く~にゃん雑記帳

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<中尾山古墳> 三段築成の八角墳、外周も三重の石敷き

2020年12月01日 | 考古・歴史

【文武天皇陵か 明日香村教委が現地を一般公開】

 奈良県明日香村平田にある終末期古墳「中尾山古墳」の規模や構造がこれまでの発掘調査で明らかになり、明日香村教育委員会は11月28~29日現地見学会を開いた。墳丘は飛鳥時代後半の天皇陵に特徴的な八角形で、外周も三重の石敷きで化粧されていた。考古学者の間では「文武天皇陵」との見方が高まっている。

 中尾山古墳の場所は国営飛鳥歴史公園高松塚古墳周辺地区内の一角。極彩色の壁画で有名な高松塚古墳の約200m北側に位置する。高松塚古墳の南には宮内庁により文武天皇の陵墓と治定されている檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)もある。中尾山古墳は陵墓指定から外れているため、明日香村教委などによる発掘調査が可能だった。

 

 調査によると墳丘は三段築成の八角墳で、高さは4m以上、幅(対辺長)は約19.5m。一段目と二段目は拳大~人頭大の石材を垂直に積み上げた基壇状の石積み、最上段の三段目は版築の盛り土で整形されていた。三段目の墳丘東側で鎌倉時代の盗掘孔が確認されている。また墳丘の裾部から外周の石敷きが三重に巡らされていることも分かった。その石敷きの三重目の対辺長は約32.5mだった。

 

 埋葬施設は10個の切石で構成される横口式石槨で、内法の規模は高さ、幅、奥行きのいずれも約90cm。床面中央の60cm四方が深さ1cmの凹状に削られており、そこに火葬骨を納めた蔵骨器を安置する台が設置されていたとみられる。石室内部の壁面は丁寧に磨かれており、全面が赤い顔料の水銀朱が塗布されていたことも確認された。


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