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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-1-11(木)、姉と母の月命日 ⛅

2024年01月12日 06時07分05秒 | 兄妹
室温は、6.9度(6:30)。
西の鈴鹿の山々もクックリと姿を見せ、伊吹山は後光が射したように、輝いて見えた。

今日は母と姉の月命日。

姉の家に大好きなイチゴを買って行くつもりであったが、義兄に断られてしまったので、行くにもいけなかったのは残念であった。

今度姉の写真も焼き増しをしておこうかな。

我が家の仏壇に手を合わせて、二人の冥福を祈りました。

まこと整形へ

薬も無くなって、まこと整形へ手首の骨折の診察に出掛ける。

まず握力を図ると、右手が10、左手が12で大分右手の握力も出てきた。

腫れも引いてきたが、一応レントゲンを撮るが、まだヒビが入っているようで、1ヶ月ほど罹るようである。電気でリハビリをして、薬を貰って帰って来た。

サロンのチラシ配り

永和台サロンのチラシを団地の南を配り、昼ごはんに「まさみ」のお好み焼きを買って来ようと自転車で出掛けると、満員で随分焼き上がるには時間がかかるようなので、諦めて家で豚鍋を簡単に作る。

午後から団地の北のチラシを配って、和らくで美味しい珈琲を飲みながら、月刊誌や新聞を読んでのんびりする。

娘豊橋のんほいパークへ

手を骨折してから娘が台所の洗い物をしてくれるようになってとても助かっています。

午後から、娘が豊橋のんほいパークに泊まりがけで行くと出掛けていきました。

どうも動植物園になっており、広い敷地で一日では見て回れないようである。

友人達と行きたいのでパンフレットを貰って来てもらうように頼みました。

最近は大学もお休みをしているようで、買い物ぐらいにしか出掛けていかなかったので、心配していただけに、楽しみを見つけて出掛けてくれるのは嬉しいことである。

昭和の名優、歌手旅立ち

ラジオやテレビの草創期から活躍した女優、中村メイコさん(89歳)が昨年12月31日に肺塞栓症のために旅立ちました。

歌手の八代亜紀さん(73歳)も12月30日、急速進行性間質性肺炎などのため、亡くなったということです。

昭和の名優、歌手が次々に天国に召されました。

昭和が遠くになりにけり。何だかとても寂しくなりますね。

今日の万歩計は、12,757歩でした






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2023-12-15(金)、居眠り磐根江戸双紙17 ☂️のち☁️

2023年12月16日 05時42分36秒 | 兄妹
室温は、12.2(5:40)。
昨夜から雨が降り続いて、グランドゴルフも中止だろうし、何だか疲れを感じて、起きるのもたいげで、ベットの中で佐伯泰英さんの「居眠り磐根江戸双紙 紅椿ノ谷」を読み上げる。

坂崎磐根は両替商・今津屋吉右衛門とお佐紀の祝言に、花嫁行列の案内役を務め、無事祝言を終える。

おこんが塞ぎ混む様子に医師からも湯治に行くことを薦められて、磐根とおこんの二人は「法師の湯」への湯治の旅へと出掛け、夫婦の契りを交わすことで元気になったおこんでした。

午前中は、15,16,17巻を「和子の読書歴」に記載する。

年賀状は「寒中見舞い」

午後から年賀状の準備をしようと、パソコンで家族の写真を載せようとしたり、文章を書こうとしていたら、姉が亡くなったばかりで、年賀状を出していいものかと思い出して検索すると、兄弟までは控えた方がいいと書いてあった。

