小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

マクベインのこと

2005-11-29 20:59:03 | 読書
 エド・マクベインの87分署シリーズ『耳を傾けよ!』を読んだ。マクベインは今年7月に78才で亡くなっているから、これがシリーズ最後の作品かと思ったら、まだ一作未翻訳があるらしい。
 この警察小説シリーズは1956年にスタートしているから、なんと約半世紀続いたことになる。まだ30才で、純文学で芽を出しはじめていた作家は、このシリーズをてがけるとき、自分のキャリアを守るために新しいペンネームを使って、エド・マクベインとした、と語ったことがある。そしてエド・マクベインとして巨匠になった。彼が守ろうとしたジャンルよりも、ミステリというジャンルの方が認知され、支持を得たからである。
 マクべインのすごいところは、衰えをしらぬ文体の若さである。読者を作中に引き込むために卓越した技巧をこらしているのだが、それをさりげなくやってしまうところである。一歩間違うと、読みやすいけれども、たんなる通俗小説の文体になってしまうところで、何かが違うのである。やはり「キャリアを守る」という姿勢がミステリの文体にもあるような気がする。
 同時並行で、3冊か4冊の本を読むという癖のある私は、同じジャンルの本がダブるのは避けるのだが、なぜかこのたびはイアン・ランキンの『血に問えば』とほぼ前後してマクベインを読みはじめ、『耳を傾けよ!』は半日たらずで一気に読み終えたのに、イアン・ランキンの方はまだ半分以上残っている。45才のイアン・ランキンがマクベインより老成した作家のように思えてくるから不思議だ。
 さて、マクベインの文体について云々しても、いささかの引け目はある。それは翻訳文でしか読んでいないからだ。だから、遺作となるらしいFiddlersは原書で読んでみようと一大決心をした。
 なぜマクベインにこだわるかといえば、読み手をいやおうなしに引き込む彼のようなスタイルで小説を書ければいいなと思うからである。文体などというものを意識させないスタイルで、ストーリーそのものが主体である小説。もしかしたら純文学の作家たちが白い目で見そうな小説。クラシック音楽ではなく、ポップ・バラードのような小説。
 
 

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