた歓喜だった。
 また二〇〇八年北京で開催された「第五回世界心理治療学会」で、学会のミスで
わたしの発表が最終日になった。そのため同行したS大教授と、通訳してくれるはず
だった友人の大学教授が帰国し、一人で心細く生まれて初めて海外に延泊した。
 次の日にロシア、ドイツ、ウクライナ、などの白人の中で、質問にはあまり答えら
れなかったが、英語で滞りなく「プレゼンテーション」が終わった。
 通いなれた会場からホテルまでは約5・6分かかるが、歩道橋の上を踊りたくなるような
達成感で歩いたのは、まさしく感動ではなく歓喜だった。
 あの「歓喜」は、わたしの体の中の「全細胞へのエネルギーのチャージ」
そのもので、それらの思い出は、わたしが今まだ燃えて生きているための
起爆剤かもしれない。そんな経験を持つわたしは、やっぱり恵まれた幸せな
人生なのだろう。




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