シンポジウムが終わり、今年の授業も残りわずかとなったが、何となくワサワサして原稿の執筆に集中できない。13日(土)はオリキャンの下見で休日出勤し箱根へ日帰り(本当は仏教史学会の忘年会に出たかった)、23日(火)は大山誠一さんの『日本書紀』を読む会、25日(木)は豊田地区センターの忘年会、26日(金)はゼミ主催の鎌倉フィールドワーク。今年は卒論も9編あり、400字詰め400ページに及ぶ力作も見受けられるので、年末年始は大変そうだ。それらの合間を縫って年賀状の作成や大掃除を行わなければならないが、1月は5日(月)からもう授業が始まってしまう。本当に忙しない。
さて、3月の物語研究会シンポと12月の早稲田僧伝シンポ、ぼくの報告では二つとも鹿島徹さんの歴史の物語り論を採りあげた。先日発売された『歴史評論』705号(2009年1月号)掲載の「北方謙三、〈いくつもの日本〉をめざす物語―歴史学とサブカルチャー③―」でも、やはり鹿島説に言及している。人物を介して歴史を把握するメンタリティーに東アジア的な伝統を感じ、またそのポストモダン的倫理性も有効であると認めるからだが、これだけ言及してきて理解が深まるどころか、ちょっとステレオタイプ的な扱い方になってきた。注意せねばなるまい。なぜこんなことを書いたかというと、大河ドラマ『篤姫』の最終回を見終わって、あらためてナラティヴの機能について考えさせられたからである。
『篤姫』は、多くの支持を受けただけあって、ドラマとしては面白い作品だった。主演の宮崎あおいもさすがの演技力で、その魅力のおかげで物語が1年保ったといっても過言ではなかろう。彼女の凛とした生き様に触れて多くの人々が励まされ、また「このように生きたい」と強く思ったに違いない。最近もNHKのニュースで流れていたが、ブームの効果で歴史学的にも多くの新発見があり(大奥に入ったときの輿の発見、薩摩から江戸へ渡ったときの陸路の特定など)、歴史の闇からその実像を浮かび上がらせることに寄与した。鹿島パラダイムにおける「歴史構成の倫理性」=隠蔽され、忘却された過去の救済が、いかんなく発揮された形になったわけだ。しかしそれにしても、(今さらいうまでもないことだが)ドラマ『篤姫』は実在の彼女を〈いい人〉に描きすぎた。もっと汚い部分、嫌な部分は必ずあったはずだが、宮崎あおいの表象である〈純粋さ〉を全面に押し出して突っ走ってしまった。結果、極めて爽やかな印象は残ったが、人物造型に深みのある陰影は感じられなかった。これは脚本の責任だろうが、まあ、骨太の『風林火山』の後だから、世間も制作サイドも〈爽やか青春もの〉を求めていたのかも知れない。ただし、江戸無血開城をピークに終盤を迎えた物語は、その決断を賛美するばかりで、上野戦争から函館戦争に至る血みどろの騒乱を一顧だにしなかった。ドラマの篤姫は、薩摩を揺るがした西南戦争には心を痛めるが、自分の「家族」を支えてきた幕府側の人々には恐ろしく無頓着なのだ。幕臣といえば活躍するのは勝海舟ばかりで、榎本武揚や大鳥圭介はほとんど登場せず、小栗上野介に至ってはまったく描かれなかったのではないだろうか(「トップの篤姫は、大奥以外の末端の人々の窮状などまったく気にしなかったのですよ」という演出意図なら凄いと思うが、恐らくそうではないだろう)。
ナラティヴは何かを掬い上げるかわりに、必ず何かを削ぎ落としてゆく。そして大事なものは、実は、常に削ぎ落とされた側の方にある。ドラマを楽しんだ我々がそのことに目を向けなければ、『篤姫』も本当に成功した作品とはいえないと思われる。
ところで、日曜日に『ガンダム00』を観てから『篤姫』を観ると、ともに「家族」というキーワードが頻出することに気づかされる。山田太一が家族の解体と再生をドラマに託してから、事態はより深刻化しているが、青年層に支持される作品に「家族の大切さ」が語られるのは興味深い。家を離れた/失った者たちが新たな疑似家族を作る、という構図が一貫しているのは、現実の血縁家族が荒廃し忌避されている反映でもあろうが...。
