映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

博多座の公演は終わっていますが「六月大歌舞伎」に関連したこと。

2012年07月05日 | 日記

  

     6月に公演が終わってしまった「博多座大歌舞伎」に関連したことを書きま
     すので、申し訳ありませんがお許しください。

     今回の公演は、昨年9月に中村歌昇から三代目中村又五郎を襲名、更に
     又五郎の長男種太郎の四代目歌昇を襲名の博多座でのダブル襲名披露
     でした。
     また新又五郎の誕生を祝して、博多座は吉右衛門が2年ぶりに、梅玉が1
     年ぶりに、加えて仁左衛門・三津五郎がなんと十年ぶりに出演の豪華競
     演となったものでした。

     公演が終わっているので内容は省略しますが、中村歌昇は前名が中村光
     輝といい、四十数年前の少年時代に出演したNHKの大河ドラマ「天と地と」
     に主人公・上杉謙信の少年時代を演じ、当時の彼の人気は凄いものがあり
     ました。
     光輝から歌昇になって、この博多座には度々出演していて博多っ子にはお
     馴染みでした。

     実は中村光輝時代に大映映画「ママいつまでも生きてね」(杉本要吉・原作
     「死ぬにはまだ早い」の映画化)に出演し、キャンペーンのため池広一夫監
     督と一緒に博多に来ているのです。
     この映画は1970年の製作ですから、もう42年も前のことになります。脚本は
     池広監督の義弟・石松愛弘で、配給はもう大映末期のダイニチ映配による
     ものでした。

     私たち大映宣伝部は、昭和30年代ころからずーっと監督や俳優による地方
     キャンペーンを推し進めていて、大映の俳優で来福しなかった人は見当たり
     ません。
     ただこの映画は大映滅亡の少し前の頃ですから、色々問題があって最初は
     不可能と思われたのですが、監督と私がよく知った仲だったこともあり当時
     の人気者光輝一緒に福岡へ来てくれたものでした。

     試写会会場は当時の明治生命ホール。上映前のご挨拶と、映画が終わっ
     て監督・光輝・私の3人が並んでお客様のお見送りをしました。
     お客様はまさか見送りまでされるとは思っておらず、驚いたり喜んだりの一
     幕でした。映画もよく出来ていて、興行的にもまあまあだったと記憶してい
     ます。

     博多座の話から脱線しましたが、時々私のブログに登場する"大映株式会
     社宣伝部・番外編"でもあります。ご容赦のほどを・・・。

          
   
   ↑キャンペーン時の池広監督と中村光輝     ↑現在の三代目中村又五郎

          
コメント (4)
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