【掌編・エッセー91本に加え短編小説「尋問」など】
筆者の広田浩三氏は1938年京都市生まれで、現在下京区在住。若い頃には定職に就かず作家を目指して執筆に熱中し、61年に詩集「あくびと鼻血」を自費出版、66~71年「羅生門文学」を中心に同人誌・文芸誌に小説・詩・エッセーを発表した。72年には短編小説「尋問」が「小説新潮」の新人賞予選入選作に選ばれている。だが、その後、作家への夢を断念し職を転々、葬儀社や夕刊紙を発行する大阪の新聞社に勤めたこともある。
本書は2001年から全日本年金者組合の京都下京支部の組合ニュースに連載中の掌編小説や短いエッセーの中から合計91本を選び、さらに短編小説「尋問」と「内陣の裏」を加えて出版した。タイトルにある「十石舟」は伏見の濠川を巡る遊覧船が有名だが、これは10年前から桜シーズンに琵琶湖疏水の京都市動物園向かい~夷川ダム間(往復約3キロ)を運航している十石舟のこと。掌編の1つの題をそのまま本のタイトルとした。
掌編55本はいずれも見開き2ページの分量で、いわば〝ショート・ショート〟のミニバージョン。男女の微妙な機微や老いなどをテーマにしたものが多い。『妻の交通事故』では、妻が事故に遭ったという連絡を受けタクシーで病院に急ぐ夫の頭を奇怪な想念がよぎる。「これでおれは妻から解放され、自由になれるかもしれない!」。だが、妻は手足に軽い打撲だけ。妻は拍子抜けした夫に向かって、からかい口調で「あなた、子どもたちでなくてよかったと思っているでしょう?」。
『初めての敬老乗車証』では心弾ませバスに乗ったものの「さて、どこで降りる? 今更行くあてなんかあるもんか! あっはっはっはっはっ!」。自嘲の笑いがバス中に響き乗客の冷たい視線が一斉に向けられる。『デパ地下の老夫婦』では試食品をほお張り続ける認知症の老人を描く。掌編の中にはもっと膨らませば、読み応えがある1本の物語になりそうなものも目立った。
エッセーは「されどわが老いの日々―文化・社会・人生」として36本を掲載する。『鎮魂歌―幼い命の死を悼む』は葬儀社時代の体験を綴る。電車の踏切事故で亡くなった幼い男の子の棺の中に青いゴム長靴が納められた。「ふだんはいていたものらしく、ぬかるんだ死出の旅路の足元を気遣ったのだろうか」。霊柩車の発車に合わせて放鳥供養の鳩が飛び立った。筆者はその光景を歌に詠んだ。「子を送る棺に小さきゴム長を添へて父母らは鳩を放てり」。幼児の事故死ほど痛ましいものはない。
『<ありのすさび>と憲法九条』では古歌の「在るときはありのすさびに語らはで悲しきものと別れてぞ知る」を紹介し、この「ありのすさび(在の遊)」は「人間関係以外のことにも当てはまる」として憲法問題を例に挙げる。「改憲の動きには平和憲法に<慣れてしまった>人心の虚を突くかたちで出てきたと思える側面がある……九条の改変を許せば、国民に復古的な愛国心を強要し、自衛軍をつくって海外での戦争を可能にする条項にとって代わられる。そうなって<ありのすさび>を嘆いても後の祭り」。
『京都駅炎上と母の死』では、京都の駅舎が戦後間もない1950年に大火災で焼失していたことを初めて知った。「この火事は私が生涯で目撃した最も壮大で恐ろしい光景だった」。焼けた京都駅は大正天皇の即位記念に建てられたルネサンス式の立派な建物だったという。原因は駅舎2階にあった食堂のアイロンの消し忘れ。戦禍を免れた歴史的な建物なのに、なんと皮肉なことだろうか。
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