さて、3月の物語研究会シンポと12月の早稲田僧伝シンポ、ぼくの報告では二つとも鹿島徹さんの歴史の物語り論を採りあげた。先日発売された『歴史評論』705号(2009年1月号)掲載の「北方謙三、〈いくつもの日本〉をめざす物語―歴史学とサブカルチャー③―」でも、やはり鹿島説に言及している。人物を介して歴史を把握するメンタリティーに東アジア的な伝統を感じ、またそのポストモダン的倫理性も有効であると認めるからだが、これだけ言及してきて理解が深まるどころか、ちょっとステレオタイプ的な扱い方になってきた。注意せねばなるまい。なぜこんなことを書いたかというと、大河ドラマ『篤姫』の最終回を見終わって、あらためてナラティヴの機能について考えさせられたからである。
『篤姫』は、多くの支持を受けただけあって、ドラマとしては面白い作品だった。主演の宮崎あおいもさすがの演技力で、その魅力のおかげで物語が1年保ったといっても過言ではなかろう。彼女の凛とした生き様に触れて多くの人々が励まされ、また「このように生きたい」と強く思ったに違いない。最近もNHKのニュースで流れていたが、ブームの効果で歴史学的にも多くの新発見があり(大奥に入ったときの輿の発見、薩摩から江戸へ渡ったときの陸路の特定など)、歴史の闇からその実像を浮かび上がらせることに寄与した。鹿島パラダイムにおける「歴史構成の倫理性」=隠蔽され、忘却された過去の救済が、いかんなく発揮された形になったわけだ。しかしそれにしても、(今さらいうまでもないことだが)ドラマ『篤姫』は実在の彼女を〈いい人〉に描きすぎた。もっと汚い部分、嫌な部分は必ずあったはずだが、宮崎あおいの表象である〈純粋さ〉を全面に押し出して突っ走ってしまった。結果、極めて爽やかな印象は残ったが、人物造型に深みのある陰影は感じられなかった。これは脚本の責任だろうが、まあ、骨太の『風林火山』の後だから、世間も制作サイドも〈爽やか青春もの〉を求めていたのかも知れない。ただし、江戸無血開城をピークに終盤を迎えた物語は、その決断を賛美するばかりで、上野戦争から函館戦争に至る血みどろの騒乱を一顧だにしなかった。ドラマの篤姫は、薩摩を揺るがした西南戦争には心を痛めるが、自分の「家族」を支えてきた幕府側の人々には恐ろしく無頓着なのだ。幕臣といえば活躍するのは勝海舟ばかりで、榎本武揚や大鳥圭介はほとんど登場せず、小栗上野介に至ってはまったく描かれなかったのではないだろうか(「トップの篤姫は、大奥以外の末端の人々の窮状などまったく気にしなかったのですよ」という演出意図なら凄いと思うが、恐らくそうではないだろう)。
ナラティヴは何かを掬い上げるかわりに、必ず何かを削ぎ落としてゆく。そして大事なものは、実は、常に削ぎ落とされた側の方にある。ドラマを楽しんだ我々がそのことに目を向けなければ、『篤姫』も本当に成功した作品とはいえないと思われる。
ところで、日曜日に『ガンダム00』を観てから『篤姫』を観ると、ともに「家族」というキーワードが頻出することに気づかされる。山田太一が家族の解体と再生をドラマに託してから、事態はより深刻化しているが、青年層に支持される作品に「家族の大切さ」が語られるのは興味深い。家を離れた/失った者たちが新たな疑似家族を作る、という構図が一貫しているのは、現実の血縁家族が荒廃し忌避されている反映でもあろうが...。
つたない卒業論文になってしまったかとは思いますが、お読みいただけましたら幸いです。
大河ドラマは残念ながら詳しくないのですが、昨日桓武天皇の遷都の話をNHKでしていましたね。
筋立てはちょっと一面的で厳しいなという感じでしたが、長岡京のCGの再現が印象的でした。
ま、それでもあまり悔しくない番組ではあるのですが。
再放送をチェックしておきます。
宮都については、このあいだ上智史学会でも報告したのですが、その伝統的ロケーションに注目しています。四神相応の内実は、古墳時代の湧水点祭祀から繋がっているもののような気がするんですよね。