毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
藤原竜也
我が妻が土・日と埼玉まで藤原竜也の舞台を見に行ってきた。SMAPだけでなく、藤原まで趣味が広がったのは私にとっては、いいのか悪いのかよく分からないが、基本的には何でもありなので、なんら不満を漏らすつもりもない。ただ、あまり入れ込んで欲しくないとは思うが。
藤原竜也、23歳。後のことはよく知らないが、妻に言わせればすごいらしい。どこがって聞くほど彼に興味はないが、舞台もよかったらしい。SMAPのメンバーが出るものは半ば盲目的に支持する彼女のことだから、贔屓の引き倒しって可能性もあるが、とにかくいいらしい。彼女の審美眼を占う格好のものとして、ここんところずっとダメだダメだといい続けてきた木村拓哉のドラマだが、現在放映中の『エンジン』はいいらしい。1度も見たことがないので当てにはしてないが、今回の木村はいいと断言している。(生の肉声は相変わらず、馬鹿丸出しだそうだが)
ところで、23歳ってのは若い。この年で、いやもっと前から舞台俳優として実績を残してきた藤原クンは何も知らない私が見ても、カッコイイし、立派なものだと思う。振り返って、自分が23歳だったときのことを思い出せば、雲泥の差がある。自ら目指すものがある人間と、何も考えずぼんやり暮らしていた者との違いだといってしまえばそれまでだが、自分のできなかったことを成し遂げる人は素直に尊敬しなければならない。尊敬の対象として年齢など関係ない。その人が成し遂げたことが対象となるだけだ。その意味において、日米通算200勝を達成した野茂英雄を称えたイチローの言葉は理解できる。(『投手を目指していた自分ができなかったことを成し遂げた野茂さんはそれだけでも素晴らしい』ー読んだときはちょっと傲慢な気がしたが・・・)
今日は遅く帰って来たので、あまり聞けなかったが、明日またどこがどうすごかったのか聞いてみよう思う。(それより、どこでも行っちゃう彼女のパワーの方がすごいと思うんだけど)
藤原竜也、23歳。後のことはよく知らないが、妻に言わせればすごいらしい。どこがって聞くほど彼に興味はないが、舞台もよかったらしい。SMAPのメンバーが出るものは半ば盲目的に支持する彼女のことだから、贔屓の引き倒しって可能性もあるが、とにかくいいらしい。彼女の審美眼を占う格好のものとして、ここんところずっとダメだダメだといい続けてきた木村拓哉のドラマだが、現在放映中の『エンジン』はいいらしい。1度も見たことがないので当てにはしてないが、今回の木村はいいと断言している。(生の肉声は相変わらず、馬鹿丸出しだそうだが)
ところで、23歳ってのは若い。この年で、いやもっと前から舞台俳優として実績を残してきた藤原クンは何も知らない私が見ても、カッコイイし、立派なものだと思う。振り返って、自分が23歳だったときのことを思い出せば、雲泥の差がある。自ら目指すものがある人間と、何も考えずぼんやり暮らしていた者との違いだといってしまえばそれまでだが、自分のできなかったことを成し遂げる人は素直に尊敬しなければならない。尊敬の対象として年齢など関係ない。その人が成し遂げたことが対象となるだけだ。その意味において、日米通算200勝を達成した野茂英雄を称えたイチローの言葉は理解できる。(『投手を目指していた自分ができなかったことを成し遂げた野茂さんはそれだけでも素晴らしい』ー読んだときはちょっと傲慢な気がしたが・・・)
今日は遅く帰って来たので、あまり聞けなかったが、明日またどこがどうすごかったのか聞いてみよう思う。(それより、どこでも行っちゃう彼女のパワーの方がすごいと思うんだけど)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
マドモアゼルブルース
かつてまだ私が幼かった頃、グループサウンズが一世を風靡した。その中にジャガーズというグループがあり、私は彼らの曲が好きでよく口ずさんでいたものだ。『キサナドゥーの伝説』が多分一番売れた曲だったと思うが、私が最も好きだったのは、『マドモアゼルブルース』だった。今でも何小節かは歌えるが、うろ覚えながら歌詞を書き出してみると、
『たとえ、どんなに僕が辛くても、
シルクのドレスを着せてあげたい。』
