今日は、久しぶりにいい天気。
庭掃除や、買い物等、久しぶりに家事にいそしんだ。
本書は、先月出たばかり。
早速読んでみたが、力作ではあるものの、どう読んでいいのか、最後までわからなかった。
基本的には、著者の雲南省を中心とした少数民族に残る歌垣を中心とした風習と、万葉集に詠まれた歌との共通点を研究しているのだが、それが、人間の本源的な思いから来るものなのか、何等かの形で、奈良時代、この歌垣の風習が日本に伝わったものなのかは、説明していない。
たぶん、いくら似ている点があるにしても、それが、奈良時代の日本に伝わったというのは無理があると考えたのだと思う。
稲作や、さまざまな食事(私も、東南アジアを回っている時驚いたものがいくつかある)など、はるか昔に人類の移動と共に伝わったものではないかと強く思われるものがある。
一方、少数民族の歌は、もともと文字も言葉も違い、それが、当時に中国語に翻訳されて、それが日本に伝わったということは考えにくい。
そもそもの言葉も違うのだから、風習が伝わることとは次元が違う。
とはいえ、雲南省の風習は、興味の湧くもので、今(と言っても筆者が滞在した20年ほど前)も、通い婚が続いている。それが、別に不都合でもないという。
この1月に、たまたま雲南省の民族村に行ったばかりだったので、実感もわく。
雲南省の北の方は、四川省に通じており、チベットの僧の存在も大きかった。
この辺りも、面白いところだ。
日本では、訓読とは、漢字を日本語読みすることをいうが、元々は、中国で、仏教を翻訳する時、梵語を中国語読みすることを訓読と言ったのだそうだ。
そのまま万葉仮名のように読む場合ももちろんあった。
筆者の研究も、まず、少数民族の言葉を、中国語に翻訳してもらい、その翻訳文を通じて研究している。
雲南省の少数民族の中には、人口がかなり少ない民族も含まれており、彼らの言葉や文化は、だんだん忘れられていくのだろう。だからこそ、このような研究は重要だ。
日本のアイヌの文化は、どうだったろう。
本書の本題と副題が逆のような気がする。