最近、テレビ番組を見ていると、ニュース番組でのインタビューを始めとして、二つの文節の間を「し」でつなぐ表現が目立つ。
文例:「私にとってサッカーはかけがえの無いものです「し」、一生仲良く付き合って行きたいと思います。」
乱発気味の「し」の殆どは、文脈上順接の接続助詞である「ので」に置き換えるほうがしっくり来る。
かと言って、最近の読み物に「し」の表記が目立ち始めているわけでは無いから、話し言葉に限った最近のブームなのであろう。
なぜなのだろうか?
インタビューは推敲することが出来ない。言い直しが聞かない。
他人と会話するとき、話をしている時には、同時に次に何を話そうかと意識のレベルで組み立てていくものである。
アポなしのいきなりのインタビューに答えなければならない折等、自分の会話の論点が絞り込めていない時には、「し」は便利な接続助詞である。
一つのフレーズを話している際に、まだ次のフレーズが思い浮かんでいない際には「し」でつなぐことにより、前段との因果関係がはっきりしていないエピソードを持ってきたとしても、並列であるため、文脈は破綻しない。
また、一億総クレーマーと言われる昨今、断定は失言となりうる。
文脈にとらわらない、無難な話題を「し」で取り敢えず繋いでおけば、自己防衛の観点からも有効である。
だからと言って、職場の会社社員同士が、雑談で「し」を連発しているのを聞いていると、鼻についてしまう。
文例:「私にとってサッカーはかけがえの無いものです「し」、一生仲良く付き合って行きたいと思います。」
乱発気味の「し」の殆どは、文脈上順接の接続助詞である「ので」に置き換えるほうがしっくり来る。
かと言って、最近の読み物に「し」の表記が目立ち始めているわけでは無いから、話し言葉に限った最近のブームなのであろう。
なぜなのだろうか?
インタビューは推敲することが出来ない。言い直しが聞かない。
他人と会話するとき、話をしている時には、同時に次に何を話そうかと意識のレベルで組み立てていくものである。
アポなしのいきなりのインタビューに答えなければならない折等、自分の会話の論点が絞り込めていない時には、「し」は便利な接続助詞である。
一つのフレーズを話している際に、まだ次のフレーズが思い浮かんでいない際には「し」でつなぐことにより、前段との因果関係がはっきりしていないエピソードを持ってきたとしても、並列であるため、文脈は破綻しない。
また、一億総クレーマーと言われる昨今、断定は失言となりうる。
文脈にとらわらない、無難な話題を「し」で取り敢えず繋いでおけば、自己防衛の観点からも有効である。
だからと言って、職場の会社社員同士が、雑談で「し」を連発しているのを聞いていると、鼻についてしまう。
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