小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

吉本隆明『エリアンの手記と詩』のミリカ

2012-09-21 08:32:24 | 読書
 吉本隆明の若書きで22歳頃の作品なのだが、その気になれば自伝風に読めなくもない。
 16歳のエリアンは、イザベル・オト先生の塾で詩を教わっている。(16歳の吉本は深川門前仲町の今氏乙治の私塾に通っていた)
 その塾でエリアンはミリカという少女に恋するが、オト先生が彼女を愛していると知って悩む。そして自殺を図って失敗、「北の山国」に旅立つ。(17歳の吉本は月島の自宅を出て、東北の下宿に移る。米沢高等工業学校に入学)
 エリアンの愛したミリカという少女像は吉本の詩の中に幾度となくあらわれる。「人生が広い野原のようにしか視えない」少女。それに比べてエリアンには人生が深い谷のようにしか視えない。
 しかしミリカも胸を病んで〈私もたいそう大人になりました〉とエリアンに手紙を送る。〈貴方はいつもそうなんです。物陰に隠れてしまった幸せを、皆が奪い合ってしまったあとから、悲しそうに探しているのです〉〈もっと寂しく暗い眼になっている筈の貴方の哀しみ、ミリカはこんどこそ理解出来るはずです〉と。
 そうだろうか。男はいつもミリカのような少女とはすれ違ってしまう。
 吉本に『少女』という詩がある。少し引用してみよう。

「わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちにはきっとわたしがみえない すべての明るいものは盲目と同じに 世界をみることができない」
「彼女たちは世界がみんな希望だと思っているものを 絶望だということができない」

 もとよりオト先生は大人だ。ミリカもエリアンも生きることの現実がわかっていないと指摘する。「二人の相違う性が、相寄って長い歳月を歩むということは、そんなに美しくもなく愉しくもなく、又そんなに醜いことでもない平凡なことだ」と。
 その〈平凡な小さな嫌悪をしずかに耐え〉ていくのが人生だと。
 だから「ああ、わが人よ」などとうたうなかれ、と大人になった吉本は、詩についてのエッセイで書く。


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