「現代能楽集 イプセン」を池袋の東京芸術劇場で見た。
作・演出 坂手洋二 出演 馬渕英俚可、紺野美沙子、鴨川てんしなど。
イプセンの戯曲の「人形の家」「ブラン」「野がも」「ヘッダ・ガブラー」の四本を坂手が「現代能」のイメージで生まれ変わらせた作品という。四本が途中休憩なく連続で演じられる。
見ながら終始頭にあったのは、何故「現代能楽集」という題にしたのか。何故戯曲四本なのかということ。
「ノーラは行ってしまった」において、亡霊が生前を語り、その中に見られる静かな手の動きなどに能らしきものは感じられる。また戯曲が能の修羅物、鬘物、狂物などにそれぞれ当てはまるのかと考えてみた。しかし全体を見たとき、能というイメージは余り湧いてこなかった。
坂手は「世阿弥作品を成立させた、一種の感受性のありかたのようなものを、現在の私たちの意識に組み入れた」というのだが・・。
またイプセンの戯曲を四つ集めたのは、イプセンの世界を浮かび上がらせようという狙いなのか、それとも四つイプセンを集めて新しい世界を作ろうとしたのか。私は前者に見たが、劇を見ただけではその意図が見えなかった。
個別の作品では、「ノーラは行ってしまった」の、ノーラが出て行ったその後を描く設定が面白かった。芝居の密度という点では「野鴨中毒」が一番か。
それぞれ面白いのだが、前に坂手作・演出の「神々の国の首都」を見た時に感じた生真面目さが今回も感じられ、どこか閉塞感が残る。
アフタートークは、バー・クレメトセン(ノルウェーナショナルシアター フェスティバル・ディレクター)に坂手洋二が質問する形で、ノルウェーの演劇事情を聞くだけに終わった。演じられた芝居そのものについての話が聞きたかったが、通訳を介しての会話では無理かもしれない。
作・演出 坂手洋二 出演 馬渕英俚可、紺野美沙子、鴨川てんしなど。
イプセンの戯曲の「人形の家」「ブラン」「野がも」「ヘッダ・ガブラー」の四本を坂手が「現代能」のイメージで生まれ変わらせた作品という。四本が途中休憩なく連続で演じられる。
見ながら終始頭にあったのは、何故「現代能楽集」という題にしたのか。何故戯曲四本なのかということ。
「ノーラは行ってしまった」において、亡霊が生前を語り、その中に見られる静かな手の動きなどに能らしきものは感じられる。また戯曲が能の修羅物、鬘物、狂物などにそれぞれ当てはまるのかと考えてみた。しかし全体を見たとき、能というイメージは余り湧いてこなかった。
坂手は「世阿弥作品を成立させた、一種の感受性のありかたのようなものを、現在の私たちの意識に組み入れた」というのだが・・。
またイプセンの戯曲を四つ集めたのは、イプセンの世界を浮かび上がらせようという狙いなのか、それとも四つイプセンを集めて新しい世界を作ろうとしたのか。私は前者に見たが、劇を見ただけではその意図が見えなかった。
個別の作品では、「ノーラは行ってしまった」の、ノーラが出て行ったその後を描く設定が面白かった。芝居の密度という点では「野鴨中毒」が一番か。
それぞれ面白いのだが、前に坂手作・演出の「神々の国の首都」を見た時に感じた生真面目さが今回も感じられ、どこか閉塞感が残る。
アフタートークは、バー・クレメトセン(ノルウェーナショナルシアター フェスティバル・ディレクター)に坂手洋二が質問する形で、ノルウェーの演劇事情を聞くだけに終わった。演じられた芝居そのものについての話が聞きたかったが、通訳を介しての会話では無理かもしれない。