く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<京都市考古資料館「ひょうげた器」展> 桃山時代の「茶陶」大量出土 ひずんだ形や自由闊達な絵付け!

2012年10月31日 | 考古・歴史

【独創的な桃山文化を反映、市有形文化財に指定】

 京都市中京区の中之町など三条通沿いから桃山時代の茶陶(茶事・茶会で使用される陶磁器)が大量に出土した。美濃・瀬戸を中心に全国各地の産地のもので、非対称にひずんだ器や自由闊達な絵付けが特徴。京都市はこれらの桃山茶陶970点を市有形文化財に指定した。それを記念した展示会「ひょうげた器―三条せともの屋出土茶陶」(12月2日まで)がいま京都市考古資料館で開かれている。

 茶陶が大量に出土したのは中之町と東側の弁慶石町、下白山町、福長町にかけての一帯。三条通り沿いの東西わずか約200mに集中している。三条通の御幸町通から柳馬場通の間には、洛中洛外図屏風などから茶陶を扱う「せともの屋」があったことが分かっており、古地図にも中之町の位置に「せと物や町」の記載もある。

 中之町からの出土品は美濃・瀬戸のほか信楽、備前、唐津・高取など日本各地の産地のもので、京都産はごく僅かだった。特に多かったのが瀬戸産。志野、鼠志野、青織部、黒織部など多彩で、器形も茶碗や皿、鉢、向付、水指、建水、茶入、徳利、花生、香炉などさまざまだった。これらの茶陶には産地を問わず、非対称にひずんだ器「ひょうげた器」が多数含まれていた。(下の写真㊧は大きくひずんだ形の黒織部・織部黒の沓茶碗、㊨は織部の向付)

  

 桃山時代は茶の湯が隆盛をきわめ、千利休や古田織部ら著名な茶人が活躍した。この時代には陶工のひらめきや茶人の好みを反映した多様な形態や意匠の茶陶が作られ、全国から文化の中心地京都にもたらされた。慶長4年(1599年)、織部が茶会にひずんだ瀬戸茶碗を使用した際、博多の豪商、神谷宗湛が「ヘウケモノ」(ひょうげもの)と呼んだという逸話が残っている。

 出土した茶陶の多くは使用された痕跡が認められないことから、実際に使用されたものではなく、商品として店舗で保管・陳列されていたものだったと推測される。「完成品をそのまま廃棄したのは流行遅れになったためか。古田織部の切腹の影響もあったかもしれない」。資料館担当者がこう解説してくれた。織部焼を生み出した古田織部は織田信長、豊臣秀吉に仕えるが、大坂冬の陣で豊臣方への内通の嫌疑をかけられ切腹に追い込まれた。それに伴って織部焼や織部風建築など〝織部好み〟も否定されたという。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <ひらかたパーク菊人形祭>... | トップ | <く~にゃん物語⑱> ウサギ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