く~にゃん雑記帳

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<今城塚古墳> 張り出し部の祭祀場に埴輪が整然と

2019年01月16日 | 考古・歴史

【学界では継体天皇の〝真の陵墓〟説が有力だが…】

 淀川流域で最大級の規模を誇る大阪府高槻市の前方後円墳、今城塚(いましろづか)古墳(国指定史跡)。長さ約190mの墳丘の周囲を二重の濠が巡り、全体の広さは縦横およそ350m×360mに及ぶ。高槻市が古墳公園として整備してきた一帯は「いましろ大王の杜(もり)」として市民の憩いの場になっている。訪ねたとき墳丘の周りの芝生広場は凧揚げに興じる家族連れなどでにぎわっていた。

 この大きな古墳に葬られている被葬者は一体誰なのか。学界ではその規模や築造の時期、記紀の記述などから6世紀前半に没した継体天皇の陵墓とする説が支配的。一方、宮内庁はここから1km強西側に位置する太田(おおだ)茶臼山古墳(茨木市)を継体天皇陵と治定している。今城塚古墳は治定から外れているうえ陵墓参考地にも指定されていない。古墳の発掘調査が高槻市の手で自由に行われ、古墳公園として復元・整備され、市民が自由に墳丘に登ったり散策したりできるのもそのお陰だ。継体天皇が葬られている可能性が高いその墳丘に、なんの制限もなく自由に登れることに、感動より先に拍子抜けするほどだった。

 

 これまでの発掘調査で墳丘の盛り土のかなりの部分が1596年の伏見地震に伴う地滑りによって崩落していることが分かった。また北側の内堤に外濠に突き出す形で長さ65m、幅10mの張り出し部分があり、そこに家形の埴輪や武人、力士、巫女、鷹匠、馬、鶏、水鳥など様々な形象埴輪200点余が整然と並んでいたことが判明した。被葬者の埋葬時の様子を埴輪で再現するため古墳完成後に設けられた神聖な〝埴輪祭祀場〟とみられている。それらの出土品はいま古墳に隣接する「今城塚古代歴史館」に展示され(下の写真)、祭祀場跡地には復元埴輪によって往時の様子が再現されている。

 

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