仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

向こう側:送り火をみながら噛みしめる

2007-08-17 06:08:26 | 議論の豹韜
17日(金)の夜が明けた。さっきまでは窓を開けていても蒸し暑かったが、今は涼しげな空気が入り込んできている。
それにしても、この1週間の気温の高さは尋常ではなかった。ちょうどお盆の時期であり、毎日10軒前後の檀家さんのお宅を回っていたが、昨日や一昨日は本当に熱中症にかかるかと思った。今季は10~11日、11~12日にご葬儀が2件入ってきたので、寺全体のスケジュールはかなりキツかったと思う。ぼくも、月参りやお盆のお勤めのほかに、火屋・収骨・還骨初七日の勤行を1件、納骨勤行を2件受け持った。13日に倒れたのは、そのせいもあったのかも知れない。生/死の境目の儀式に立ち会うことには未だに慣れないし、火葬場での斎行自体ずいぶん久しぶりだったので、多少の精神的ストレスがあったのだろう。…しかし、それも一応は終了、16日(木)夜には、NHKで京都五山送り火の生中継を観た。列島に暮らす人々の何パーセントになるのかは分からないが、いま現在、各地の盆行事に参加し、あるいは家々の風習に従いつつ、〈向こう側〉へ、〈向こう側にいってしまった誰か〉へ思いを馳せている人が確実にいるのだ。そう考えると、非常に厳粛な気持ちになる。暗闇に浮かび上がった舟形の送り火が、装飾古墳に描かれた冥界への船に重なってみえた。
そういえば、今日採点し終えた「日本史特講:夢見と夢解きの古代文化論」のレポートに、まさに「向こう側」を扱った印象深い一編があった。歴史学の課題というと史料や参考文献に客観的分析を試みたものがほとんどで、今回も古代から中世へ至る夢の民主化の問題(酒井紀美説)を採りあげたり、分析の果てに残る夢の不可思議さに(現在に至る)夢占の存在意義を見出したりするものが多かった。もちろんそれが悪いわけではないのだが、上記のレポートはそんななかでまったく歴史学擦れしておらず、その指し示す思想に激しく共感できるものがあった※1
この地も手足も空も、全てが太極の中で繋がっている。輪郭など存在しない。人も山も海も石も砂も、空であり地であり土であり、巡る五行であり、陰であり、陽であり天でもある。全てが溶け合って、触れ合って、互いを見つめあっている。……どれくらい前のことだろうか、人はきっとこのことを覚えていたはずなのに、いつのまにか忘れてしまっていたのだ。そうして忘れるうちに、対に位置する存在と自分の間に壁を立て、壁の向こう側を異界と名付けた。……混沌を求めるのは人が混沌から生まれた自分を思い出せないからなのかもしれない。異界と同じように、人という名の壁の向こうにいる自分を知りたいと願うのである。混沌へ手を伸ばすのは、その答えが混沌の中にしかないからだ。
これを書いた学生は、恐らく、こちら側/向こう側の狭間で揺れ動いているのだろう。社会科学系の学問は、多くの場合、こうしたベクトルとは相容れない。人文科学との境界に位置する歴史学も然りである。しかしぼくは、常にこの〈向こう側〉を意識しながら研究を続けてきた。それが許されたのは、同じ関心を共有する先達や仲間たちがいたからである(古代文学会の方々など、まさにそうだろう)。上記のような学生が、近代合理性至上主義のなかで安易に〈向こう側〉を否定することのないよう、現在の視角を大切に展開してゆけるように見守りたい。
ちなみにこの特講のレポート、ゼミ生はなかなか出来がよかったので一安心。しかし、オリジナリティある問題意識を展開し、インパクトのある結論を導き出す作法は充分ではない。みなさんがんばってください。

※1 拙稿「自然と人間のあいだで」(増尾・工藤・北條編『環境と心性の文化史』下, 勉誠出版, 2003年)は、ある国文学研究者に「他者に読まれることを拒否している」と評された文章だが、実は下記の学生のそれとほとんど同じことをいっているだけだ。ぼくなりに言い換えれば、壁を設けることによって、人は人になり、異界は異界になるということになるが。しかし確かに、「答えは混沌の中にしかない」。
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