仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

川本喜八郎『死者の書』

2006-02-26 17:34:13 | 劇場の虎韜
いつも、1週間ほど遅れて書くことになるのですが、21日(火)、『三宝絵』研究会に出席するついでに、神田の岩波ホールで川本喜八郎『死者の書』を観てきました。

映画好きを自認していながら、恥ずかしいことに、岩波ホールに入ったのは今回が初めて。「箱」自体には別に特別なものを感じませんでしたが、客層が普通の劇場とは違う……!と思いましたね。60歳前後の品のいい女性が主流で、生涯学習の講座で出会う方々と共通する雰囲気。岩波の本を読んで、市民正義を支えてきた方々なのだろうなあ……と勝手な感想を持ちました。
映画の方も、さすが期待に違わぬ出来。原作の古代文化に関する深い造詣(当たり前ですが)、求道の強さと清々しさ/世俗のおかしみとほがらかさ、性的葛藤の妖しさ・怪異/宗教的浄化の世界……様々な相反する要素が簡明に表現され、あの独特のテンポを持ったセリフもそのままに語られています(郎女役の宮沢りえ、大津皇子役の観世銕之丞、語りの岸田今日子による微細な声調の変化、抑揚……。文字どおり人形に命を吹き込む名演でした)。無駄な説明を排して抽象的な映像の力に訴え、観る側の想像力を喚起する演出もいいですね。人形アニメでは、とうぜん生身の人間のような細やかな動き、表情の微妙な変化などは(情報量の多さという意味で)表現できませんが、そのぶん感情や想いがデフォルメされて、ストレートに伝わってきます。旧作『鬼』『道成寺』『火宅』にみるように、執心と解脱は、川本監督自身が追求し続けてきたテーマでもありますし、お互いに絶好の方法、題材を得たというところでしょうか。また、髪の一本一本が風に揺れるさまをアニメートする名人芸、今回は衣のゆらめきたなびく映像が非常に美しかったですね。
それにしても、折口古代学の集大成が、ある意味では「神身離脱」思想を核とすることについては、大いに共感するところです。私のやってきた宗教史研究や環境史研究も、すべてそれを中心に回っていますので。ただ私の場合、祟り神が神仏に昇華されること自体に、もう少し多様な葛藤を読みとりたいと考えています。

ということで、映画には大変満足したわけですが、ただ一点、上映開始後間もなく、高いびきをかき始めた男性客がいたのが残念でしたね。前半、なかなか映画に集中できませんでした。さすがに品のいい観客方もこらえきれず、立ち上がって文句をいいにゆく人も出てくる始末。終了後、「あんたのおかげでいい映画が台無しよ!」と罵る女性もいて、劇場内はピリピリムード(宗教的浄化どころの騒ぎではありません)。当の男性客だって、単館上映にわざわざ出かけてくるわけですから、眠りたいとは思っていなかったはず。わりと身体の大きな若者でしたが、ひょっとしたら睡眠時無呼吸症候群かも知れないですね。高いお金を払って残念だったでしょう。彼の立場に立ってみると、切ない話ではあります。
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