【編著=千田稔(代表)、本多健一、飯塚隆藤、鈴木耕太郎】
編者代表の千田稔氏は現在、奈良県立図書情報館館長や帝塚山大学特別客員教授などを務める。本書はかつて立命館大学大学院の客員教授として日本文化論を担当した千田氏と、現在各方面で活躍している当時の院生ら3人との共作。京都市内と周辺で計38の〝街角遺産〟を取り上げて、それぞれの歴史的背景などを探っている。
梅小路蒸気機関車館はSLを動態保存していることで人気だが、ここが戦時中の70年前、米軍の一大目標になっていたという。原爆投下目標に当初、京都が挙がっていたことは広く知られているが、その標的が梅小路機関車庫(1914年建設、重要文化財)だったというのだ。扇形の車庫は上空から見ても目立つ存在で格好の標的だった。原爆投下が避けられたのは「戦後処理において日本との和解が長期間不可能となり、逆にソ連の接近を可能にする」という判断からだったという。
京都には円山公園や船岡山公園など8カ所に「ラジオ塔」が残っている。初のラジオ塔は1930年に大阪の天王寺公園に設置された。以来、40年前後を中心に爆発的に全国に広がった。その目的は大きく分けてラジオ体操の普及とスポーツの実況の2つ。現在、全国では約20基が確認されている。京都に多く残っている理由は不明だが、「すべて公園という比較的、改修などの手が入りにくい場所に設置され」「市民の間に歴史的資産として認知する向きが広がっているからでは」と推測する。
他にも、平城京の正門である羅城門が930年に強風で倒壊してから、京の南の入り口は東寺南大門となり、長く日本全国の距離原標として位置づけられた▽嵐山と愛宕神社の間には愛宕山鉄道が走っていたが、1944年、線路の金属類回収を目的とする〝不要不急線〟指定で休業に追い込まれ、戦後、叡山線や鞍馬線が再開する中でそのまま廃線になった▽京都御苑の東南にあるグラウンド富小路広場は明治時代、常設の博覧会の会場だった――など興味深い話題を満載している。
[夏目漱石の句碑]と[〇△□乃庭]を基軸に、琵琶湖疎水分線で辿りたい・・・
句碑からの眺望に、西田幾多郎の歌碑や京都大学数理解析研究所、堀川せせらぎ、角倉隧道、塵劫記碑(吉田光由)などを左回り(+方向)に巡らす・・・