東洋大学エクステンション講座「坂口安吾と現代」の4回目。
今回は〈安吾における放浪の意味ー「吹雪物語」を中心にー〉 講師は東洋大学文学部教授 朝比奈美知子先生
お話は安吾の初期の作品からその放浪嗜好をさぐることから始まった。
中心となる『吹雪物語』については、フランスのネルヴァルの『オーレリア』を比較文学論的に取り上げられた。二つの文章の創作の動機には「狂気の理性による制御」と「女性の探求」という二点に共通性があり、安吾はネルヴァルから着想を得たと考えられる。そして「吹雪物語」の主人公の野々宮と卓一は似たところもあるが、夢が現実を殺してしまった野々宮と理性の実現を目指す卓一とは違っていると指摘された。
最後に『吹雪物語』は安吾が書きながら自分を見い出すような作品、言い換えれば安吾自身が作品の中で放浪しているのだと結論づけられた。
☆
私の感想
『吹雪物語』は正直言って登場人物の描き分けが出来ていない小説ではないか。登場人物が男も女もみんな坂口安吾なのである。
男女の関係や生き方にそれぞれが、悩んでいるようでもあり、実際はそうでもないようであり、ぐだぐだと話はつづく。
ただ安吾の凄いのは、それでも最後まで読ませられてしまう情熱と文章力である。
その意味で朝比奈先生の安吾自身が作品を書きながら放浪しているという指摘に共感した。
今回は〈安吾における放浪の意味ー「吹雪物語」を中心にー〉 講師は東洋大学文学部教授 朝比奈美知子先生
お話は安吾の初期の作品からその放浪嗜好をさぐることから始まった。
中心となる『吹雪物語』については、フランスのネルヴァルの『オーレリア』を比較文学論的に取り上げられた。二つの文章の創作の動機には「狂気の理性による制御」と「女性の探求」という二点に共通性があり、安吾はネルヴァルから着想を得たと考えられる。そして「吹雪物語」の主人公の野々宮と卓一は似たところもあるが、夢が現実を殺してしまった野々宮と理性の実現を目指す卓一とは違っていると指摘された。
最後に『吹雪物語』は安吾が書きながら自分を見い出すような作品、言い換えれば安吾自身が作品の中で放浪しているのだと結論づけられた。
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私の感想
『吹雪物語』は正直言って登場人物の描き分けが出来ていない小説ではないか。登場人物が男も女もみんな坂口安吾なのである。
男女の関係や生き方にそれぞれが、悩んでいるようでもあり、実際はそうでもないようであり、ぐだぐだと話はつづく。
ただ安吾の凄いのは、それでも最後まで読ませられてしまう情熱と文章力である。
その意味で朝比奈先生の安吾自身が作品を書きながら放浪しているという指摘に共感した。
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