く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良の古い自然災害> 「過去の痕跡は今後を示唆 災害は時・所・姿を変えて繰り返す」

2012年11月11日 | 考古・歴史

【奈良教育大学の公開講座で西田史朗名誉教授】

 奈良教育大学で10日「奈良の古い自然災害―地形・地質・遺跡から知る」をテーマにした寧楽秋季講座会が開かれた。講師は地質鉱物学研究の第一人者、西田史朗名誉教授。西田氏は「過去10年間の出来事はこれからの10年間に、過去100年間の出来事はこれからの100年間に再来するだろう。古い自然事変の痕跡は今後を考えるうえで無視できない示唆を与えてくれる」と話す。

   

 奈良県の地形は吉野川を境に南北で大きく変わるという。吉野川以北では乾いた材木を曲げると折れるように「歪みの限界→破断」の結果、地震が起きる。一方、吉野川以南では餅を焼くと膨らみ破裂するように「隆起→安息限界」の結果、崩壊を繰り返す。横軸に時間、縦軸に変位(大地の動き)をとって図にすると、吉野川以北の奈良盆地では大地が階段状に突発的な動きをし、以南の吉野山地は直線の定常的な動きを示す。ただ、いずれも大地の動きは1年間に1mm、100万年で1000mのペースという。

 奈良盆地東側には南北にそそり立つ活断層がある。長さ約35kmの「奈良盆地東縁断層帯」。ここで震源の深さ10km、マグニチュード7.5の地震が起きると、最大震度が7、多くの地域で震度6となり、死者5000人余、負傷者19万人余と想定されている。活断層は地質学上では200万年前の第四紀から現在までに活動し、今後も活動すると推定される断層を指す。だが、原子力発電所関連では12万~13万年前と定義されているそうだ。

 奈良の市街地はその断層帯から西側(JR岐阜駅側)に向かって下っていく。「この地形は山側からの土石流が積み上がってできたもの」という。奈良盆地断層帯は西側から見ると屏風のようにそそり立つが、生駒山の阪奈道路も名阪国道(国道25号)も西側からの上りが急でヘアピンカーブが多い。西田氏によると「そのヘアピンカーブの下に活断層が隠れている」。

 奈良盆地には火山がないのに温泉が多い。水質を調べると、ナトリウムや塩化物を多く含む。それは昔、海が広がっていることを示す。その証拠に菖蒲池にある蛙股池からはサメの歯やイワシのうろこ、エビ・カニの化石などが見つかっている。盆地の地下深くに硬い花崗岩が広がっているのに温泉が湧くのは、岩盤がひび割れ状態になっているからだろう推測する。

 奈良には特異な景観が多い。その1つ、鍋倉渓は黒々とした岩が川を埋め尽くし、天の川伝説などもある。だが西田氏は「この石は斑レイ岩(生駒石)と呼ばれるもので、土石流のなごりとみられる」。屯鶴峰(どんづるぼう)は火山活動期の二上山から噴出した火山灰が降り積もり、その後の風化・浸食作用によって今の景観が形作られた。曽爾の兜岩や屏風岩の柱状節理の岸壁は「大きな火砕流の末端」。不思議な景観の裏には過去の大きな自然事変が関わっているというわけだ。

 一方、吉野山地については「大平原がある時期、隆起してできたとみられる。そのために山間部で河川の蛇行が目立つ」。大峰山の最高峰、八経ケ岳は過去100年間に約47cmも高くなっているという。「それが地滑りや崩落など災害の原因になっている」。地層がもろいことも吉野地方での災害の多発につながっている。吉野川両側の段丘の石は「腐り礫(れき)」と呼ばれ、ハンマーで簡単に割れるそうだ。昨年の紀伊半島大水害は記憶に新しいが、奈良県中南部は過去にも度々水害に襲われてきた。1889年の十津川大水害では山崩れが頻発、各地に天然ダムができて死者・不明者は245人に上った。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <寧楽美術館所蔵の瓦> 白... | トップ | <大和郡山市の石造美術> ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