小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

グレッグ・ルッカの新シリーズ第一作を読む

2011-01-26 11:22:57 | 読書
 小説には二種類ある。身につまされる小説と我を忘れさせてくれる小説の二つだといったのは平野謙であった。
 その身につまされる小説を読まなくなって久しい。実人生で、じゅうぶん身につまされることがらに遭遇しているのだから、さらにその上に小説という架空世界で身につまされることもあるまい、という気分だし、昨今の小説に、わがことのように読めそうな小説が見当たらないからである。
 ざっくり言えば、「身につまされる小説」はいわゆる純文学ということになるが、私は純文学は昭和で終ったと思っている。読まずに何を言うのかと反論されそうだが、齢を重ねれば、それぐらいの嗅覚ははたらくのである。平成の純文学というもののイメージは結べない。
 さてグレッグ・ルッカという1970年生れの現代のハードボイルド作家の私はフアンである。我を忘れさせてくれる小説の優れた書き手だ。ボディガードのアティカス・シリーズはすべて読んでいたが、未読だった新シリーズの第一作をこのほど読んだ。『天使は容赦なく殺す』(佐々田雅子訳・文芸春秋)。思わせぶりな邦題だが、原題は「ゼントルマンズ・ゲーム」。イギリスのSIS特殊作戦部特務課の主席特務官が主人公なのだが、なんとこれが女性なのである。
 テロリストの精神的支柱となる人物の暗殺指令を実行したら、国際政治学上の力学のはざまで、自分の組織からも裏切られ、孤独な脱出をはかる物語であった。読んでいるさなかにロシア空港の自爆テロのニュースがあり、小説の自爆テロ場面と妙にシンクロしたのだが、ともかく細部の描写に元手のかかったエンターテイメントなのだ。
 彼の小説は迫真のアクションシーンが話題になるが、ほんとうは全編に通底するパセティックなやるせなさが魅力だと思う。ヒーローないしヒロインに読者の感情を移入させる仕掛けに時間をかけて、いったん読者が没入するや後半を一気に読ませ、後味に悲哀の余韻をただよわせる小説とでも評すればいいのだろうか。
天使は容赦なく殺す
グレッグ ルッカ
文藝春秋


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