これがサビの部分だと思うが、今日車を運転中に何故だかふとこのフレーズが浮かんで来た。思えば、私はこれまで何度となくこのフレーズを繰り返し繰り返し、歌ってきた。歌詞の他の部分は完全に抜け落ちているが、謂わば、呪文のように繰り返したこれだけはしっかりと記憶に残っている。
『たとえ、どんなに僕が辛くても、
シルクのドレスを着せてあげたい。』
何度歌ってもこのフレーズはすごい。自分がどれだけ苦しんでも、どんなに辛い目にあっても、愛する女性にだけは絶対に苦労をかけないという男の決意、それこそが唯一己のレーゾンデエートルだと彼女に告げる男の凄みさえ感じられ、圧倒された気分になる。
そうか、私の原点はここにあったんだ。いくらお金がなくても、ついつい妻に新しい服を買ってやるのが習慣のようになっているのは、私の頭の根底にこのフレーズが息づいているからなのだ。女性の幸せは富ではない、と嘯く人も巷には結構いる。確かに幸せはお金では買えないが、お金がない不幸は世間に掃いて捨てるほどある。お金はあるに越したことはない。ただ必要とする額が人によって違うだけなのだ。
私は今まで何枚妻にシルクのドレスを買い与えただろう。それは彼女に聞いてみなければ分からない。本当のシルクでなくとも彼女がシルクだと思ってくれるドレスが何枚かあったなら、まあ、それはそれで芳としておこう。幸せの尺度は人によって違うものだから。
『たとえ、どんなに僕が辛くても、
シルクのドレスを着せてあげたい。』
これがサビの部分だと思うが、今日車を運転中に何故だかふとこのフレーズが浮かんで来た。思えば、私はこれまで何度となくこのフレーズを繰り返し繰り返し、歌ってきた。歌詞の他の部分は完全に抜け落ちているが、謂わば、呪文のように繰り返したこれだけはしっかりと記憶に残っている。
『たとえ、どんなに僕が辛くても、
シルクのドレスを着せてあげたい。』
何度歌ってもこのフレーズはすごい。自分がどれだけ苦しんでも、どんなに辛い目にあっても、愛する女性にだけは絶対に苦労をかけないという男の決意、それこそが唯一己のレーゾンデエートルだと彼女に告げる男の凄みさえ感じられ、圧倒された気分になる。
そうか、私の原点はここにあったんだ。いくらお金がなくても、ついつい妻に新しい服を買ってやるのが習慣のようになっているのは、私の頭の根底にこのフレーズが息づいているからなのだ。女性の幸せは富ではない、と嘯く人も巷には結構いる。確かに幸せはお金では買えないが、お金がない不幸は世間に掃いて捨てるほどある。お金はあるに越したことはない。ただ必要とする額が人によって違うだけなのだ。
私は今まで何枚妻にシルクのドレスを買い与えただろう。それは彼女に聞いてみなければ分からない。本当のシルクでなくとも彼女がシルクだと思ってくれるドレスが何枚かあったなら、まあ、それはそれで芳としておこう。幸せの尺度は人によって違うものだから。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
娘が帰っちゃった。
火曜日の深夜に娘が京都から帰って来た。今回は、アメリカ留学中の高校時代の同級生が一時帰国したのに合わせて、旧交を温めるののが目的だったそうだ。水曜日は一人で名古屋城博に行き、金シャチをなでて来たし、木曜日はその友人と会うため一日いなかったから、3泊した間まともに顔を合わせる時間はほとんどなかった。ただ、出かけるときに駅まで何度か車で送っていったから、運転手の役目だけは果たさせてもらった。ああ、水曜には一緒に昼食を食べに行ったのを思い出した。その折に、妻と京都での様子を話すのを横で聞いていたので、どんな暮らしぶりなのかはおぼろげなりとも窺い知ることができた。例の西部内ボックスを大学が改築しようとしているが、改築が完成したならばボックスの夜間使用を禁止すると通告してきたので、大学側と交渉中であること、娘が所属するサークルの代表として交渉に参加していることを教えてくれた。また、百万遍の角の石垣に学生が勝手に作ったカフェ(?)に入店者が100人を超えたと宣伝してあったとも話した。私が卒業して25年近くなるが、学生の気質は基本的にはあまり変わっていないかなとも思うが、娘を見ていると、こんなにちゃらちゃらした女子学生はいなかったから、見た目は結構変わったんだろうと思う。かく言う私も当時は、周りからかなり浮いた格好をしていたから、まあ、いつの世にもはぐれ者はいるもんだろう。
