ここは雑感。私自身の考えなので面白くないとは思います。「教育」という観点ではないのかもしれない。
「やってもらって当たり前」という感覚。例えば「練習計画」を作る。これは選手からすれば「顧問なんだから当然だ」という話になるのかもしれません。「与えてもらうのが当然」という感覚になると「やってもらえない」ことに不満が生じる。勉強も「教えてもらうのが当たり前」となり補習や個別指導が入るのが「当たり前」だと感じるようになる。「補習をやってほしい」と望んだ時に「用事があるから無理」と断られると「面倒見がよくない」と批判される。
このことはずっと感じていました。blogにも書いてきたと思います。
先日、親しい指導者と「反省会」を実施していた時に感じたことがあります。これは以前からの自分自身の課題となる部分でした。まーこの人は悪意なく毒を吐きます。かなり手厳しい発言が多い(笑)
これまで私自身、「これだけやっているのだから」という感覚がありました。練習にしても生活にしてもかなりの部分で「選手のために」という感覚を持っていました。練習計画も立てますし、毎日グランドで練習を見る。それも「当たり前」だと。更に取り組みが甘いなと感じた時にはその都度、「こんなことでは強くならない」と叱咤激励していました。それは「選手のためになる」と盲信していたからです。
が、会話をしている時にふと感じました。実は私自身の感覚がおかしいのではないか、と。いつの間にか「自分がこれだけ本気で指導しようとしているのだからそれに応えるのが当たり前だ」と思っているのではないか。以前から「そんなに求められていないのだから」と言われていましたが、冷静に考えると「確かに」と思う部分が出てきました。
世の中は千差万別。全員が「絶対に強くなってやろう」と思っているわけではありません。学校によって温度差はありますし、個人によっても温度差がある。よくよく考えてみると私自身が高校時代もそうだったと思います。指導者はいません。自分でやるしかない。私は何が何でも強くなりたいと思っていました。が、周囲はそうでもない。明らかな温度差がありました。「なんで必死にやらないのか」と口論になったこともある。が、結局平行線のままでした。
今考えるとそれってある意味「当然」のことではないか?競技自体はそれぞれの価値観でやっている。「陸上競技部」ですから「強くなるためにやる」というのは必然です。しかし、その「強くなりたい」という「想い」の強さには明らかに差が生じる。県総体に出叙するために「強くなりたい」と願うのか。インターハイで勝負するために「強くなりたい」と願うのか。これによって求められる「努力」や「取り組み」も顕著に異なってきます。一律同じことを求めるのは「不可能」ですし、「意味がない」のではないか。
私自身が「これだけエネルギーを注いてでいるのだからやるのが当たり前」という感覚があったと思います。望まれているか、望まれていないかは別にして一律「必死に強くなることを求める」というスタンス。これでは不協和音が生じます。当然の話です。
求められている時にきちんと応えられればいい。そう思いました。こちらがこれだけ真剣にやるのだから選手もそれに応えるのが当たり前という感覚は捨て去らなければいけないと思います。平等という意味でもそこの感覚は持ち続けたい。
「絶対に強くやりたい」と思う者がいればそれにきちんと応える。そこが平等。一方的なエネルギーの流れではなく双方的なエネルギーでなければいけない。
これに関しては間違っていないと思います。強制するものではないですし、強制されるものでもない。これまでの私が「余計なことをしていた」のではないかと感じています。「やるのが当たり前」だと思う感覚が強かったのだと思います。メニューを提供するのは「当たり前」ではない。逆に自分が勝手にメニューを作って提供しているのだからそれをやるのが「当たり前」ではない。集団としては良くないのかもしれません。しかし、様々な価値観の中で画一的にはできない。
私が理想としてた部分と現実の差はあると思います。理想はあくまで理想であって現実とは異なる。私学や体育コースがある学校とは根本的な差があるのです。そこを受け入れなければ先には進まないなと感じています。
こう見えても真面目な性格です。幅がない。だからこそもう一度しっかりと考えていく必要があると思います。自分の生きている時間を何のために使うのか。他者の時間を奪う事の意味。
全てが当たり前ではない。求めすぎず。その代わり私自身の時間をどのように使うかは自分次第かなと。これに関しては様々な考え方があると思います。批判もされるのでしょうか。本当にこの数ヶ月、いや数年ずっと考えていました。今の自分の存在意義。必要なのか。そうではないのか。
上手くまとまりません。相変わらずです。
「やってもらって当たり前」という感覚。例えば「練習計画」を作る。これは選手からすれば「顧問なんだから当然だ」という話になるのかもしれません。「与えてもらうのが当然」という感覚になると「やってもらえない」ことに不満が生じる。勉強も「教えてもらうのが当たり前」となり補習や個別指導が入るのが「当たり前」だと感じるようになる。「補習をやってほしい」と望んだ時に「用事があるから無理」と断られると「面倒見がよくない」と批判される。