仕方がなく「寒中見舞い」にすることにした。

家の名義変更

娘が先日の姉の通夜の後で、長男に家まで送ってもらう途中で、我が家の名義を3人のうち、長男や次男が家があるので、娘の名義にしたらどうか話を聞いたようである。

娘は自分でも管理出来るのだろうか。自分が死んだらどうなるのか心配をしているようである。

お母さんが死んだら、一人で暮らしていかなければいけないし、家があれば安心して暮らせるしと迷っているようである。

困ったことがあれば、長男たちに相談すればいいし、自分が死んだら、あと残された人で何とかするから大丈夫と話をするが、何となく心配しているようである。

手続きをするのは来年になるのだから、まあジックリと考えて決断してくれればいいと思います。

今日の万歩計は、5,627歩でした。


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2023-12-14(木)、姉の告別式 ⛅

2023年12月15日 05時23分28秒 | 兄妹
昨夜から葬儀場の姉が安置してある部屋で、義兄や甥や姪と一緒に泊まり込む。

夜遅くまで甥や姪達と話しながら過ごしたが、なかなか眠れませんでしたが、3:30頃に眼が覚めて、姉の様子を時々見ながら、ブログをつけて過ごす。

6時過ぎにコートを着込んで、近くの商店街を歩いて戻ってくると、7時には姪が起きていて、甥や義兄も起き出して来る。

親族が徐々に集まってきて、10時に早めの昼食を食べて、11時30分から告別式が始まりました。

住職の張りのある読経の中、義兄から順番にご焼香が始まり、親族だけの告別式となりました。

最後のお別れでは、沢山の花を全員で姉の回りに入れ、曾孫たちが作った鶴の折紙や姉の好きな果物を入れて、甥や姪、曾孫達の泣き声や義兄の「ばあさんありがとう」の声に涙が止まりませんでした。

やはり身内の別れは悲しいものですね。

バスに乗り込んで、イオン南陽店の直ぐ横にある7~8年前に出来た名古屋第2斎場で火葬されました。

長い間動けない身体だった割には骨もしっかり残って、喉仏もあり、全員で少しづつ骨を骨壺に入れました。

葬儀場に戻って、初七日の法要を行い、会食は前菜のあと刺身、天ぷら、茶碗蒸し等温かい物は温かく、冷たいものは冷たく次々に出てきて、とても美味しい会食でした。


姉が大事にしてきた心温まる家族に囲まれ、義兄から何度も「今までありがとう」といわれて本当に幸せな81年の悔いのない生涯でした。

「お姉さん幸せな人生で良かったね」と声を掛けたくなりました。

姉を送るに相応しい葬儀でした。

久し振りに兄や弟たちとしっかりと話が出来たことも姉のお陰でした。

「お姉さんありがとう」

今日の万歩計は、5,054歩でした。









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2023-12-13(水)、姉の通夜 🌞

2023年12月14日 05時00分33秒 | 兄妹
室温は、
よく晴れた一日でしたが、風が冷たく寒くなりました。

夫の7年目の命日であり、姉の通夜でした。

娘と夫の墓参りに、永和駅から八田で地下鉄に乗り換え、藤が丘まで行きました。

お腹が空いてきたので、昼食をミスタードーナツでラーメンとチャーハンがあったので食べました。昔はミスタードーナツでラーメンなんて考えられなかったけれど。

リニモ八草行きで長久手古戦場で乗り換え、日進市くるりんバスに乗り換えてやっと13:38に五色園に到着。

夫に姉が亡くなったことを報告して、五色園から14:24名鉄バスで星ケ丘に行き、地下鉄で本山で乗り換えて、堀田駅から市バスで15:50にやっと葬儀場に到着し、長いミニ旅をしたようです。

姉の通夜式

祭壇に姉の写真を中心に好きだった紫の花がキレイに飾られていました。

少しづつ親戚の人たちも集まり、次男、長男もギリギリに駆けつけてきました。

姉が神戸生まれだったことを初めて聞いたので、兄に聞いたけれど、よく分からないようであった。

18時に通夜式が始まり、住職の張りのあるお経に酔いしれながら、姉のことを思い出していました。

お経が終わり、住職の「通夜、告別式はすべての感情が許されるときで、息を引き取ることは、亡くなった方の人生と一息を胸に刻んで持ち帰ってほしい」と心温まる言葉を頂きました。