そのとき百万遍界隈で私がよく利用した店の名前をいくつか挙げてみたところ、今だに営業を続けている店がちらほらあるのには驚いた。娘もたまには行くようなので、親子2代でお世話になっていることになり、えもいわれぬ心持になった。懐かしくもあり、甘酸っぱくもあった20才頃の思い出が甦ってきて、暫く夢見心地になった。同時に娘とこんな話ができるのも不思議といえば不思議、奇妙な縁を感じずにはおられなかった。
その娘が朝一番で京都に戻っていった。午後の授業に間に合うよう、急いで駅まで送っていったが、その時は何の感慨もなく別れた。しかし、先ほど、仕事を終えて家の玄関を開けた瞬間に娘がいなくなったことを実感して一抹の寂しさに襲われた。ここ2、3日帰宅して玄関を開ければ娘のサンダルが転がっており、彼女の甲高い声が必ず耳に入ってきた。それが今夜はない。今から風呂に入ろうと思うが、昨夜までは娘が私より前に風呂を使っており、彼女が出てくるのを待っていなければならなかった。今夜はそれをしなくてもいい。
やっぱり、一人いないと寂しいものだな、と今日はしみじみ思いながら寝ることにしよう。
そのとき百万遍界隈で私がよく利用した店の名前をいくつか挙げてみたところ、今だに営業を続けている店がちらほらあるのには驚いた。娘もたまには行くようなので、親子2代でお世話になっていることになり、えもいわれぬ心持になった。懐かしくもあり、甘酸っぱくもあった20才頃の思い出が甦ってきて、暫く夢見心地になった。同時に娘とこんな話ができるのも不思議といえば不思議、奇妙な縁を感じずにはおられなかった。
その娘が朝一番で京都に戻っていった。午後の授業に間に合うよう、急いで駅まで送っていったが、その時は何の感慨もなく別れた。しかし、先ほど、仕事を終えて家の玄関を開けた瞬間に娘がいなくなったことを実感して一抹の寂しさに襲われた。ここ2、3日帰宅して玄関を開ければ娘のサンダルが転がっており、彼女の甲高い声が必ず耳に入ってきた。それが今夜はない。今から風呂に入ろうと思うが、昨夜までは娘が私より前に風呂を使っており、彼女が出てくるのを待っていなければならなかった。今夜はそれをしなくてもいい。
やっぱり、一人いないと寂しいものだな、と今日はしみじみ思いながら寝ることにしよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
猫背
私は小さなときからずっと、背が高かったので、いつの間にか背を丸めることが常態となってしまい、猫背と呼ばれるようになってしまった。それでも気付かない人もいる程度であったのだが、最近はすごく目立つらしく、頻繁に妻から指摘される。『今ひどく猫背だよ』と注意されるたびに背筋を伸ばし、真っ直ぐしようとするのだがまたすぐに丸まってしまうらしい。『年寄りみたい』と彼女は言うのだが、見ようによってはもういい加減ジジイになっちまっている。2・3日前に免許証の更新に行って来たが、そのとき撮った写真には、髪は真っ白、まるで覇気のない顔が写っている。あまりの老け顔に、まだ誰にも新しい免許証を見せていないが、他人から見ればこんなジジイにしか見えないんだなと思うと悲しい。いくら誕生日を迎えて47になったとはいえ、まだまだ気は若いままでいるから、見た目と自分の意識の間のギャップはかなりのものだろう。
そういえば、最近ずっと腰が痛い。毎晩欠かさず腹筋や腕立て伏せ、バットの素振りを繰り返しているので、腰に負担がかかっているのかもしれない。それになんだか喉が変だ。痰が絡むというか、喉に圧迫感があるというかどこか変な感じがする。我慢できない程度のものではないので、暫くは様子見の状態だったが、これよりひどくなったりすれば、一度医者に行ったほうがいいだろう。(できれば行きたくない、何故だかよく分からないが、医者は苦手だ)
どうも肉体的には転機を迎えているらしい。今までのようにやっていったら近いうちに手痛い目に会いそうな予感がする。節制して体を点検しなければならない年になったということなのだろう。いつまでも若いつもりでいたいけど、現実にはいつまでも若くないということを肝に銘じておかなければならない。まだまだ老け込むわけにはいかない。自愛しながら、頑張ろう!!
