く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<原田千賀子さん> 「化生童子」や「飛天童子」の絵の制作に励む

2013年09月09日 | ひと模様

【水彩画教室主宰、「震災でお子さんを亡くした方々の慰みになれば」】

 2011年の東日本大震災では可愛い盛りの子どもも多く犠牲になった。親の悲しみは深い。その親たちに絵の特技を生かして寄り添えないかと、天国で安らかに過ごす童子の絵を描く女性がいる。奈良市の町なかギャラリー「散華(さんげ)美術館」館長で、各地で水彩画教室を開いている原田千賀子さんだ。絵がある程度たまるたびに被災地で会場を借りて展示し、絵を差し上げたいという。3年程度続けたい考えで、その資金集めに知恵を巡らせている。

   

 原田さんは1948年、鹿児島県の奄美大島生まれ。自ら「鉄ちゃん」というほどの鉄道ファンで、この25年間、大手進学塾に勤める傍ら、青春18きっぷを使って国内をくまなく回った。日本画を以前、約10年間習ったこともあって「車窓からの風景を山ほど描いた」という。1996年には〝全線踏破〟の記念に「ポエム画紀行 各・駅・停・車(長野 岐阜)」を自費出版。これが注目され、JR西日本からの依頼で宝塚線複線電化10周年記念に「ポエム画紀行 JR宝塚線」を出版し、最近では奈良、大阪、東京で「ヨシミチガ」の名前で水彩画教室を開いている。

 

 原田さんがこれまでに描いた童子の絵を数枚見せていただいた。天国に逝った子どもが空を浮遊したり、蓮の花の上で遊んだりしている構図(上の写真2枚=一部)。いずれも穏やかな色調で柔らかいタッチだ。「私自身も最初の子どもを亡くしているので、親の悲しみ、苦しみはよく分かります。絵をぼかしているのは、親御さんに天国に逝った子どもへのイメージを膨らませてもらいたいとの思いからです」。

 これらの絵を見た美術の研究家から「これは仏画の化生(けしょう)童子、飛天童子と同じ」と指摘を受けたという。化生童子は極楽浄土で蓮華の中から生まれ出た童子。原田さんはそれまでその言葉も知識もなかったそうで、「何か奇跡めいたものを感じているところです」。館長を務める「散華美術館」の一角にも原田さんが童子たちを描いた小さな陶器片がたくさん飾られていた(下の写真㊧)。

 

 原田さんはこの構想とは別に、約2年前から宮城県多賀城市のベビーサロンからの依頼で、1歳児の絵を描いてプレゼントする活動も続けている。パソコンに送られてくる赤ちゃんの写真を参考に水彩で描き、サロン側で額縁を付けて1歳の誕生日に贈っているという。これまでに描いた赤ちゃんは既に100人を超える。原田さんの元には8月に送った分の返礼として、「子どもたちも絵を受け取るととても喜ぶんですよ~♪」という一文を添えた、絵を持つ子どもの写真が届いていた。

 散華美術館は原田さんの自宅でもある古民家を改造して2011年秋に開館した。運営母体はNPO法人美術散華保存会(岡村元嗣代表)。原田さんはこのNPOの事務局長も兼ねる。散華は寺院の法要で仏の供養や場の清浄のために撒かれる蓮弁をかたどった紙片。芸術性の高いものは〝美術散華〟と呼ばれる(上の写真㊨)。同館では収集した散華や保存会が制作した散華を展示・販売しており、同時に「ヨシミチガ ギャラリー」として水彩画教室の生徒さんの作品も展示している(開館は土日祝)。

  

 原田さんの活動には無料奉仕のボランティア的なものが多い。その点について原田さんは「小さい頃から人に喜んでもらうのが大好きで、その性分は今も変わりませんね」とにこやかに話す。一方で「これまで苦労も随分してきました。その苦労を拭い去るものが欲しくて、いわば〝自分探し〟をやっているようなものです」とも話してくれた。この10年間ほど、毎日欠かさず早朝、東大寺二月堂にお参りしているという。


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