大震災2年 被災地に心を寄せて① まちづくり~切り開いた住民参加
歴史的な大災害となった東日本大震災(2011年3月11日)から2年を迎えようとしています。いまだ厳しい状況に置かれたままの被災地に心を寄せた復興策が進められているのか。被災者の実情と生活再建への課題を検証します。
宮城・石巻市
最大の被害を受けた宮城県石巻市の復興まちづくりは、この1年間で大きな変化がありました。被災者自身がまちづくりを話し合う姿が少しずつ見られるようになってきたのです。
津波で多くの家屋が流失した同市緑町と松並町。市内各地の仮設住宅などに散り散りになっていた住民らが2月下旬の夜、市内のコミュニティーセンターに集まりました。
要望を地図に
「ガードレールに色をつけて、避難を誘導したらどうか」
「津波の被害を受けやすい平屋の住民に声をかけ、いざというときは助け合おう」
机の上に広げた町の地図に、住民らが身を乗り出して議論します。
主催したのは、二つの町の住民らでつくる、「松並・緑町復興まちづくり住民協議会」です。市の担当者も出席し、住民の声を震災後のまちづくりに生かす試みが始まりました。
出し合った要望やアイデアを小さな紙に書き留めて、次つぎと地図に貼り付けていきます。議論を終えるころ、地図は要望を書いた紙でいっぱいに。
住民協議会の大内岩雄会長(77)は、「町から山に向かって逃げるには国道を横切る。大震災の当日は道を渡ろうとして事故がたくさん起きた」と、避難経路に歩道橋を整備するように訴えました。
二つの町は、津波で流失した家と、残った家が混在する地域。空き地になった場所に住民が安心して戻ってこられる環境づくりが、復興のカギになりそうです。
身を乗り出して、まちづくりを語る緑町の住民ら=宮城県石巻市の鹿妻南コミュニティーハウス
願いが見えた
「ようやく、みんなの願いや思いが見えてきた」と語るのは、会の立ち上げから参加する緑町の高橋真理子さん(56)です。
自身も仮設住宅で暮らすなか、今年1月に正式に会が発足するまで半年がかりで10回を超える準備会を重ねてきました。
「住民が集まらず、市も乗り気でない状況が続き、何度もやめようと思った。
まだ要望の実現までは厳しい道のりだけど、住民の話し合いが芽生えてよかった」
◇
住民の努力が続く一方、国の復興事業は多くの問題点をかかえています。移転先の地価が行政の買い上げる被災宅地より高い▽住宅ローンなどが設定された宅地は買い上げない▽かさ上げが制限されているーなど多岐にわたります。(表参照)
住民が問題視する国の復興事業
※県や市の独自補助をのぞく
国の姿勢変えなければ
対話すすめる住民、届かぬ予算
住民参加の復興まちづくりは始まったばかり。課題も山積しています。
宮城県石巻市の新田理恵さん(42)が自宅の再建を目指す下釜第二町内会では、市が復興の手法として示していた区画整理事業が、住民の知らないうちに破綻しました。
「何の話もなく」
新田さんは、「いつ連絡が来るかなと待っていたのに、何の話もないまま計画が無くなった」と訴えます。
低酸素脳症で重度の障害がある長女、綾女さん(14)を、仮設住宅で介助する新田さん。障害者やその家族の意見を生かしてほしいと、まちづくりへの参加を望んでいました。
ところが震災後、一度も町内会の集まりは開かれていません。
町内会副会長の横山毅さん(71)は、「町内会の力の差によって、復興に違いが出ている」と悔やみます。
被災で下釜第二町内会は活動を停止。市は区画整理に必要な住民合意を得ようと一部の町内会役員に申し入れましたが、話し合いが進まず「合意が不成立」としました。
市内では、被災で担い手を失うなど、活動できない町内会が少なくありません。横山さんも、町内会に熱心だった妻を亡くしました
町内会や地域の力の再生が求められるとともに、町内会だけを窓口にするやり方では復興がすすまない地域が生まれています。
横山さんは「今からでも遅くない」と、新田さんたちとまちづくりの議論を始めようと考えています。
「復興事業も住民の議論の場もない、手当てされていない地域がある」と、さらなる問題を指摘するのは、東北大学の姥浦(うばうら)道生准教授です。
懸念するのは、国が復興の基幹事業とする防災集団移転や区画整理から外れた地域のまちづくり。
事業から外れた地域は、石巻市では津波で浸水した地域のおよそ半分を占めます。「土木事業はなくても、今後のまちづくりを考えなければ」と姥浦准教授はいいます。
しかし、これまで市が住民参加のまちづくりを始めたのは、復興事業のために住民合意を必要とする地域に限られてきました。
松並町や緑町のように、土木事業から外れながらもまちづくりの議論を始めた例はまれです。
そもそも市は震災前まで住民と一緒にまちづくりをした経験がありません。そのうえ震災後は深刻な人手不足に追い詰められ、住民の声は後回しになってきたのが実情です
住民が知らないうちに区画整理が破綻した下釜第二町内会の地域=宮城県石巻市
「石巻住まい連」
こうした状況を乗り越えて、松並町や緑町の住民らが市と議論を始めることができたのは、被災者による「石巻住まいと復興を考える会連絡協議会」(石巻住まい連)の運動があったからです。
住民が自主的に集まってまちづくりを考えるこの運動は当初、日本共産党宮城県東部地区委員会が仮設住宅や被災地域ごとに呼びかけた小集会としてスタートしました。
その後、昨年10月に石巻住まい連が発足し、現在は「松並・緑町復興まちづくり住民協議会」や「公営住宅を大橋地区に望む会」など10団体が加盟。さまざまな政治的立場の人が参加する住民組織に発展しています。
石巻住まい連の佐立昭代表は、「市の担当者にも、住民の声を聞く姿勢が見えてきた。1年前には考えられなかった変化だ」と語ります。
他方、スタートした市と住民の議論ではしばしば、壁に直面する事態も起きています。
国の復興事業が使いにくく、住民の負担が多いなど、住民の願いにこたえていないのです。(表を参照)
住民が対話を重ねて要望をまとめても、市の回答は、「事業の対象外」「現状では難しい」というものばかり。
市の担当者も、「国のメニューが狭く、住民の要望を実現しようにもまかないきれない」ともらします。
事業の具体化にこぎつけた地域でも、「国の審査で事業がどんどん小さくなる」(市内の町内会役員)。
要望を市に訴える仮設住宅の被災者=宮城県石巻市の仮設大橋団地集会所
意欲奪わないで
住民本位のまちづくりを掲げる新建築家・技術者集団の鎌田一夫全国常任幹事は、復興事業の現状を、▽事業の網から外れた地域は住民の議論の場がなく、避難路の整備などの費用も得にくい▽事業の対象地域では、行政が住民の声を事業の要件に合うかという点だけで硬直的に判断する傾向があるーと見ます。
石巻住まい連の佐立代表は、「行政に何を言ってもゼロ回答なら、絶望してしまう。住民の話し合いを進めてきたが、行き着くところ、自分たちの願いがかなうには、国や県の姿勢を変えなければならない」と話します。
総額25兆円にのぼる空前の復興予算―。その行き先は震災から2年がたっても、いまだ被災地からは見えません。まちづくりへの意欲を消さないために、予算を被災者の手に届けることが喫緊の課題です。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年3月3日付掲載
震災復興などの時のまちづくりは住民の声をよく反映させていくことが大事ですね。石巻市の場合は、阪神淡路大震災の時の神戸市とは違って、少しは聞く耳をもっているようです。
でも、国の支援事業をやるにしても、メニューに制限があったり、期限が限られていたり、するのですね。
国はもっと本気で支援策を出してほしいものです。
歴史的な大災害となった東日本大震災(2011年3月11日)から2年を迎えようとしています。いまだ厳しい状況に置かれたままの被災地に心を寄せた復興策が進められているのか。被災者の実情と生活再建への課題を検証します。
宮城・石巻市
最大の被害を受けた宮城県石巻市の復興まちづくりは、この1年間で大きな変化がありました。被災者自身がまちづくりを話し合う姿が少しずつ見られるようになってきたのです。
津波で多くの家屋が流失した同市緑町と松並町。市内各地の仮設住宅などに散り散りになっていた住民らが2月下旬の夜、市内のコミュニティーセンターに集まりました。
要望を地図に
「ガードレールに色をつけて、避難を誘導したらどうか」
「津波の被害を受けやすい平屋の住民に声をかけ、いざというときは助け合おう」
机の上に広げた町の地図に、住民らが身を乗り出して議論します。
主催したのは、二つの町の住民らでつくる、「松並・緑町復興まちづくり住民協議会」です。市の担当者も出席し、住民の声を震災後のまちづくりに生かす試みが始まりました。
出し合った要望やアイデアを小さな紙に書き留めて、次つぎと地図に貼り付けていきます。議論を終えるころ、地図は要望を書いた紙でいっぱいに。
住民協議会の大内岩雄会長(77)は、「町から山に向かって逃げるには国道を横切る。大震災の当日は道を渡ろうとして事故がたくさん起きた」と、避難経路に歩道橋を整備するように訴えました。
二つの町は、津波で流失した家と、残った家が混在する地域。空き地になった場所に住民が安心して戻ってこられる環境づくりが、復興のカギになりそうです。
身を乗り出して、まちづくりを語る緑町の住民ら=宮城県石巻市の鹿妻南コミュニティーハウス
願いが見えた
「ようやく、みんなの願いや思いが見えてきた」と語るのは、会の立ち上げから参加する緑町の高橋真理子さん(56)です。
自身も仮設住宅で暮らすなか、今年1月に正式に会が発足するまで半年がかりで10回を超える準備会を重ねてきました。
「住民が集まらず、市も乗り気でない状況が続き、何度もやめようと思った。
まだ要望の実現までは厳しい道のりだけど、住民の話し合いが芽生えてよかった」
◇
住民の努力が続く一方、国の復興事業は多くの問題点をかかえています。移転先の地価が行政の買い上げる被災宅地より高い▽住宅ローンなどが設定された宅地は買い上げない▽かさ上げが制限されているーなど多岐にわたります。(表参照)
住民が問題視する国の復興事業
復興事業を行う地域 | 防災集団移転 | ・移転先の地価が、行政の買い上げる被災宅地より高額 ・住宅ローンなど抵当権が設定された宅地は買い上げない ・経済支援が、住宅ローンを組む人への利子補給にとどまる |
区画整理 | ・防災集団移転と異なり、住宅ローンの利子補給がない ・宅地の面積が減ったり、追加の費用負担を求められる ・被災前に区画整理していた地域は対象にならない ・家を直して住み続ける人が多い地域は合意形成が困難 ・かさ上げが制限されている | |
復興事業の対象外になった地域 | ・まちづくりの議論がない ・避難路の整備など、まちづくりの事業費を得にくい ・利子補給や引っ越し費用の補助といった支援がない | |
復興公営住宅 | ・家賃が高い ・土地の確保が進まず集合住宅が多く、木造戸建てが少ない ・維持や管理の自治体負担が大きい ・抽選など、入居方式によっては仮設住宅などで生まれたコミュニティーが壊れる |
国の姿勢変えなければ
対話すすめる住民、届かぬ予算
住民参加の復興まちづくりは始まったばかり。課題も山積しています。
宮城県石巻市の新田理恵さん(42)が自宅の再建を目指す下釜第二町内会では、市が復興の手法として示していた区画整理事業が、住民の知らないうちに破綻しました。
「何の話もなく」
新田さんは、「いつ連絡が来るかなと待っていたのに、何の話もないまま計画が無くなった」と訴えます。
低酸素脳症で重度の障害がある長女、綾女さん(14)を、仮設住宅で介助する新田さん。障害者やその家族の意見を生かしてほしいと、まちづくりへの参加を望んでいました。
ところが震災後、一度も町内会の集まりは開かれていません。
町内会副会長の横山毅さん(71)は、「町内会の力の差によって、復興に違いが出ている」と悔やみます。
被災で下釜第二町内会は活動を停止。市は区画整理に必要な住民合意を得ようと一部の町内会役員に申し入れましたが、話し合いが進まず「合意が不成立」としました。
市内では、被災で担い手を失うなど、活動できない町内会が少なくありません。横山さんも、町内会に熱心だった妻を亡くしました
