小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

倉橋由美子『ヴァージニア』 〈ヒロインシリーズ 9〉

2012-09-28 09:39:04 | 読書
 ヴァージニアは、アイオワ大学大学院の学生である。両親はともに学者でスウェーデン人、」彼女自身は米国生まれで、ニューヨークのカレッジを卒業して小学校の教師をしていた。結婚して二児を生んだが、夫と別居し、再び大学院生となっている知的な女性だ。
「他人の気持をさとる鋭敏さ、他人を傷つけることを強度におそれるつつましさをヴァージニアはもっていた。そしてこれは通常女には欠けているものであり、アメリカ人の場合には男にも欠けていることが多い」
とは、日本からの留学生ユミコの感想である。
 そのヴァージニアは、クラスの男子学生のほとんどと肉体関係を持っている。むろん彼女が色情狂であるわけではない。彼女の無限のやさしさといったものが、そうさせるのであるけれど、留学生ユミコにとっては、そこのところが謎である。
 ひとがひとを知るということには「媾わる」という認識のエロティシズムがあると、作者は言う。作者らしい独特な視点である。
 既成の小説概念を打破しようとする倉橋作品から、ヒロイン像を抽出しようなどというのは実は無謀な試みである。作者の最も毛嫌いすることであるはずだ。ほんとうのヒロインは、語り手であるユミコ、すなわち倉橋由美子そのひとであるというべきかもしれない。
 それにしても、その歯切れのいい文体、向こう意気の強い語り口は、しばしば私に「土佐の女」を感じさせた。ハチキンの文章だ、と思ったのであるが、同郷の後輩の言として許してほしい。
 ユミコが日本に帰ることになる。
「わたしは永い友情というものを信じない。多くの人間との関係を切りはらって独りになること、これがわたしの根源的な欲求なのだということをわたしは知っている」
 強がりとまるで感傷を排したような章句で綴られるヴァージニアとの別れ。最終章での切ないまでの哀しさを、乾いた文体で印象づけるなんて、ずるいよな、倉橋さんは。リリシズムに裏打ちされた非情な文体といえば、まるでハードボイルドではないか。そう、この作品は、倉橋流の友情と別れのハードボイルドなのである。


(蛇足のような附記)新潮文庫では絶版のようである。アマゾンでは古書だけを扱っている。倉橋作品が絶版?と私には不思議な気がする。ため息が出そうなぐらい、本は読まれなくなっているのだろう。
ローカル紙の新米記者だった昔、取材で土佐山田町をうろついたことがある。ある開業医の前を取り過ぎようとして、ふと足が止まった。看板を見ると「倉橋歯科医院」とあった。ああ、倉橋由美子さんのご実家はここかと、その界隈のたたずまいに、あらためて私は目をこらしたものであった。仕事のことは忘れていた。


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