先日の愛媛県移動の空き時間を使って御朱印&風景印巡りをしてきました。
南予(大洲・宇和島)は既にご紹介済みですので、今回は松山周辺からご紹介します。
まずは砥部町の理正院から。移動運用の行った金比羅山の麓にあります。
807年に空海が伊予国司であった越智宿禰實勝と大日如来を祀るお堂を建て創建とする真言宗智山派のお寺です。その後鎌倉年間に伊予の豪族であった河野通信・通俊親子が金毘羅大権現を合わせて祀っています。裏山が金比羅山なのはこれに由来するようです。
江戸初期に松山城主の加藤嘉明が山門などを再建しています。理正院は伊予十三仏霊場の霊場となっていますので御朱印を頂けます。
理正院の御朱印です。お接待で甘酒飴を頂きました。ありがとうございました。
続いて道後から。道後温泉駅から続く商店街のアーケードの途中、左に道後郵便局の案内があります。
これを進むと道後郵便局があります。
道後郵便局の風景印です。道後温泉本館や湯玉などが描かれています。「愛媛」の文字が後年付け足されたようですが、デザイン自体はかなり古いものだと思われます。
道後温泉駅からバスで5分ほどで石手寺があります。
四国八十八ヵ所の51番として知られ、お参りする方の多いお寺です。
728年に越智玉純が熊野十二社権現を祀り、さらに翌年に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置したとされます。その後813年に空海が真言宗に改めたとされ、現在は真言宗豊山派のお寺です。
当初は安養寺という名前でしたが、遍路の元祖とされる衛門三郎の伝説から石手寺に改められています。衛門三郎は伊予を治めていた河野一族の豪農であり、ある日みずぼらしい僧侶が托鉢に訪れたものの追い返し、鉢をたたき割ったとされます。その後子供達が次々と死に、枕元に立った托鉢の僧が空海で会ったことを知り空海に詫びるため四国巡礼の旅に出たとされます。
何度も巡礼を重ねるものの会うことができず、逆回りをしている途中に阿波の杖杉庵で倒れ死を悟ったときに空海が現れ「来世は人の役に立ちたい」と願い息を引き取ります。空海が「衛門三郎」と書いた石を三郎に握らせ葬ったところ、翌年河野息利に子供が生まれ、「衛門三郎」と書かれた石を握っていたことからこの石を安養寺に奉納し石手寺と改められたそうです。
仁王門は鎌倉期に建てられ今に残っており国宝に指定されています。三重塔も鎌倉期のもので重要文化財に指定されています。
本堂も鎌倉末期のもので重要文化財です。
石手寺の御朱印です。
石手寺の御影です。
納経所のそばには伊予柑の接待がありました。接待はお遍路さんへの心遣いであり、かつては弘法大師と一緒に死を覚悟して巡礼を行っていたお遍路さんへ接待を行うことで自らも功徳を積むことができるとされます。「衛門三郎のようなことをしちゃいけませんよ」という意味からも深いものがあります。
あ、もう一つの石手寺の名物がこちらの五十一番食堂の「やきもち」です。米粉で作った平べったい餡入りのお餅を焼いています。素朴な味です。
続きます。
南予(大洲・宇和島)は既にご紹介済みですので、今回は松山周辺からご紹介します。
まずは砥部町の理正院から。移動運用の行った金比羅山の麓にあります。
807年に空海が伊予国司であった越智宿禰實勝と大日如来を祀るお堂を建て創建とする真言宗智山派のお寺です。その後鎌倉年間に伊予の豪族であった河野通信・通俊親子が金毘羅大権現を合わせて祀っています。裏山が金比羅山なのはこれに由来するようです。
江戸初期に松山城主の加藤嘉明が山門などを再建しています。理正院は伊予十三仏霊場の霊場となっていますので御朱印を頂けます。
理正院の御朱印です。お接待で甘酒飴を頂きました。ありがとうございました。
続いて道後から。道後温泉駅から続く商店街のアーケードの途中、左に道後郵便局の案内があります。
これを進むと道後郵便局があります。
道後郵便局の風景印です。道後温泉本館や湯玉などが描かれています。「愛媛」の文字が後年付け足されたようですが、デザイン自体はかなり古いものだと思われます。
道後温泉駅からバスで5分ほどで石手寺があります。
四国八十八ヵ所の51番として知られ、お参りする方の多いお寺です。
728年に越智玉純が熊野十二社権現を祀り、さらに翌年に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置したとされます。その後813年に空海が真言宗に改めたとされ、現在は真言宗豊山派のお寺です。
当初は安養寺という名前でしたが、遍路の元祖とされる衛門三郎の伝説から石手寺に改められています。衛門三郎は伊予を治めていた河野一族の豪農であり、ある日みずぼらしい僧侶が托鉢に訪れたものの追い返し、鉢をたたき割ったとされます。その後子供達が次々と死に、枕元に立った托鉢の僧が空海で会ったことを知り空海に詫びるため四国巡礼の旅に出たとされます。
何度も巡礼を重ねるものの会うことができず、逆回りをしている途中に阿波の杖杉庵で倒れ死を悟ったときに空海が現れ「来世は人の役に立ちたい」と願い息を引き取ります。空海が「衛門三郎」と書いた石を三郎に握らせ葬ったところ、翌年河野息利に子供が生まれ、「衛門三郎」と書かれた石を握っていたことからこの石を安養寺に奉納し石手寺と改められたそうです。
仁王門は鎌倉期に建てられ今に残っており国宝に指定されています。三重塔も鎌倉期のもので重要文化財に指定されています。
本堂も鎌倉末期のもので重要文化財です。
石手寺の御朱印です。
石手寺の御影です。
納経所のそばには伊予柑の接待がありました。接待はお遍路さんへの心遣いであり、かつては弘法大師と一緒に死を覚悟して巡礼を行っていたお遍路さんへ接待を行うことで自らも功徳を積むことができるとされます。「衛門三郎のようなことをしちゃいけませんよ」という意味からも深いものがあります。
あ、もう一つの石手寺の名物がこちらの五十一番食堂の「やきもち」です。米粉で作った平べったい餡入りのお餅を焼いています。素朴な味です。
続きます。