最後に甥が姉の最期を言葉を詰ませながら「残された父をこれからもよろしくお願いします」と挨拶した姿に涙しました。

久し振りに兄姉弟や義兄の親戚と出逢い、いつまでも話がつきませんでした。

姉がみんなとの出逢いをさせてくれたことに感謝。

栞には、32年に渡り、夫婦二人三脚で漬物屋を営み、子供たち二人を育て上げ、週末には、家族で長島温泉やレストランで食事をすることが楽しみで、家族思いの姉の様子が書かれていました。

姉は子供二人、孫三人、曾孫三人の家族に囲まれた幸せな81年だった。

戒名は「釈尼穏敏」と名付けられ、姉の優しい穏やかな姿が甦るような名前をつけて頂きました。

姉を親戚一同で見送る心温まる通夜式でした。

今日の万歩計は、8,157歩でした。



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2023-12-12(水)、姉の仮通夜 ☂️のち⛅

2023年12月13日 04時47分52秒 | 兄妹
室温は、14.2度(7:00)。
昨夜の夕方からずっと雨が降り続いていたが、割には気温は暖かであった。

姉の好きなイチゴを道楽の郷で買って、永和駅から名古屋駅で名鉄に乗り換えて、堀田駅からはタクシーで葬儀所に行く。

丁度お寺の住職の枕経があり、素敵な声のお経にきっと姉も聞き惚れていたことでしょう。

一人一人お参りをして、姉の思い出を語ってくださいと初めて言われた。

孫娘から「優しいお祖母ちゃん可愛がってくれてありがとう」息子の嫁から「こんなに仲の良い夫婦は見たことがない」娘から「お母さんありがとう」息子から「最後の闘病生活で頑張る母を始めてみた」義兄「長い間寄り添ってくれてありがとう」とそれぞれの思いの言葉を語ってくれて涙が自然と出てきました。

本当に怒った所を見たことのない姉で、穏やかで優しい姉でした。安らかにお休みください。

11日は母の命日であり、13日は私の夫の命日であり、14日は父の命日で、みんなが姉をもうガン張らなくてもいいよと呼び寄せたのかもしれません。

苦しむこともなく、家族に囲まれて静かに旅立ちました。

納棺で右側に向いていたせいか、頬が赤くなっていたが、キレイに化粧をしてもらい、若々しくなった姉の姿が戻ってきました。

午後から栞を作るために係りの人に思い出話をするが、毎週のように焼肉、温泉に行ったりするのが大好きで、仕事が終わると直ぐに家族で出掛けていました。

義兄の漬け物を売り歩く夫を助けて、特に姉の千枚漬けは格別美味しかった。

キュウリ、カリモリ、大根を細かく切って甘い酒粕を混ぜた次郎長漬けは私の大好物でした。

学生時代には夏はカリモリの粕漬けのお手伝い、冬は千枚漬け用の塩漬けをしたカブラを折って、甘酢をビニール袋に入れたり、次郎長漬けをビニール袋に入れたり、年末におせち料理用の漬け物のアルバイトを頼まれて、よく姉のところに手伝いに来たものです。

最近の10年は股関節骨折で、殆んどベットで過ごす日々でしたが、義兄の介護で穏やかに過ごしていました。

家族を大事にし、自分のことは後回しで、義兄の兄妹の面倒をよく見ていた姉でした。

遺影の写真も出来て、優しい姉の写真が写し出されていました。

名刺の大きさの写真は持ち歩くにも便利で、夫の写真も作って見ようかな。

今日は葬儀所では泊まれないというので、兄に送ってもらって帰ってきました。

明日の夕方が通夜で、明後日が告別式になりました。

親族みんなで見送りたい物です。

今日の万歩計は、8,680歩でした。




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