そういえば、最近ずっと腰が痛い。毎晩欠かさず腹筋や腕立て伏せ、バットの素振りを繰り返しているので、腰に負担がかかっているのかもしれない。それになんだか喉が変だ。痰が絡むというか、喉に圧迫感があるというかどこか変な感じがする。我慢できない程度のものではないので、暫くは様子見の状態だったが、これよりひどくなったりすれば、一度医者に行ったほうがいいだろう。(できれば行きたくない、何故だかよく分からないが、医者は苦手だ)
どうも肉体的には転機を迎えているらしい。今までのようにやっていったら近いうちに手痛い目に会いそうな予感がする。節制して体を点検しなければならない年になったということなのだろう。いつまでも若いつもりでいたいけど、現実にはいつまでも若くないということを肝に銘じておかなければならない。まだまだ老け込むわけにはいかない。自愛しながら、頑張ろう!!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
松井って選手は・・・
松井は13日の試合で転倒して足首を捻挫した。連続出場記録を続けている彼がこの怪我で休んだとなると、記録が途切れてしまうことになり、松井ファンならずとも15日の試合に果たして松井が出場するか興味がもたれるところであった。私としてはここ数日来かなり調子が上向いてきたようだったので、この怪我はその勢いに水をさすようで嫌だった。連続記録は松井個人のモチベーションが維持できる1つの要因としては大切だとは思うが、疲れた体や、痛めた体に無理させてまで続けるべきではないと思っている。しかし、松井なら少々の無理をおしてでも出場するだろうなと思っていたら、やはりDHながら先発出場した。
この一報を知ったときはさすがに大丈夫かと心配になったが、松井の強い意志も感じられ、これがよい方向に転べばなと祈りたくもなった。だが、しかし、この男は本当になんて奴だ!第1打席で初球を右中間スタンドに深々と放り込んでしまった。実況を見ていて、思わず『すごい!ほんとかよ!』と叫んだのは日本中で私だけではなかっただろう。見ていた人、ほとんど全ての人が感嘆したことだろう。しかも、第2打席でヒットで出塁し、2塁に進んだ後、後続のバッターのレフと前ヒットで2塁から全力疾走でホームインしてしまった。確かにいつもよりも遅い気はしたが、わずか2日前に痛めた足首の激痛で動けなくなった男の走りではなかった。松井という男は、試合に出れば常に全力を尽くす男なのだと、改めて感じ入った。
松井ファンの掲示板でも、昨夜の暗い雰囲気が一掃され、驚きと喜びと敬意とが入り混じった投稿であふれている。私も興奮して思わず、意味不明の投稿をしてしまったが、それだけ今日の松井には熱くなった。どんなに不調時でもきちんと報道陣の質問に答える真摯な姿勢と野球にかけるひたむきな思いが見る者に伝わるからこそ、松井は誰もが応援したくなる Nice Guyなんだろう。
寝る前にもう一度(もっとかな)ビデオを見てから、眠ることにしよう。。
この一報を知ったときはさすがに大丈夫かと心配になったが、松井の強い意志も感じられ、これがよい方向に転べばなと祈りたくもなった。だが、しかし、この男は本当になんて奴だ!第1打席で初球を右中間スタンドに深々と放り込んでしまった。実況を見ていて、思わず『すごい!ほんとかよ!』と叫んだのは日本中で私だけではなかっただろう。見ていた人、ほとんど全ての人が感嘆したことだろう。しかも、第2打席でヒットで出塁し、2塁に進んだ後、後続のバッターのレフと前ヒットで2塁から全力疾走でホームインしてしまった。確かにいつもよりも遅い気はしたが、わずか2日前に痛めた足首の激痛で動けなくなった男の走りではなかった。松井という男は、試合に出れば常に全力を尽くす男なのだと、改めて感じ入った。
松井ファンの掲示板でも、昨夜の暗い雰囲気が一掃され、驚きと喜びと敬意とが入り混じった投稿であふれている。私も興奮して思わず、意味不明の投稿をしてしまったが、それだけ今日の松井には熱くなった。どんなに不調時でもきちんと報道陣の質問に答える真摯な姿勢と野球にかけるひたむきな思いが見る者に伝わるからこそ、松井は誰もが応援したくなる Nice Guyなんだろう。
寝る前にもう一度(もっとかな)ビデオを見てから、眠ることにしよう。。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
誕生日
今日は誕生日、47回目の誕生日、うれしいな、うれしいな。
何て口ずさみながらスキップでも踏めたらいいんだけど、また1つ齢を重ねたと思うと喜んでなどいられない。何しろ、充実した毎日を送っているわけでもなく、ただただ忙しがっているだけなので、年をとり、それなりに社会的責任が徐々に重くなってきているはずなのに、その負託に応えていない思いばかりが募ってくるのだ。誰もお前なんかに期待してないよ、という声がどこからともなく聞こえてくるが、ここまで生きてきた以上、何らかの証を残していかなければならない。