このことはずっと感じていました。blogにも書いてきたと思います。
先日、親しい指導者と「反省会」を実施していた時に感じたことがあります。これは以前からの自分自身の課題となる部分でした。まーこの人は悪意なく毒を吐きます。かなり手厳しい発言が多い(笑)
これまで私自身、「これだけやっているのだから」という感覚がありました。練習にしても生活にしてもかなりの部分で「選手のために」という感覚を持っていました。練習計画も立てますし、毎日グランドで練習を見る。それも「当たり前」だと。更に取り組みが甘いなと感じた時にはその都度、「こんなことでは強くならない」と叱咤激励していました。それは「選手のためになる」と盲信していたからです。
が、会話をしている時にふと感じました。実は私自身の感覚がおかしいのではないか、と。いつの間にか「自分がこれだけ本気で指導しようとしているのだからそれに応えるのが当たり前だ」と思っているのではないか。以前から「そんなに求められていないのだから」と言われていましたが、冷静に考えると「確かに」と思う部分が出てきました。
世の中は千差万別。全員が「絶対に強くなってやろう」と思っているわけではありません。学校によって温度差はありますし、個人によっても温度差がある。よくよく考えてみると私自身が高校時代もそうだったと思います。指導者はいません。自分でやるしかない。私は何が何でも強くなりたいと思っていました。が、周囲はそうでもない。明らかな温度差がありました。「なんで必死にやらないのか」と口論になったこともある。が、結局平行線のままでした。
今考えるとそれってある意味「当然」のことではないか?競技自体はそれぞれの価値観でやっている。「陸上競技部」ですから「強くなるためにやる」というのは必然です。しかし、その「強くなりたい」という「想い」の強さには明らかに差が生じる。県総体に出叙するために「強くなりたい」と願うのか。インターハイで勝負するために「強くなりたい」と願うのか。これによって求められる「努力」や「取り組み」も顕著に異なってきます。一律同じことを求めるのは「不可能」ですし、「意味がない」のではないか。
私自身が「これだけエネルギーを注いてでいるのだからやるのが当たり前」という感覚があったと思います。望まれているか、望まれていないかは別にして一律「必死に強くなることを求める」というスタンス。これでは不協和音が生じます。当然の話です。
求められている時にきちんと応えられればいい。そう思いました。こちらがこれだけ真剣にやるのだから選手もそれに応えるのが当たり前という感覚は捨て去らなければいけないと思います。平等という意味でもそこの感覚は持ち続けたい。
「絶対に強くやりたい」と思う者がいればそれにきちんと応える。そこが平等。一方的なエネルギーの流れではなく双方的なエネルギーでなければいけない。
これに関しては間違っていないと思います。強制するものではないですし、強制されるものでもない。これまでの私が「余計なことをしていた」のではないかと感じています。「やるのが当たり前」だと思う感覚が強かったのだと思います。メニューを提供するのは「当たり前」ではない。逆に自分が勝手にメニューを作って提供しているのだからそれをやるのが「当たり前」ではない。集団としては良くないのかもしれません。しかし、様々な価値観の中で画一的にはできない。
私が理想としてた部分と現実の差はあると思います。理想はあくまで理想であって現実とは異なる。私学や体育コースがある学校とは根本的な差があるのです。そこを受け入れなければ先には進まないなと感じています。
こう見えても真面目な性格です。幅がない。だからこそもう一度しっかりと考えていく必要があると思います。自分の生きている時間を何のために使うのか。他者の時間を奪う事の意味。
全てが当たり前ではない。求めすぎず。その代わり私自身の時間をどのように使うかは自分次第かなと。これに関しては様々な考え方があると思います。批判もされるのでしょうか。本当にこの数ヶ月、いや数年ずっと考えていました。今の自分の存在意義。必要なのか。そうではないのか。
上手くまとまりません。相変わらずです。
コメントありがとうございます。私のような指導者のblogに目を通して頂き恐縮です。
ここ数年ずっと思うことがありました。主体が選手から私になっているのではないか?私が引っ張り続けているのではないか?そこの感覚が強くなっていました。これではあまり良いことはないかなと。
基本的なスタンスは変えない。それでも求められない時にはわざわざ私が出ていくのは違うのではないか?そう考えています。タイミングというのがあってそれに応じて指導するのが私の「役割」なのではないか。正解かどうかは別にしてそう思っています。
チーム状況が悪いという意味ではなく、私自身のスタンスの見直しが必要かなと考えています。
客観的に見られて私が間違っているということも多々あるかもしへません。それでも進んでいきたいと思います。
先生のブログには共感できる部分も多く、毎回の更新を楽しく拝見させて頂いています。
一生懸命な姿勢を全ての生徒が受け入れてはくれませんが、その熱い想いは必ず伝わっていると思います。
頑張ってください!