仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

川越フィールドワーク!(1)

2011-01-13 23:17:18 | 議論の豹韜
冬休みから年越しで書き継いでいた論文、ようやく2本目を脱稿。これから1月末日を目指して、環境関係のものを2本書かねばならない。卒論や修論のことを考えると…まあ、無理だろうけれど。

それはさておき、9日(日)には、懸案の川越フィールドワークを決行した。参加者は、院生1名に3年生4名、そして2年生が3名。朝10:00に川越駅に集合したが、ぼくの場合は三鷹からそれほど時間はかからないものの、なかには2時間かけてやって来た学生もいて、お疲れさまというしかない。この日の川越は喜多院でお焚き上げが行われるとかで、未だ初詣客も多く新年の雰囲気を残していた。フィールドワーク自体の目的は、主に次の2つ。
a)江戸期(元禄/享保)の古地図を眺めながら歩き、町割の変化と環境との関係などを確認して、土地について考えるセンスを養うこと。
b)川越城や喜多院の七不思議について任意に調査し、現在の情況を確認すること。
b)については、3年生にレポートを課している。あくまで擬似的なフィールドワークに過ぎないが、まあとにかく、文献に拘泥しがちな史学科生に現地をみる重要性を認識してもらうことが大事なのだ。

まずは時間短縮のため、川越駅から市役所方面へバス移動。バス道路を古地図上で確認しながら進んだが、ほとんど町割自体の変更はないようにみえた。主要道路も、鍵の辻を直線にしたくらいで大きな変更はない。これは四谷も同じだが、交通と日常生活、地域と国家の関連からすると興味深いことではある。

バスを最初に降りて向かったのは、曹洞宗の広済寺。元禄の地図にもちゃんと載っているお寺である。しかし、目的はお寺自体ではなく、その境内に置かれている「しゃぶき婆」の石像。何でも呼吸器系の病を治してくれる力があるとかで、像に縄紐を結びつけて「結縁」するのだという。話を聞いたときから気になっていたのが、四谷鮫ヶ橋のせきとめ稲荷と同じく、「堰き止め」から「咳止め」へという治水神→治癒神への変化である。川越はもともと水害の多い都市で、周囲を取り囲むように高沢川・入間川・夜奈川が還流している。恐らく、平城ゆえに多くの堀を防御施設として持つ川越城の築城自体が一種の治水工事で、その折に川の流路変更なども行われているのだろう。しゃぶき婆はそうした歴史、記憶を留めた石造遺物なのではないか、と想像していたわけだ。
現在この石像は、境内の山門脇に、あごの欠けた地蔵と並んで安置されている(腮なし地蔵。こちらは歯痛に効験があるらしい)。寺院にはよくあることだが、周辺の工事等々で境内地へ集積されたもので、もともとここにあったものではあるまい(天保の頃には寺内にあったという縁起書があるが、事実であるかどうかは分からない)。紐でぐるぐる巻きになってはいるが新しいものはないようで、医学の進歩した昨今、治癒神の信仰自体は衰えがちなのかも知れない。ミイラのような状態になっているので全体の形状は細かく確認できなかったが、どうやら人型の像ではない。慶応2年(1886)頃の光西寺蔵「川越城下図」や大正11年(1922)「大日本職業別明細図之内」には、広済寺からの道が川とぶつかる地点に中ノ島のようなものが描かれている。もしそうだとすれば川堰が存在した可能性が高いが、かかる場所に水神や治水神を安置するのは中国以来の常套手段である。江戸中期以降には、治水や灌漑工事の際に禹王を祀る例が散見され、各地に禹王廟や文命碑が建てられており、関東では酒匂川の文命堤が有名である。現在、中ノ島のあった場所付近には稲荷神社等が見受けられるが、川越にも治水神が存在していたとして全く不自然ではなかろう。夜奈川には、入水した娘の魂を鎮めるために小石を投げ込むという習俗・伝承もあり、もともと治水に関わるものだったのではないかとの想定を抱かせる。人型像ではないらしいしゃぶき婆も、灌漑施設や治水施設を構成していた石材のひとつであったのかも知れない。
なお、「しゃぶき」という名称については、三吉朋十『武蔵野の地蔵尊』埼玉編(有峰書店、1975年)が、根が薬用として使われたツワブキに由来するのではないかと述べている。とすれば、治癒神への変質後に付けられた名称となろう。いずれにしてももう少し調査が必要で、文献を調べたり、周辺を歩き回ったり、広済寺にお話を伺ったりもしなければなるまい。この日はどこにもアポイントメントをとっておらず、またこの像だけに時間をかけているわけにもいかなかったので、学生たちに仮説を話して早々に移動した。しかし、近いうちにまた訪れることになるかも知れない。

「しゃぶき婆」だけでずいぶん長い文章になってしまった。メイン・イベントはまだまだ(つづく)。
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2 Comments

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小江戸はよいとこ (やまもとYへい)
2011-01-15 00:47:07
あけましておめでとうございます。立教のやまもとです。
なにを隠そうわたくし、川越の某私立高校に通っていたので、書かれてらっしゃるあたりは駄菓子をほおばりながらよく歩いたものでした。が、そんな伝来があったとは知りませんでした。あらためて、訪れようとおもいます。
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今度はごいっしょに (ほうじょう)
2011-01-20 22:00:37
やまもとさん、コメントありがとうございます。レスが遅れまして申し訳ありません。また、博論中間報告お疲れさまでした。
心身ともに疲弊されていることでしょう。どうかリハビリなさってください。

川越は、これからも何度か訪れることになりそうです。どうも「しゃぶき婆」が気になって。環境にも関係ありますよ。
今度はぜひご一緒しましょう。
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