今思ったのだが、47といえば、日本男性の平均寿命の約3分の2は生ききったことになる。ということはこれからうまく生きれたとしても、今まで生きてきた分の半分がいいとこってことになる。う~~ん、そうなのか。いつまでも生きられるという錯覚を持ったまま暮らしているので、あまり真剣に考えたことはなかったが、確かに残された時間は大分少なくなった。この少なくなった時間はやっぱり有意義に使わなければいけない、というよりも損だ!このまま大したことも成さずに死んでしまったら、何のために生まれてきたのか分からない。
だが、最低でも5年は子供のために働かなければならない。(まあ、今のところこれが最大で唯一のモチベーションだが)5年は今までどおり、がむしゃらにやっていこうと決めている。その後に私に元気が残っていたら、その時には何か景気付けに派手なことをやってやろう。私が死んでからも、あのときのあの人は光っていたね、と頭の片隅に残るようなことをやってやろう。決めた!その日が来るまで今まで以上に頑張っていこう。そして、いざそのときが来て派手な何かを思いついていたとして、それを実行に移しても誰からも後ろ指を指されないよう準備をして行こう。
以上、47歳になってのこれからの人生プランでした。
何て口ずさみながらスキップでも踏めたらいいんだけど、また1つ齢を重ねたと思うと喜んでなどいられない。何しろ、充実した毎日を送っているわけでもなく、ただただ忙しがっているだけなので、年をとり、それなりに社会的責任が徐々に重くなってきているはずなのに、その負託に応えていない思いばかりが募ってくるのだ。誰もお前なんかに期待してないよ、という声がどこからともなく聞こえてくるが、ここまで生きてきた以上、何らかの証を残していかなければならない。
今思ったのだが、47といえば、日本男性の平均寿命の約3分の2は生ききったことになる。ということはこれからうまく生きれたとしても、今まで生きてきた分の半分がいいとこってことになる。う~~ん、そうなのか。いつまでも生きられるという錯覚を持ったまま暮らしているので、あまり真剣に考えたことはなかったが、確かに残された時間は大分少なくなった。この少なくなった時間はやっぱり有意義に使わなければいけない、というよりも損だ!このまま大したことも成さずに死んでしまったら、何のために生まれてきたのか分からない。
だが、最低でも5年は子供のために働かなければならない。(まあ、今のところこれが最大で唯一のモチベーションだが)5年は今までどおり、がむしゃらにやっていこうと決めている。その後に私に元気が残っていたら、その時には何か景気付けに派手なことをやってやろう。私が死んでからも、あのときのあの人は光っていたね、と頭の片隅に残るようなことをやってやろう。決めた!その日が来るまで今まで以上に頑張っていこう。そして、いざそのときが来て派手な何かを思いついていたとして、それを実行に移しても誰からも後ろ指を指されないよう準備をして行こう。
以上、47歳になってのこれからの人生プランでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
今日は暑かった
今日は真夏のように暑い1日だった。さすがに今日は半袖のシャツに着替えたけど、それでも暑かったから、いやになった。クーラーのかかった部屋の中でできる仕事だからいいですね、と言われたこともあるが、冷房中の部屋から外に出た瞬間のあのむっとした熱気が一気に体力を奪うように襲ってくる瞬間は苦しい。クーラーのきいた部屋の仕事も、傍目で見るほど楽ではないのだ。
塾の仕事というのは、他人から見ればかなりオイシイ仕事に見えるらしい。赤ペン1本あれば、後は何も必要ではなく、月謝が丸々懐に入る、という誤解が世間に蔓延しているようだ。しかし、人が見るほど楽な稼業じゃ決してない。
まず第一に、塾といえども接客業なのだ。子供におもねっていては、ろくな授業はできない。かといって厳しいだけでは今の子供はついてこない。アメと鞭を上手に使い分けることができなければ、教室運営は難しい。いやとなったら今の子供は我慢しない。あれこれ文句を言って、いい加減かき回しておいてから、『塾やめます』と去って行った者たちも結構いる。生徒が来なくては始まらないが、退塾を恐れていては塾が成り立たなくなってしまう。長い経験から、『去るもの追わず』の姿勢が1番だと思い、やる気のないものは去れというスタンスでやってきたが、これからもこの姿勢を貫徹していこうと思っている。
また、部外者には分かりにくいのかもしれないが、塾を運営していくには必要経費がかなりかかる。特に我が塾は無料で送迎バスを走らせているのでバスの維持費も高い。それに人件費、いいスタッフを集めるにはそれなりのお金が必要だ。幸いなことに、塾舎は自前のものなので、家賃やらテナント料などはかからないが、どこか建物を借りてなどとなったら、とてもやっていけないだろうという気がする。
何をやるにしてもお金がかかる。いやだと言ってもお金がなくては先に進めない。お金を少しでも多く得るにはどうしたらいいか、私の最も不得意分野でまた今日も、明日も頭を悩ませなければいけない。しゃあない、ふっーとため息ついて、また明日も頑張ろう!!
