仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

3月上旬 鳥取~大分横断調査:(3) 岡山和気

2014-04-01 05:17:08 | 議論の豹韜
前回からの続き。7日(金)、米子のホテルで目を覚ますと、外は大雪。山奥にある金屋子神社をみたいという希望を抱いていたのだが、これはとても無理だと断念(そもそも、併設する資料館は冬期は休業中)。悪天候で山越えの特急が遅れ、夕方から大分へ行く新幹線などとの接続がうまくゆかないと困るので、予定を変更し午前中に岡山へ出てしまうことにした。ネットを検索して急遽代替地に選んだのは、(突然皇国主義者になったわけではないが)あの和気清麻呂の拠点であった和気郡和気町藤野周辺である。2012年度まで院生だったI君が清麻呂の治水事業で卒論を書いたので、何となく気になっていたのだ。
本当は岡山駅で荷物を預けたかったのだが、向かいのホームに和気行きの電車が来ていたのですぐさま乗車。30分ほどの乗車時間、和気が近づくに連れて、周囲に流紋岩の岩山が多くなってゆく。侵蝕に強いこの岩質の特徴とかで、こんもりした小峰が幾つも連なる特徴的な景観をなしている。木もまばらだが、鞍馬山のように山肌を根が這うような状態になっているのだろうか。和気の一駅岡山側にある熊山では、大規模な採石場があるという(そういえば、大阪の土塔・奈良の頭塔と並ぶ熊山遺跡って、ここだったよな。いま書いていて気づいた!みておくべきだった!)。こりゃ正解だな、と何となくうきうきしてきた。しかし、和気駅に到着、まずは荷物を預けようとコインロッカーを探したところ、利用率が悪いため近年取り外してしまった!とかで、観光協会を含め、駅周辺に一時預かり所はないという。和気神社までは4~5キロほど、歩いて行ってしまおうかと思っていたが、重い荷物を引きずっていてはとさすがに諦め、タクシーを利用することにした。
車窓から眺める、吉井川・日笠川の豊かな流れ。もともとは藤野も「藤原郡」だったわけだが、こりゃフヂ=フチ(淵)とする折口説は正しいかと妄想しつつ、まずは神社前の和気町歴史民俗資料館へ。小さな資料館だったが、収穫だったのは、江戸前期に岡山池田家に仕えた津田永忠のこと。多くの善政を担い、なかでも著名なのは、吉井川上流に設けた巨大な田原井堰の築造。周囲の岩山の流紋岩を用いて中之島=離碓を作り、水の流れを分けて治水・灌漑の双方を実現したものという。まさに四川省の都江堰、松尾の葛野大堰などと同じ構造である。亡くなった森浩一さんが「秦氏が中国から将来した技術」と推定したものだが、そういえば、岡山も秦氏の集住地だった。もちろん、これらを直結させてしまう妄想は持っていないけれども、永忠がかかる技術をどのように習得したのか。そのあたりは史料もなく、あまりよく分かっていないらしい。彼が清麻呂の治水などを想起・顕彰したなどの痕跡があれば、面白いのだが。日本中で禹王が顕彰され禹王廟などが建設される時期よりちょっと早いが、熊沢蕃山が関わっているというから、荻生徂徠らの先駆に位置づけられるかもしれない。なお口頭伝承としては、捲石を用いた離碓建設の担い手として、石工頭金光甚兵衛(異伝に市兵衛)なる人物の活躍が伝わっている。『ふるさと和気』民話編を繙くと、井堰建設が「大木の秘密型」の形式に沿って語られる伝承もあり、非常に食欲をそそる。石材産出が生業となっている風土なればこそで、「伐採抵抗伝承」の言説形式を、樹木から切断して考察する必要もあらためて感じた。資料館の担当の方にいろいろ伺い、保存用でしか残っていないという同井堰の解体工事に伴う調査報告書も、複写して送っていただけることになった(後日、さらにご高配を賜りました)。ありがたいことである。
さて、資料館に一時荷物を預かっていただき、ついでに和気神社を散策。朝倉文夫の精悍な清麻呂像に迎えられて鳥居までゆくと、狛犬の代わりにイノシシが左右を守っている。清麻呂を守護した伝承があるためで、ごたいそうに剥製まで飾ってある。なんとなく、狩猟神事の匂いがしたりするのだが、どうなのだろうか。重要文化財の本殿もなかなかに立派であった。駅までの道沿いに「伝和気氏政庁跡」、『源平盛衰記』に描かれる倉光三郎の墓などもあるというので、まあ途中でタクシーを拾ってもいいかと、重い荷物を抱えて歩き出したが、周囲の景観、史跡に目を奪われて歩いているうち、けっきょく駅まで辿り着いてしまった。いやいや、腕の運動にもなったことよ。
このあとは、岡山を経て、小倉、大分と順調に接続。車内では、学生の予備卒論を添削したり、本のノートをとったり。実は、初めて!九州に足を踏み入れたのだが、もうすでに周囲は真っ暗であり、気づくともう関門海峡を渡ってしまっていて、感慨も何もあったものではなかった。しかし確かに、電車の車内装飾の文化は、明らかに関東と違うかなあ。
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