kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

手水舎(てみずや)

2012年06月03日 | 
牧師の家に生まれ育ったせいか、寺社のしきたりをまったく知らないで過ごした。
葬式でも焼香の作法が分からず、前の方の見よう見まね。

寺社の手水もそうだ。
不浄の手を清めて、本堂に向かうのではなく、いつもいきなり。
誰にとがめられるわけでもないが、その程度の認識だ。

神域や聖域に入ると、表現できない精神状態になることがある。
特に、だれも居ない礼拝堂や仏像との対峙は、一種のトランス状態になる。
父のDNAの一部が受け継がれているのだろううか。

それにしても、清らかな水の流れは、心を癒してくれる。
穢れを清める役目も、自然に受け入れられる。

その、川、海を、取り返しのつかない汚染水にしてしまったのも、
また、人間の仕業なのだ。