塾の仕事というのは、他人から見ればかなりオイシイ仕事に見えるらしい。赤ペン1本あれば、後は何も必要ではなく、月謝が丸々懐に入る、という誤解が世間に蔓延しているようだ。しかし、人が見るほど楽な稼業じゃ決してない。
まず第一に、塾といえども接客業なのだ。子供におもねっていては、ろくな授業はできない。かといって厳しいだけでは今の子供はついてこない。アメと鞭を上手に使い分けることができなければ、教室運営は難しい。いやとなったら今の子供は我慢しない。あれこれ文句を言って、いい加減かき回しておいてから、『塾やめます』と去って行った者たちも結構いる。生徒が来なくては始まらないが、退塾を恐れていては塾が成り立たなくなってしまう。長い経験から、『去るもの追わず』の姿勢が1番だと思い、やる気のないものは去れというスタンスでやってきたが、これからもこの姿勢を貫徹していこうと思っている。
また、部外者には分かりにくいのかもしれないが、塾を運営していくには必要経費がかなりかかる。特に我が塾は無料で送迎バスを走らせているのでバスの維持費も高い。それに人件費、いいスタッフを集めるにはそれなりのお金が必要だ。幸いなことに、塾舎は自前のものなので、家賃やらテナント料などはかからないが、どこか建物を借りてなどとなったら、とてもやっていけないだろうという気がする。
何をやるにしてもお金がかかる。いやだと言ってもお金がなくては先に進めない。お金を少しでも多く得るにはどうしたらいいか、私の最も不得意分野でまた今日も、明日も頭を悩ませなければいけない。しゃあない、ふっーとため息ついて、また明日も頑張ろう!!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
西部講堂
京大西部講堂を googleで検索してみたら、かなりの数のサイトがヒットしたが、その中のひとつを覗いてみたら、昔懐かしい西部講堂の雄姿が拝めた。感動し、思わずプリントアウトしたが建物の概観は昔のままだが、屋根の3つの星が私が学生で出没していた頃には消えかかった赤い星だったのが、今ではきれいな黄色の3つ星になっている。この星がイスラエルのテルアビブ空港で銃乱射事件を犯した日本赤軍の3兵士(?)を称えたものであることを知っているものは今では少ないであろう。
私は大学入学と同時に、西部講堂の斜め横に並んでいるクラブボックスの一角を占めていた『野草を食べる会』なるものに所属し、朝夜の区別なく、そのクラブボックスの辺りを徘徊し続けていたので、西部がまさに私のホウムグラウンドであった。(といっても、朝から深夜まで、講義にもろくすっぽ出席せずに、ただひたすら麻雀をやっていただけなのだが)当時は車の出入りも自由でほぼ無政府状態の地域であった。だからといって、何も危険な場所などではなく、コンサートが開かれる時など、長蛇の列ができたのを覚えている。あのPOLICEが西部講堂でライブをやってたのを漏れ聞きながら麻雀をしていたなんて、今考えるとすごい。
実は、去年から私の娘も京大に通い始め、親の因果が子にまで及んだのか、とうに空中分解した我が『野草を食べる会』のすぐ隣にあったあるサークルに籍を置くことになってしまった。その話を聞いたとき何もそんな過去の亡霊のようなものに縛られなくてもいいのにとは思ったが、娘の考えを尊重するしかないので、黙認した形になっている。いろんな所へ星を見に行ったりして、結構楽しいらしい。
娘の話では、大学側が西部講堂の解体を目論んで、色々圧力をかけているそうだが、私としてはいつまでも京大のシンボルとして残していって欲しい。効率ばかり優先されるこの社会で、これほど無意味な存在は逆に価値があると思うのだが。
私は大学入学と同時に、西部講堂の斜め横に並んでいるクラブボックスの一角を占めていた『野草を食べる会』なるものに所属し、朝夜の区別なく、そのクラブボックスの辺りを徘徊し続けていたので、西部がまさに私のホウムグラウンドであった。(といっても、朝から深夜まで、講義にもろくすっぽ出席せずに、ただひたすら麻雀をやっていただけなのだが)当時は車の出入りも自由でほぼ無政府状態の地域であった。だからといって、何も危険な場所などではなく、コンサートが開かれる時など、長蛇の列ができたのを覚えている。あのPOLICEが西部講堂でライブをやってたのを漏れ聞きながら麻雀をしていたなんて、今考えるとすごい。
実は、去年から私の娘も京大に通い始め、親の因果が子にまで及んだのか、とうに空中分解した我が『野草を食べる会』のすぐ隣にあったあるサークルに籍を置くことになってしまった。その話を聞いたとき何もそんな過去の亡霊のようなものに縛られなくてもいいのにとは思ったが、娘の考えを尊重するしかないので、黙認した形になっている。いろんな所へ星を見に行ったりして、結構楽しいらしい。
娘の話では、大学側が西部講堂の解体を目論んで、色々圧力をかけているそうだが、私としてはいつまでも京大のシンボルとして残していって欲しい。効率ばかり優先されるこの社会で、これほど無意味な存在は逆に価値があると思うのだが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
明日はデートだ!
