金曜日に東洋大学エクステンション講座「坂口安吾と現代」の3回目に参加。
「安吾の第二芸術論」と題して、東洋大学文学部教授 谷地快一先生の講義。
お話はまず、藤原公経の
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
の歌を例に、その後ろの七七が切り離されて出来た俳句というものの特性に触れられた。
その後桑原武夫の第二芸術論が生れるまでの時代背景の話があった。ここでは秋櫻子のホトトギス脱退に始まる新興俳句運動について、「痛々しい挑戦」であったとの指摘が印象に残った。
桑原武夫の「第二芸術論」は例句として取り上げられた句に対する読みの問題で、桑原に四季の変化から美学、無常、思想へとつながる俳句の特性を読み取る視点が欠けていたとの指摘があった。
最後に坂口安吾の「第二芸術論について」は、桑原武夫が日本文化全体の批判に俳句や短歌を使ったのは適切でなかったことを、結果的に明らかしたことになったのではないかと話された。
☆☆☆
坂口安吾の「第二芸術論について」は、本人の弁によれば桑原武夫の「第二芸術論」を読まずに書いたという。「よくぬけぬけと」という感じだが、安吾らしいところかもしれない。
「安吾の第二芸術論」と題して、東洋大学文学部教授 谷地快一先生の講義。
お話はまず、藤原公経の
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
の歌を例に、その後ろの七七が切り離されて出来た俳句というものの特性に触れられた。
その後桑原武夫の第二芸術論が生れるまでの時代背景の話があった。ここでは秋櫻子のホトトギス脱退に始まる新興俳句運動について、「痛々しい挑戦」であったとの指摘が印象に残った。
桑原武夫の「第二芸術論」は例句として取り上げられた句に対する読みの問題で、桑原に四季の変化から美学、無常、思想へとつながる俳句の特性を読み取る視点が欠けていたとの指摘があった。
最後に坂口安吾の「第二芸術論について」は、桑原武夫が日本文化全体の批判に俳句や短歌を使ったのは適切でなかったことを、結果的に明らかしたことになったのではないかと話された。
☆☆☆
坂口安吾の「第二芸術論について」は、本人の弁によれば桑原武夫の「第二芸術論」を読まずに書いたという。「よくぬけぬけと」という感じだが、安吾らしいところかもしれない。
次の「吹雪物語」読み始めましたよ。
安吾の人気はどうなんでしょう。「第二芸術論について」はすごく短い文章です。是非感想お聞かせ下さい。
お体お大事に!