22日(金)夜、無事に中国から帰国した。今回の調査の目的は、雲南省麗江に生活する納西(ナシ)族の祭司:東巴(トンパ)による三大祭祀のひとつ、〈署の祭り〉のありようを記録することであった。現在世界で唯一機能している象形文字で書かれた経典を読み、さまざまな祭祀や呪術を担う東巴は、チベット仏教や道教が在来の信仰と習合した独特な神話体系を持つ。そこで語られる〈署の祭り〉のいわれによると、人類と署(ナシ語では「ス」と発音するらしい。半人半蛇の龍神)とはもともと同じ父母から生まれ、それぞれ文化と野生を支配するように定められた兄弟であった。しかし人類はたびたびスの領域を侵し、ついにその怒りを買って、土石流や地震などさまざまな災害に見舞われることになる。それを哀れんだ東巴の神は神鵬を派遣してスを懲らしめ、人類が生活のために自然を開発することを容認させる。〈署の祭り〉とは、人類がそうしたスを慰撫する祭儀なのだという。環境と人間との関係を考えるうえで極めて重要な事例で、ぼくがこれまで取り組んできた問題とも大きく重なり合う。以前、古代文学会のシンポジウムの折に司会をしてくださった岡部隆志さんが、ぼくの研究を視野に入れて3年前から準備してくださっていたのだ。北京オリンピックを前にして、昆明や麗江もきな臭い事件が相次いでいたが、万難を排して海を渡った。
同行者は、リーダーの岡部さん(共立女子大)をはじめ、モソ人の歌語りに関する著作のある遠藤耕太郎さん(同)、そして現地におけるさまざまの調整や通訳を担う張正軍さん(寧波大学)の3人である。張先生の仕事ぶりたるや凄まじく(この人がいなければ何も進まなかったろう)、我が儘なほどのこちら側の要求を次々と実現してみせてくれ、中国初心者で右も左も分からないぼくなど、言葉で言い表せないほどお世話になった。もちろん、現地をフィールドにしている岡部さんや遠藤さんにも、さまざまなご教示をいただいた。岡部さんとは、自然と人間との関係から学問の倫理についてまでさまざまに意見交換をしたが、とくに、「中国は山間部以外に水のきれいなところは少ない。日本は地形的に水が汚れる前に海へ流れ出てしまうので、東アジア世界では例外的に水がきれいだ。列島へ渡ってきた渡来人たちは、まずそのことに驚き、水の美しさを歌に詠んだのだ」という指摘は、強く心に残っている。遠藤さんには、納西族の卜占についてご教示いただき、文献についても教えていただいた。東巴経には卜兆を描いた卜書も多く残っていて、中原世界や列島と比較するには格好の対象である。本当に、ぼくの抱えている問題にズバリ当てはまるトピックが多く存在していて、今後、自分の研究が大きく進展してゆく予感を抱いた。
〈署の祭り〉の他にも、岡部さんと遠藤さんの専門である歌垣の調査、歌い手さんや研究者のインタビューにも同行させていただいた。個々人の研究に関わることでもあるので未だ詳細を書くことはできないが、本当に勉強になった。今回は現地の人々も極めて協力的で、(既存のネットワークを通じてすでに信頼関係が築かれているからだろうが)何の心配も抱かずに作業を進めることができた。調査の合間はほとんど書店めぐりで、関係の文献も大量に集められた。この成果をどのように活かせるか、すべて今後のぼくの努力次第だろう。
それにしても、夏休みへ入って以降、また一気に報告や執筆の依頼が舞い込んで来ている。下半期は比較的予定が空いていたのだが、論文4本、書評1本、研究会報告2本が入っており、12月にはシンポジウムのパネリストを引き受けることになるかも知れない。出版社の不振で立ち消えになっていた書き下ろしの本の話も復活し、「2年以内に」と催促が来た。また忙しくなりそうである。
※ 写真は、〈暑の祭り〉を執行中の老トンパ和国偉さんとお弟子さん。祭壇の作りは、高知のいざなぎ流を髣髴とさせる。手に持っているのが、絵文字で書かれた東巴経。