明日といっても、今から寝て起きたらってことなんだけど、妻と蒲郡プリンスホテルにランチを食べに行く。私が新聞で、あじさいバイキングという催しを当ホテルが行うという記事を見つけ、妻に打診したところ、『そんな所まで2人きりで車で行ったら、必ず喧嘩になるのが落ちだから行きたくない』というつれない返事が返ってきた。さもありなんとは思ったが、ここで妥協したら、またせっかくの休みをグダグダ過ごすだけだと、気持ちを振り絞って、行こう行こうとしつこく誘ったら、しぶしぶ同意してくれた。私だって何も好き好んで喧嘩を売るわけもなく、どちらが元というのでもなく、謂わば自然発生的に険悪な状態になるのが私たちの常だから、お互いが心持を静かに保ち、ゆとりを持って接していけば楽しい時間がすごせるに決まっている。ただ、今まではたまたまうまく行かなかっただけで、今度もうまくいかないと決まったわけでもないから、うまくいくように努力しよう。
心を静かに平らかに保つためには、十分な睡眠が必須条件であるから、今はこれくらいにして、帰ってきたら、その顛末を書き込もう。一旦、終了。
朝目が覚めたら、松井が2安打1打点、1捕殺と攻守にわたり活躍したことが分かった。それだけで気分は溌剌(日本では早朝の試合にあたるため寝不足だが)、梅雨に入ったばかりの天気も晴れ間が広がり、シチュエーションとしては満点だ。後はどれだけこのナイスな気分を維持できるかによるが、まあ普通にやれば何事もなく楽しく過ごせるだろう。さあ、準備をして出かけるぞ!
(to be continued.)
あじさいバイキングというからにはホテルの庭にあじさいが咲き乱れているのかなと思って行ったのだが、ほんのわずかな紫陽花が申し分け程度に咲いているだけだったのには拍子抜けだった。料理は可もなく不可もなく、ただ接客がイマイチかな。まあ、いろいろあったプリンスホテルだからこんなもんかな。ただし、妻はダメ、と一刀両断。今まで一番気持ちがいい接待をしてくれたホテルは娘の大学受験で連泊した京都オークラだとのこと。スタッフ1人1人がオークラのプライドを持ちながらとても親切だったと帰りの車中で熱弁をふるった。さすがSMAP関係でホテルでの宿泊経験が豊富な人間だけあるなと、妙に感心した。
心配された喧嘩などまったくおこる気配もなく、本当に楽しい1日だった。またこうやって出かけようと夢見心地で誘った私に、『たまにはね』と冷水を浴びせかけた我が妻はさすが一筋縄ではいかぬ強者だった。可愛いけどあんたにはかなわない。。。
心を静かに平らかに保つためには、十分な睡眠が必須条件であるから、今はこれくらいにして、帰ってきたら、その顛末を書き込もう。一旦、終了。
朝目が覚めたら、松井が2安打1打点、1捕殺と攻守にわたり活躍したことが分かった。それだけで気分は溌剌(日本では早朝の試合にあたるため寝不足だが)、梅雨に入ったばかりの天気も晴れ間が広がり、シチュエーションとしては満点だ。後はどれだけこのナイスな気分を維持できるかによるが、まあ普通にやれば何事もなく楽しく過ごせるだろう。さあ、準備をして出かけるぞ!
(to be continued.)
