く~にゃん雑記帳

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<筥崎宮> 楼門に「敵国報復」の扁額、亀山上皇の宸筆を拡大!

2016年10月18日 | 旅・想い出写真館

【日本三大八幡、境内各所に元寇ゆかりの遺物や石碑など】

 宇佐神宮、石清水八幡宮とともに〝日本三大八幡〟といわれる福岡市東区の筥崎宮(はこざきぐう)。社伝によると、創建は延長元年(923年)で、応神天皇(八幡大神)とその母神功皇后、玉依姫命(神武天皇の母)の三神を祭る。社殿は鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)の際などに焼失し、現在の本殿と拝殿は1546年、楼門は1594年に再建されたもの。いずれも国の重要文化財に指定されている。

 その楼門で参拝者の目を引くのが金文字で大書された「敵国降伏」という扁額。筥崎宮には平安時代に醍醐天皇から「敵国降伏」の宸筆を下賜されたのをはじめ、後の天皇からも同様の宸筆が納められたという。ただ現在掲げられている扁額の文字については「文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したもの」という。

 

 亀山上皇は蒙古襲来の際、敵国降伏を祈願したといわれ、楼門左手には高さが約6mもある上皇の木彫像を安置した「尊像奉安殿」も設けられている。「敵国降伏」の文字は本殿裏側の鳥居にも刻まれている。第二次世界大戦末期、わが国の郵政当局は戦勝祈願のため、この「敵国降伏」をデザインした普通切手を発行した。だが、この切手が全国の郵便局に届く前に終戦を迎えたという。

 

 境内には元寇にまつわる遺物や石碑などが多い。「蒙古軍船碇石(いかりいし)」は博多港中央波止場付近の海中から引き上げられたもの。長さは2mほどで、石質は赭色(しゃしょく)凝灰岩。この種の石材は蒙古軍の造船基地だった朝鮮全羅南道長興南方の天寇山で産するという。碇石の手前には「防塁石」があった。防塁は蒙古軍の侵入を防ぐ目的で博多湾の海岸一帯に築かれた。

 「元寇歌曲碑」は陸軍軍楽隊員の永井建子(けんし、1865~1940)が明治中期に作詞・作曲した唱歌『元寇』の歌詞と音符を刻んだもの。国を挙げて蒙古軍の日本侵略の野望を打ち砕いたことをたたえる内容で、日本唱歌保存愛唱会が35年前に元寇ゆかりのこの地に建立した。境内には謡曲『唐船』に登場する「唐船塔」という石塔も立つ。日本に捕らわれた唐人を迎えに来た2人の子が、父が死んでいたら建てようと持参した供養塔といわれる。その前にある「夫婦石」で唐人は日本人妻と腰掛け別れを惜しんだという。

 

 筥崎宮は〝神風〟によって蒙古軍を退散させたことから、勝運・厄除けの神として篤い信仰を集める。楼門の前にはソフトバンクホークスをはじめ福岡を地盤とする野球、サッカー、ラグビーチームなどの大きな必勝祈願の絵馬が飾られていた。楼門に至る参道は1キロほどもある。その長い参道の両側に多くの露天が出店する9月の「放生会(ほうじょうや)大祭」はどんたく、祇園山笠と並ぶ博多三大祭りの一つで、毎年大勢の人出でにぎわう。筥崎宮は正月の「玉せせり」、7月の祇園山笠の「お汐井とり」でも知られる。


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