く~にゃん雑記帳

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<戦中戦後の奈良の文化財>宝物疎開へ関係者奔走 供出で失われた多くの文化財!

2012年10月21日 | 美術

【唐招提寺の鑑真和上像、運命を共にと疎開を拒否】

 「戦中戦後の奈良の文化財」をテーマにした天理大学の公開講座が20日、奈良県中小企業会館(奈良市)で行われた。講師は文学部歴史文化学科の吉井敏幸教授。奈良は京都とともにほとんど空襲がなかったが、吉井教授の調査・研究で戦火から文化財を守るため多くの仏像などが疎開を余儀なくされ、また金属仏具や刀剣などが供出によって多く失われていた実態が明らかになった。

   

 国内で文化財の疎開が始まったのは昭和16年(1941年)8月から。東京帝室博物館(現東京国立博物館)に収蔵されていた最優秀御物(法隆寺献納御物108点と美術品27点)が奈良に移送され、正倉院と奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)に分置された。その他の御物も武蔵陵などへ。昭和18年秋と終戦直前の20年7月には正倉院の宝物も奈良博の収蔵庫に移された。

 国宝や重要美術品の疎開は御物より大幅に遅れ、昭和19年の初めから奈良市、京都市を対象に始まった。まず3月に東大寺の国宝66点が第一国宝収蔵庫に指定された円照寺へ、興福寺の阿修羅像や乾漆八部衆など仏像や工芸品など28点が円照寺と第二収蔵庫の大蔵寺に運ばれた。国の直轄事業で伽藍修理中だった法隆寺は昭和20年5月になって梱包作業が始まり、西円堂十二神将が松尾寺に、飛鳥仏の観世音菩薩像6体が長久寺に運ばれた。

 疎開を拒否した寺院もあった。唐招提寺は鑑真和上像と運命を共にするとして、像の疎開を拒否、また法華寺も本尊十一面観音像については担架を用意し、万一の際には防空壕に運ぶとして疎開を拒否した。国宝などの分散疎開と同時に、文部省からは寺院の一部解体や擬装、防護壁や防火池づくりなどが指示された。東大寺は大仏殿袖廊、二月堂登廊など、法隆寺は五重塔の解体を余儀なくされた。東大寺大仏殿などは網で上部を覆って「山」のように擬装したという。

  

 疎開した奈良の文化財は終戦後、元の寺院などに戻り幸い紛失・焼失は1件もなかった。だが、金属供出命令によって失われたものは多い。昭和17年3月、法隆寺は西円堂青銅大香炉など60余貫の金属を供出。同年11月には東大寺が知足院梵鐘、大仏殿の蝋燭献灯台などを供出している。供出を免れたのは国宝・重要美術品や慶長年間以前のものなどに限られた。(上の写真は戦後、疎開先から東大寺三月堂に帰る仁王像)

 軍刀として刀剣の供出も求められた。昔から多くの刀剣が奉納されていた法隆寺西円堂からは昭和13年6000本が陸軍に供出され、その後も佐世保海軍や警察などからの要請に従って供出を余儀なくされた。供出は刀剣にとどまらず、境内の樹木や布団などにも及んだ。昭和19年、法隆寺は並木の松樹の供出を求められたが、拒否した。この時断らなかったら、南大門から南に延びる参道の松並木もなくなっていたというわけだ。刀剣の受難は戦後も続く。終戦直後の9月2日、GHQ(連合国軍総司令部)から「民間武器類の引渡準備命令」が出され、多くの刀剣が没収された。

 講座を受講された方の中に国の重要文化財「片岡家住宅」(宇陀市)の20代目当主、片岡彦左衛門さんがおられ、終戦間際の文化財疎開にまつわるお話をしてくれた。「8月12日に役人やお寺の方たちがやって来て、法隆寺の文化財を8月24~25日に持ってくるという話があったと、父から生前聞いたことがある」という。終戦後、刀剣を提出したが、結局戻ってこなかったとも話されていた。

 戦後、奈良・京都が空襲を免れたのはウォーナー博士が爆撃回避を米軍に進言したためとして、長く日本の文化財を守った恩人として称賛されてきた。法隆寺をはじめ各地に博士の顕彰碑まで建てられている。だが、この「ウォーナー伝説」は米機密文書の公開や吉田守男氏の著書でGHQのCIE(民間情報教育局)によって作り上げられたものとして、今では否定されている。

 ただ吉井教授は「敗戦国ドイツの文化財は大量にソ連(現ロシア)によって略奪され今も戻っていないが、日本ではそんなことは起きなかった。日本の文化財を守ったという点で占領軍の文化財政策は肯定していいのではないか」と話す。その背景にはCIEのメンバーの中にウォーナー博士の下で学んだ日本美術史家らが多く含まれていたことがあるようだと指摘する。


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