あじさいバイキングというからにはホテルの庭にあじさいが咲き乱れているのかなと思って行ったのだが、ほんのわずかな紫陽花が申し分け程度に咲いているだけだったのには拍子抜けだった。料理は可もなく不可もなく、ただ接客がイマイチかな。まあ、いろいろあったプリンスホテルだからこんなもんかな。ただし、妻はダメ、と一刀両断。今まで一番気持ちがいい接待をしてくれたホテルは娘の大学受験で連泊した京都オークラだとのこと。スタッフ1人1人がオークラのプライドを持ちながらとても親切だったと帰りの車中で熱弁をふるった。さすがSMAP関係でホテルでの宿泊経験が豊富な人間だけあるなと、妙に感心した。
心配された喧嘩などまったくおこる気配もなく、本当に楽しい1日だった。またこうやって出かけようと夢見心地で誘った私に、『たまにはね』と冷水を浴びせかけた我が妻はさすが一筋縄ではいかぬ強者だった。可愛いけどあんたにはかなわない。。。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
父母面談
2005年06月11日 / 塾
ここ1週間塾生の父母と面談を続けてきた。今週は私立中受験の生徒の父母を対象にした面談だったが、なかなか面白かった。1人30分程度の約束で話し始めても、思わず1時間近く話してしまう場合もあれば、10分程度でそそくさと帰られる場合もある。塾生の中でも、私立中受験を目指す生徒たちは目標をしっかり持っているだけ、こちらとしてもやりがいがある反面、失敗が許されないプレッシャーはかなりきつい。自分としては毎授業渾身の力を込めているつもりだが、なかなか成績の伸びてこない子もいて頭が痛い。
父母と話すときに必ず言うのは、塾の勉強だけでは何にもならない、家に帰って塾で学んだことをその日の間に必ず復習するように、もし分からなければ次の授業で必ず聞くように家庭で指導してくれということだ。分からなかったことは勿論、分かったと思ったことでももう一度見直し、しっかりと理解しておかなければ後に残らない。積み重ねていくことが勉強する上で、最も大切なことであるから、気付いたこと、分かったこと、大事だと思うことは必ずノートにまとめておけと口をすっぱく言い聞かしているが、それをどれだけ実践しているかは生徒各人の資質による。私がやれといったことをおろそかにしては決してできるようにはならないぞ、と脅してもなかなかやろうとしない子もいて、自身の力不足を痛感することもしばしばだ。
それにしても、生徒の父母がいつの間にか私より年下ばかりになってしまった。塾を始めた当座は、私よりかなり年上の親ばかりだったのに、それだけ私も長くこの仕事を続けていることになるし、それだけ老けたのだ。以前は年上の人に話す感覚で物を言えばよかったのが、最近では生徒の父母に私が教え諭すような口ぶりで話している。それも当たり前で、かつての教え子が今や父母となって自分の子供を入塾させるケースが多くなってきたのだ。親子で私の教え子となる、なんだか夢のようだが、現実にそういう子が結構いる。
孫まで3代私の教え子、というのが実現するには今から20年近くかかるだろう。それまで塾が存続しているか大いに疑問だし、第一私が生きていることさえかなり怪しい。でも、そういう3代塾生がせめて1組だけでも実現するまで私が頑張っていられたら、そのときは塾と私の長寿を祝って、杯を傾けようではないか!
父母と話すときに必ず言うのは、塾の勉強だけでは何にもならない、家に帰って塾で学んだことをその日の間に必ず復習するように、もし分からなければ次の授業で必ず聞くように家庭で指導してくれということだ。分からなかったことは勿論、分かったと思ったことでももう一度見直し、しっかりと理解しておかなければ後に残らない。積み重ねていくことが勉強する上で、最も大切なことであるから、気付いたこと、分かったこと、大事だと思うことは必ずノートにまとめておけと口をすっぱく言い聞かしているが、それをどれだけ実践しているかは生徒各人の資質による。私がやれといったことをおろそかにしては決してできるようにはならないぞ、と脅してもなかなかやろうとしない子もいて、自身の力不足を痛感することもしばしばだ。
それにしても、生徒の父母がいつの間にか私より年下ばかりになってしまった。塾を始めた当座は、私よりかなり年上の親ばかりだったのに、それだけ私も長くこの仕事を続けていることになるし、それだけ老けたのだ。以前は年上の人に話す感覚で物を言えばよかったのが、最近では生徒の父母に私が教え諭すような口ぶりで話している。それも当たり前で、かつての教え子が今や父母となって自分の子供を入塾させるケースが多くなってきたのだ。親子で私の教え子となる、なんだか夢のようだが、現実にそういう子が結構いる。
孫まで3代私の教え子、というのが実現するには今から20年近くかかるだろう。それまで塾が存続しているか大いに疑問だし、第一私が生きていることさえかなり怪しい。でも、そういう3代塾生がせめて1組だけでも実現するまで私が頑張っていられたら、そのときは塾と私の長寿を祝って、杯を傾けようではないか!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |