仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

また、研究会発足

2010-06-08 23:42:06 | 議論の豹韜
先日紹介した『王朝人の婚姻と信仰』(実は、大妻女子大学の倉田実さんの、還暦記念論集)の刊行をお祝いして、7日(月)、アルカディア市ヶ谷の日本料理店「いちがや」に論集の執筆者が集まった。ぼくはなかなか原稿が書けずにご迷惑をおかけしたので、正直いって顔を出せるような「身分」ではないのだが、やはり執筆者であるモモの背後に隠れて出席することにした。倉田さんは終始ご機嫌で、この論集を大変お気に召したご様子。確かに、錚々たるメンバーによる極めて中身の濃い本で、ぼくも(原稿を落とさなかった分だけ)何とかご恩返しができたのではないか…と無理矢理胸を撫で下ろした次第である。
美味しい料理とお酒(ぼくは飲まないけれども)に舌鼓を打ちつつ、服藤早苗さんがいらっしゃるにもかかわらず?、会は終始和やかなムードで進んだ。執筆者ひとりひとりがお祝いの言葉をお送りする段になり、席順の関係で、なぜかぼくがトリを務める羽目に。一体何をお話ししようかと思い悩んだが、結局「この集まりをこの場だけで終わらせないために、研究会を起ち上げましょう!」とぶちあげてしまった。モモと出逢ったケガレ研究会をはじめとして、ぼくには、文学/歴史学の合同の研究会で育てていただいたという強い気持ちがある。倉田さんと初めてお会いしたのも、論集刊行後の第2次ケガレ研だった。この研究会は、その後「暴力」を扱う方向へ形を変えたが、メンバーが忙しくなりすぎて例会の日程調整がうまくできず、いつの間にか立ち消えになってしまっていた。ぼくはモモと2人でずっと事務局を務めていたが、中心だった服藤さんから「いつか復活を」と頼まれていたのだ。
倉田さんも大変に乗り気で、文学・歴史学双方から関わりやすい「儀礼」をテーマにすることに決めた。歴史学では、一定のスパンのなかで変化を捉えるという方法になりがちだが、具体的な所作や祭具が何を意味するかなど、一回の儀礼そのもののなかにまだまだ解明されていないことがたくさんある。今回はそれに拘って考えてゆこうという趣旨だ。みんな忙しいので、とにかく手許にある材料を持ち寄るだけでもよい。負担があまりかからないようにしながら、気長にやっていければということである。事務局は、今回の論集でも縁の下の力持ちの役割を担った深澤瞳さん。9月頃に第1回目の例会が予定されている。

皆さんと別れて、モモと2人、バスの終わった武蔵境駅から自宅まで「散歩」した。このところ、2人で夜の散策に繰り出すことがある。未だ馴染みのない自宅周辺を歩いていると、さまざまな発見があって面白い。日曜の夜は、一応の最寄り駅だがまったく利用していない、西武多摩川線の新小金井駅まで歩いた。途中、天神社や稲荷社もあり、駅自体もなかなか雰囲気のある場所だった。どこかに、行きつけの場所になりうるような気持ちのいいカフェでもないかと探しているのだが、なかなかにみつからない。今度はどこを探検してみようか。

※ 写真は、記念品のプリザーブド・フラワーを手にご満悦の倉田さん。意外にも?、こうしたものがお好きだそうである。
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