仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

あの頃:『トキワ荘の青春』を観て想い出す

2007-08-30 05:37:52 | テレビの龍韜
夏休み2本目の原稿にとりかかっている。12000~16000字だから大したことはないのだが、これまでちゃんと取り組んだことのなかった史料に関する内容なので(どちらかというと、ぼくよりも妻に来るべき仕事なのだ。依頼を貰ったとき、編者に確認のメールをしてしまった)、助走に時間がかかる。基本的な下調べが終わり、ようやく執筆を始めたところである。来週の月曜には投稿できるようにしておきたい。

ところで今日未明、ケーブルの日本映画専門チャンネルで、市川準監督『トキワ荘の青春』(1996年)を放映していたので録画をしておいた。昔、レンタルビデオで借りてダビングしたビデオもあったはずだが、DVDで残しておきたかったのだ。確か単館ロードショーだった公開当時、テアトル新宿まで、独りで観にいったのを覚えている。あれは幸せな時間だった。
タイトルからも分かるように、この作品は、日本漫画界においては聖地ともいえる伝説の安アパート、トキワ荘を舞台にした青春群像劇である。住人であった手塚治虫の手によって様々な名作が生み出され、彼を追うようにして、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫らの巨大な才能が集まった。しかし、創作にかける情熱と真摯さでは誰にもひけをとらないのに、その舞台を降りてゆかざるをえなかった若者たちもいた。藤子らの兄貴分であり、トキワ荘を描いた作品には必ず登場する新漫画党党首・寺田ヒロオもそのひとりだろう。映画はこの寺田を主人公に、日本漫画の青春時代、その情熱と希望、不安、狂気、挫折を淡々と、青春モノにあるまじき静謐さで描いてゆく。文学でも漫画でも映画でも音楽でも、いちど創作という仕事を志した人間には分かる何かが、そのフィルムにははっきりと刻印されている。ぼくのなかでは間違いなく、市川準の最高傑作に位置づけられている作品である。
主人公の寺田ヒロオを演じるのは本木雅弘。いつもはケレン味のある役柄が多い彼だが、この作品では、自らの目指す創作のありようと時代の求める娯楽との間で苦悩する若者を、極めて誠実に演じている。冒頭のシーンで、礼儀正しく画用紙に向かい、写経でもするかのように漫画を描き出すその仕草、形を表し始めたキャラクターに思わずもらす笑みなど、本当に漫画が好きで好きでたまらないという気持ちが自然に伝わってくる。10年前のぼくは、このシーンですでに泣いていた。藤本弘を演じた阿部サダヲは、これが映画デビューだったはずだ。自主映画時代(というより「そとばこまち」時代か)から目にしていた生瀬勝久の演技も光っていたし、手塚治虫役の北村想も非常に「それらしかった」(NHKの「まんが道」で手塚を演じた江守徹よりは数段に)。思えば、本木以外の主要キャストはみな新興劇団の若手たちで、ちょっと前までの自分たちの境遇を、将来の不安を夢だけで乗りこえようとしていた当時の漫画家たちに、重ね合わせながら演じていたに違いない。それゆえに、市川準の作り出す作為を排したリアリズム世界にも、まぶしいくらいの輝きが生まれていたのだろう。

公開当時、この映画を観ていた自分(確か博士課程の2年だった)が、学界における将来をどう思い描いていたのか、今となっては思い出せない。でも、不安と希望、楽観と諦めとが、交互に押し寄せてきていたことは確かだろう(研究者として大成してゆく先輩たち、逆に研究を諦めてしまう先輩たち、次々と入学してきて頭角を現してくる新しい才能…。院生室は、ちょっとトキワ荘のイメージに近いかも知れない)。就職という枠組みを除けば、それは今だって続いているのだ(どちらかというと、年々、マイナス要素の方が強くなってきているが)。卒業を控えた学生たちなど、そのあたりの葛藤はもっと深いに違いない(そうあってほしい)。自分の将来、夢、現実…、そうしたものと真摯に向き合っている若者には、ぜひ観ておいてほしい作品である。
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1 Comments

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漫画に人生を賭けた人々 (米村)
2007-09-01 23:47:25
少し前に、トキワ荘の漫画家達をテーマにしたNHKドキュメンタリーを観たのですが、何とも凄まじい面子があの古アパートには揃ってたんですね。いま本棚を確認したら、所蔵漫画の半分近くがトキワ荘住人による作品でしたよ(笑)
水木しげるはトキワ荘の人達を指して「徹夜ばかりして寝なかったから早死にする」と皮肉ってますが、映画やドキュメンタリーを観た後で考えてみると、紙芝居から出発し「飯の種」と割り切って漫画を描いていた水木と異なり、トキワ荘住人の大半は当初から〈漫画家〉を志して試行錯誤していた。その辺りに、両者の「漫画」というものに対する思想や情熱の違いが表れていたのではないかなと(勿論どちらが善い悪いという低次元な話ではありませんが)。
僕自身も、まあ随分と雲行き怪しくはあるのですが(笑)それなりの夢を追いかけている身ではありますので、自分の今と重ねてみたり、色々想いを馳せたりする処は多いですね。というか部屋の散らかり状態なんかは、嫌になるくらい類似してますが(笑)

追記:抜刷論文のご贈呈、有り難うございます。早速拝読させて頂きましたが、方法論や国文学との学際的研究手法に関して色々示唆を受けるところ多く、大変参考になりました。吉田先生とは最近お会いする機会が多いのですが、いつか北條先生も交えたお二人による対論なども傍らで拝聞してみたいものです。
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