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川藻

 6月になった途端に雨が降らなくなった。塾の横を流れる川も、水量が少なくなり、一面に藻が繁殖している。じっと見ていると、余りに繁茂しているので、気持ちが悪い。水に揺られてゆらゆらゆれる姿も、これだけ一面の藻だと、暑苦しくさえ感じられる。

 


この川は、私が小さい頃は陶器工場からの廃液で、ドロドロに白濁していた。陶器を焼く煙突から出る煤とともに、私の街を象徴するものとしてよく語られたものだ。それが、今ではめだかが住んでいる。地元の小学校では、「総合学習」の時間に、川の浄化に取り組んでいる。私の目から見れば、ただの川遊びにしか見えないが、それなりの成果をアピールするためか、よく新聞でも取り上げられている。「めだかの住む川を取り戻そう」というのをモットーにしているようだが、この街は川の白濁とともに成長してきたようなものだから、いったいいつの時代にめどかが住んでいたというのだろう。加藤景正が道元とともに中国にわたって、この街に陶器の技術を伝えたといわれているから、鎌倉時代からずっと川は白く濁っていたはずだ。
 そんな歴史を持つこの川が今はきれいだ。透明な水が流れている。他の土地では当たり前のことなのだろうが、私はなかなか慣れることができなかった。子供のときにドロドロになりながら遊んだ川が、こんなに浄化されるなんて夢にも思わなかったからだろう。しかも、前にも紹介したことがあるが、鴨が棲息している。カルガモだといわれているが、10羽以上が川に浮かびながら餌をついばんでいる。何を食べているのだろう、藻なのか、魚なのか、鳥についてまったく興味のない私はただ遠くから眺めているだけだ。

 

 しかし、この鴨たち驚くことに、時々夜中に大きな声をあげて鳴く。深夜、塾舎で一人作業をしていると、突然、「ギョエー」というような鳴き声が聞こえる。びっくりするが、そのすぐあとに羽音がするので、鴨たちが飛び去っていくのだなと分かる。いったい何が起こったのだろう。アライグマか、ノラ猫が近づいたのかもしれないと推察してみるが、よく分からない。さらに不思議なことに、今年は夜中にもウグイスが鳴く。深夜、バットを振っていると、「ほーほけきょ」とこだまする。少しは遠慮がちだが、それでも夜のしじまに響き渡る。まあ、風流だといえなくもないが、先日は、妻が不満顔で、「寝られなかった」と文句を言っていた。理由を尋ねると、「ウグイスの鳴き声で起こされた」と恨めしそうに言う。都会に住む人が聞けば、何て素晴らしい環境なんだろうと、思われるようなことも妻には安眠を妨げる騒音でしかないようだ。
 夏になれば、セミの声がとって代わる。セミのほうが何倍も騒々しいから、暑くて寝られなかった朝などは、仇敵のように思うが、それも夏の風物詩、我慢しなければならないだろう。
 着々と、日々夏に向かっているが、もうちょっと雨が降ってもいいだろうと、先月の雨の多さを嘆いた私が思う。
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