きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

職住一体の町家の登場 上ノ町に西陣織産地が・・・

2010-02-17 21:23:08 | 赤旗記事特集
魅力いっぱい 西陣の京町家②
職住一体の町家の登場
上ノ町に西陣織産地が・・・


応仁の乱(1467年~77年)で焦土と化した京の都は、洛陽地域(今の千本通から東側)の街区の上に新しい町が建設されます。

◇上京・下京の由来は?
 地図をごらんください。一条大路あたりから北の、寺之内通までの領域が上(かみ)ノ町です。三条大路から南の地域で、五条大路あたりまでが下(しも)ノ町です。
 上と下の町を、鳥丸(からすま)通の西側にある室町通が街道の役割をもって結びます。中ノ町にあたるこの地域は、聚楽(じゅらく)ゴボウなどの栽培地でした。
 上ノ町には権力者、権威者、優れた匠が住みました。下ノ町は主に商人が住む地域となり、平安の世からの住まい分けが続くこととなります。
 農業生産性の向上と相まって商業が芽生え、町家の原型が誕生します。店を構えた住居を建て、商いを営めるのは、平和の到来があってのことです。それまでは道端に立っての商い(立売り)だったのです。下立売(しもだちうり)、中立売、上立売という通り名の語源となっています。
 商人、匠が長者となり、敷地奥に蔵を建てるのは、江戸時代の元禄後期ごろです。道路に面して店を構えた職住一体型の庶民の住居、今日私たちが目にする町家の登場です。


◇権力者も匠も
 今の上京区の元になった上ノ町は、平安の世から権力者、権威者、優れた匠など、人生観のまったく違った人たちが長年同居していた唯一の地域で、特異な政治的・文化的性格を今もなお備えています。
 上京区には、京都府庁や府警本部、御所があります。東山の大文字は御所や椙国寺に正面を向けています。院でいえば、金閣寺や銀閣寺の上位にある相国寺をはじめ228力寺が営まれています。旧洛陽地域にあたる上京・中京・下京区内529力寺の4割以上です。寺社自身が国宝や重要文化財だったり、その地が『源氏物語』の舞台だったり、『方丈記』や『徒然草』に描かれた都の様子の現場だったりします。
 何よりこの地は、京都で最大規模の地場産業である西陣織の産地です。今出川通と大宮通(大宮大路)が交差するあたりは、一日に千両もの商いがされたことから千両が辻と呼ばれ、今日も西陣・織産地の中核をなしています。優れた匠が、織物以外にも一級の美術工芸品を作り出しています。




「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年2月12日付に掲載。

 現在の京町家が形成されるようになったのは、江戸時代に入り内乱の起こらない平和な時代になって、商業が発展しだした元禄のころからなのですね。やっぱり、平和が一番!
 一昨年に京都に紅葉の写真を撮りに行った時、下立売、中立売、上立売などのバス停の名前が珍しくて興味を持ちましたが、戦乱の中で店を構えて商売ができなくて、立ち売りの商いをやっていたことから来たものなのですね。
コメント
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