小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

村上春樹のチャンドラー論

2009-03-25 21:56:09 | 読書
 村上春樹の新訳によるチャンドラーの『ロング・グッドバイ』(早川書房)の廉価版が、いま書店に並んでいる。清水俊二訳の『長いお別れ』を愛読したものとすれば、村上春樹訳を読むことには妙なためらいがあって、2年前に刊行されたハードカバー版は手に触れることもしなかった。
 ところがこのたびの軽装版の帯には「訳者あとがき90枚収録」とあるではないか。これはしたり、なぜ早く手にとって読まなかったのかと後悔したけれど、その思いは読了後にいっそう濃いものとなった。
 この「訳者あとがき」は、その枚数もすでにして「あとがき」などという範疇を超えているが、立派なチャンドラー論なのである。そして村上春樹のチャンドラーに対するオマージュなのであった。
 村上春樹は言う。「チャンドラーは近代文学のおちいりがちな袋小路を脱するためのルートを、ミステリというサブ・ジャンルの中で個人的に発見し、その普遍的な可能性を世界に提示することに成功した」と。
 これはもう最大の讃辞というべきである。ノーベル文学賞にもっとも近いといわれる村上春樹が、チャンドラーに小説技法という面でも深甚な影響を受けたと告白しているのである。言われてみると、なるほどと思い当たる点があり、村上春樹とチャンドラーという組み合わせが意外でなくなったのは私だけであろうか。
『ロング・グッドバイ』を、「…本当の意味での魂の交流の物語であり、人と人との自発的な相互理解の物語であり、人の抱く美しい幻想と、それがいやおうなくもたらすことになる深い幻滅の物語なのだ」と読み解く村上春樹に、私はむしろ感動した。
 われらが主人公フィリップ・マーロウについては村上春樹はこう書いている。「 寡黙で、タフで、頑固で、機知に富み、孤独で、やくざで、ロマンチックなマーロウ」
 この形容語順のリズミカルな調子に滲むパセティックな文章の味わいが、「訳者あとがき」に漂う心地よさである。
 あとがきだけでも読む価値があると、ミクシィの日記に書いたら、いわゆるマイミクさんのおひとりに感謝された。


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2 コメント

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Unknown (さくら)
2009-03-26 15:23:21
こんにちは。
私も、チャンドラーが好きです。
ともすれば(一部には)揶揄される事もあるハードボイルド世界を、村上氏が理解し賞賛して下さったというのは嬉しい限りです。
実は私、村上氏の書籍(ご本人の著作も含めて)は敬遠しがちだったのですが、この訳書は読んでみようと思います。
ご紹介、ありがとうございました。
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Unknown (伊一郎)
2009-03-26 22:18:38
さくらさん、ようこそ。
チャンドラーを好きな女性は、私にはとてもかっこいい女性に思われます。
村上春樹は「さらば愛しき女よ」の新訳も出すようですよ。
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