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日本共産党兵庫県委員会で働いています。

戦後75年 日本の香港占領① 侵攻で略奪や強姦頻発

2020-08-17 08:11:20 | 国際政治
戦後75年 日本の香港占領① 侵攻で略奪や強姦頻発
アジア侵略、太平洋戦争に突き進んだ日本は、1941年12月から45年8月までの3年8カ月の間、香港を占領しました。第2次世界大戦終結75年を機に、香港や東アジアでの日本の侵略について研究しているジャーナリストの和仁廉夫(わに・ゆきお)さんと当時を振り返ります。(小林拓也)



旧日本軍は41年12月8日の太平洋戦争開始と同時に、英国の植民地だった香港への侵攻を開始。九龍半島北部の新界地区から攻め込みました。18日後の12月25日に英軍が降伏。この日は「ブラッククリスマス」として歴史に刻まれています。
和仁さんは「当時、中国の重慶を拠点にして日本軍とたたかっていた蒋介石に対し、香港を経由して英国などから大量の物資が渡っていた。そのため、日本軍は早く占領しておきたかった」と背景を解説します。


■香港関連年表
1842年アヘン戦争後の南京条約で、清国が香港島を英国に割譲
1860年アロー戦争後の北京条約で、香港島対岸の九龍半島南端を英国に割譲
1898年香港境界拡張条約で、新界地区・周辺諸島を英国が99年間租借
1931年9月柳条湖事件
1937年7月盧溝橋事件
1941年12月太平洋戦争勃発、日本が香港を占領
1945年8月日本が敗戦、香港が再び英国統治下に
1984年12月中英共同声明調印
1997年7月香港が中国に返還


銃剣で脅し
日本軍の侵攻時、香港住民は略奪や強姦(乙うかん)などの悲劇に見舞われました。和仁さんが聞き取った生存者の証言によると、当時6歳だった曾徳防(そう・とくぼう)さんは新界地区沙田の大水坑村に家族と暮らしていたところに、日本軍が攻め込んできました。3人の銃剣を持った日本軍が家に押し入り、当時28歳だった母親を連れて行きました。3日後、海岸で母親の死体が発見されました。強姦された跡があったといいます。「母は色も白く美しかった。当時妊娠していたから、日本軍は2人の命を奪ったことになる」と曾さんは声を震わせて語ったといいます。
香港陥落後、12月28日に凱旋(がいせん)行進が行われ、兵士らに3日間の休暇が与えられました。この際、日本兵が民家に押し入って金目の物を盗んだり、若い女性を強姦したりしたという香港住民による証言が多くあります。
香港島の養和医院の院長だった李樹芽(り・しゅふん)氏は回顧録『香港外科医生』の中で、この当時、夜になると、医院周辺から助けを求める声が響いたと書いています。養和医院にも女性看護師を強姦するため、数人の銃を持った日本兵が押し入りました。李院長はすぐに看護師を奥に避難させました。日本兵は看護師を見つけられないと帰っていきました。



<span style="color:black;">香港島・湾仔のヘネシーロードを行進する日本軍=1941年12月28日(『香港日佔時期』<三聯書店有限公司>から)

院長の証言
周辺の病院では、看護師が日本兵に強姦されたという話を聞いたと李院長は本の中で紹介しています。
また、李院長は、香港陥落から9カ月が過ぎた42年9、10月は出産数が異常な多さだったと回顧しています。多くが日本兵らの強姦によるものだと断言しています。
これが3年8カ月に及ぶ香港の人々の過酷な生活の始まりでした。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年8月14日付掲載


中国の支配の要のひとつとしての香港。日本と英国がせめぎあう。
香港を占領した日本軍による強姦行為は目に余るものがあったのですね。

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