仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

勉強と逃避と:ここ最近の読書など

2008-03-07 14:26:32 | 書物の文韜
『アリーナ』の校正を終え、組合広報紙『紀尾井』の原稿、10日(月)のFD研修会の報告書を書き上げた。しかしまだ、『狩猟と供犠の文化誌』の書評が終わらない。早島先生還暦論集献呈論文の校正も含め、土・日に仕上げねばなるまい(ちなみに9日(日)は結婚5周年の記念日であった)。

さて、強靱な意志の持ち主でないぼくは、仕事が煮詰まってくるとどうしても逃避してしまう(このあたりは似たもの夫婦である)。帰宅途中に神田のブックファーストに寄り、どうでもよい小説を買ってきて読みふけったりする。以前にも少し書いたが、まずは、ラブクラフトのクトゥルー神話をモチーフにしたドナルド・タイスン『アルハザード』。魔道書『ネクロノミコン』を生み出すことになる〈狂った詩人〉の生涯を描く上下巻で、双方たっぷりのボリュームがある。最近のクトゥルー関連作品にはオリジナリティの欠如が甚だしく、少々食傷気味になっていたのだが、これは中世の西アジアを舞台にした冒険伝奇小説として充分楽しめる(ただし、題材が題材だけに表現が少々グロテスクな面もある。苦手な方は注意されたし)。まだ上巻の途中までしか進んでおらず、旧神・旧支配者との繋がりにはあまり触れられていないが、ナイアーラトテップの僕となった主人公がいかなる運命を辿ることになるのか、興味を持って読ませてくれる。ホラー小説における魔術の扱い方は、宗教学や人類学、歴史学の立場からするとどうしても物足りないものだが、〈外部〉を源泉とする力と主人公との緊張関係(誘惑、陶酔、そして恐怖など)がきちんと描写されていればいいと思う。なお、翻訳の大瀧啓裕の日本語には少々問題がある気がした(文章自体は読みやすいのだが、言葉の使い方が少々おかしい)。
続いて、同じラブクラフトの流れで、品川亮監督の映像作品『ダニッチ・ホラーその他の物語』。ラブクラフト本人のオリジナル小説「絵の中の家」「ダンウィッチの怪」「祝祭」を15分程度のシナリオに単純化し、山下昇平の立体造形をメインに人形アニメ風に仕上げている。日常が〈外部〉によって侵蝕されてゆく恐怖、そして快楽までは描けてはいないが、その雰囲気は楽しめる。最近の過剰なSpFX、VFXでは表現できない怪しさが漂う。
最後は、岩明均のコミック『ヒストリエ』。前々から気になっていたのだがようやく読み始めた。単なる戦記アクションではなく、哲学や歴史学の交錯する展開に期待。日本史や東洋史を扱ったものは、ゲームの影響か、どうも一騎当千・国士無双的なものが多くなってしまっているので(それが嫌なわけではないが)、こういう知的な傾向を持つ作品は大歓迎である。ところで、古典古代にも都市には多くの書店が存在したらしいが、描写はあれでいいのだろうか。ちょっと縁日の古本屋の屋台みたいだが...。

専門書は左のようなものだが、すべてちゃんと読み込めていない。ブルケルトの『ホモ・ネカーンス―古代ギリシアの犠牲儀礼と神話―』、ヴィヴィオルカの『暴力』、フェーヴルの『"ヨーロッパ"とは何か―第二次大戦直後の連続講義から―』、菊地章太さんの『悪魔という救い』。前二著は『狩猟と供犠』の書評を仕上げる必要性から。フェーヴルは訳者の長谷川先生よりの頂きもの(「早速来年度の『上智史学』で書評しましょう」と申し上げると、「フェーヴルを書評できる人はなかなかいないでしょう。ぼくも解説書かされて大変だった」と一言。そうかも知れない。専門を同じくする人の方が、その巨人性は痛感されるのだろう)。最後は『環境と心性』にも寄稿してくださった菊地さん(お会いしたことはないのだけれども)の新著で、上智大学では叱られそうなタイトルだが、悪魔憑き/悪魔祓いという当事者においては極めて切実な問題に、正面から取り組む意欲作である。「○○のゴーストバスターズ」などと宣伝されると一気に読書欲も減退するが、研究者として教育者として、こういう問題に正面から取り組む姿には共感を覚える。

さて、おまけに、教材にも使おうと考えているDVD2本を挙げよう。左は、以前に紹介した大絶賛の『死者の書』。ようやくDVD化された。来年度の特講では「喪葬と冥界の古代史」を扱う予定なので、ぜひ学生たちに観せたい。想像力と感受性の試される作品。右は和本を題材にしたドキュメンタリー『和本―WAHON―』。上智の先輩であり、千代田学入門にも出講していただき、またぼくの方法論的傾向を決定づけた恩師の一人橋口倫介先生のご令息でもある、古書店誠心堂代表取締役橋口侯之介先生も出演されている。ぼく自身は歴史学者にあるまじき人間で、あまり本物志向は強くないのだが、しかしこういったアーカイブズの世界をみると物神主義的性向もうずく。やはり、本物に触れるのは大事なことではある。

ところで。昨日の『鹿男あをによし』だが、アポイントメントもなくずかずか奈文研の収蔵庫に入ってゆけるあの人たちって、いったい...。
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