町内会や地域の力の再生が求められるとともに、町内会だけを窓口にするやり方では復興がすすまない地域が生まれています。
横山さんは「今からでも遅くない」と、新田さんたちとまちづくりの議論を始めようと考えています。
「復興事業も住民の議論の場もない、手当てされていない地域がある」と、さらなる問題を指摘するのは、東北大学の姥浦(うばうら)道生准教授です。
懸念するのは、国が復興の基幹事業とする防災集団移転や区画整理から外れた地域のまちづくり。
事業から外れた地域は、石巻市では津波で浸水した地域のおよそ半分を占めます。「土木事業はなくても、今後のまちづくりを考えなければ」と姥浦准教授はいいます。
しかし、これまで市が住民参加のまちづくりを始めたのは、復興事業のために住民合意を必要とする地域に限られてきました。
松並町や緑町のように、土木事業から外れながらもまちづくりの議論を始めた例はまれです。
そもそも市は震災前まで住民と一緒にまちづくりをした経験がありません。そのうえ震災後は深刻な人手不足に追い詰められ、住民の声は後回しになってきたのが実情です
住民が知らないうちに区画整理が破綻した下釜第二町内会の地域=宮城県石巻市
「石巻住まい連」
こうした状況を乗り越えて、松並町や緑町の住民らが市と議論を始めることができたのは、被災者による「石巻住まいと復興を考える会連絡協議会」(石巻住まい連)の運動があったからです。
住民が自主的に集まってまちづくりを考えるこの運動は当初、日本共産党宮城県東部地区委員会が仮設住宅や被災地域ごとに呼びかけた小集会としてスタートしました。
その後、昨年10月に石巻住まい連が発足し、現在は「松並・緑町復興まちづくり住民協議会」や「公営住宅を大橋地区に望む会」など10団体が加盟。さまざまな政治的立場の人が参加する住民組織に発展しています。
石巻住まい連の佐立昭代表は、「市の担当者にも、住民の声を聞く姿勢が見えてきた。1年前には考えられなかった変化だ」と語ります。
他方、スタートした市と住民の議論ではしばしば、壁に直面する事態も起きています。
国の復興事業が使いにくく、住民の負担が多いなど、住民の願いにこたえていないのです。(表を参照)
住民が対話を重ねて要望をまとめても、市の回答は、「事業の対象外」「現状では難しい」というものばかり。
市の担当者も、「国のメニューが狭く、住民の要望を実現しようにもまかないきれない」ともらします。
事業の具体化にこぎつけた地域でも、「国の審査で事業がどんどん小さくなる」(市内の町内会役員)。
要望を市に訴える仮設住宅の被災者=宮城県石巻市の仮設大橋団地集会所
意欲奪わないで
住民本位のまちづくりを掲げる新建築家・技術者集団の鎌田一夫全国常任幹事は、復興事業の現状を、▽事業の網から外れた地域は住民の議論の場がなく、避難路の整備などの費用も得にくい▽事業の対象地域では、行政が住民の声を事業の要件に合うかという点だけで硬直的に判断する傾向があるーと見ます。
石巻住まい連の佐立代表は、「行政に何を言ってもゼロ回答なら、絶望してしまう。住民の話し合いを進めてきたが、行き着くところ、自分たちの願いがかなうには、国や県の姿勢を変えなければならない」と話します。
総額25兆円にのぼる空前の復興予算―。その行き先は震災から2年がたっても、いまだ被災地からは見えません。まちづくりへの意欲を消さないために、予算を被災者の手に届けることが喫緊の課題です。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年3月3日付掲載
震災復興などの時のまちづくりは住民の声をよく反映させていくことが大事ですね。石巻市の場合は、阪神淡路大震災の時の神戸市とは違って、少しは聞く耳をもっているようです。
でも、国の支援事業をやるにしても、メニューに制限があったり、期限が限られていたり、するのですね。
国はもっと本気で支援策を出してほしいものです。
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