見もの・読みもの日記

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三浦半島の仏像/運慶(横須賀美術館)

2022-08-07 23:43:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

横須賀美術館 開館15周年記念・八百年遠忌記念特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』(2022年7月6日~9月4日)

 横須賀市内に残る運慶および運慶工房作と見られる仏像を中心に、前後する時期の仏像や書跡等、計約50点の文化財を展示し、三浦半島の歴史と文化に新たな光を当てる展覧会。ふだん拝観が難しい仏像が集合しているようなので、遠征して見てきた。私は、2001-02年度は逗子の住人で、葉山に通勤していたので、この一帯には親しみがある。横須賀美術館にも行ったことがあるはず、と思って記録を探したら、2007年、同館の開館記念特別展に来ていた。

 約50点の文化財のうち、仏像は20点くらいだったと思う。白で統一された広い展示室を贅沢に使っていた。冒頭、大善寺の天王立像は1メートル足らずの小像。両腕の先が欠落し、頭部は頬のあたりに大きな亀裂があって、顔面が脱落しかかっている。しかしその破損ぶりが、沈鬱な表情を引き立てて、不思議な魅力を感じさせる。大袖を翻して躍動するポーズ、どっしりした腰回りが、なんとなく東北地方の毘沙門天を思わせた。解説によれば、中尊寺金色堂の増長天の形式を踏襲するもので、平泉の仏像様式の影響が鎌倉周辺に及んでいたことを示すとのこと。あまり記憶がなくて、初見かなあと思ったが、2014年に金沢文庫の『仏教美術逍遥』展で見ていた。

 次に浄楽寺の不動明王立像と毘沙門天立像。厚みのある体躯、太い腕と首、顔の中心に集まったような威圧的な目鼻、運慶らしくて、鎌倉彫刻らしくて、大好きな仏像だ。また2躯の像内から発見された月輪形銘札(しゃもじの柄がうんと伸びたようなかたち)も一緒に展示されており、大願主の「平義盛芳縁小野氏」(和田義盛と妻の小野氏)、製作者の「大仏師興福寺内相応院勾当運慶小仏師十人」の文字が読めた。

 清雲寺の毘沙門天立像は、首が極端に短く、福々しい丸顔が肩の上に乗っているので、童形の武者人形の趣き。りりしくて、かわいい。解説にも「あるいは子供の出生や成長、供養にまつわる造像背景があった可能性もある」という。和田合戦のとき、和田義盛を助けたという説話もあるのだな。赤や青の彩色の跡がわずかに残る。岡崎義実(三浦義明の弟)の念持仏とされる毘沙門天立像は個人蔵で出陳されていた。「岡崎って、あのおじいちゃんよ」とドラマ『鎌倉殿の13人』に出てきたことをちゃんと記憶しているお客さんがいて、感心した。

 続いて、満願寺の観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天立像。みんな猛々しく力強い顔をしている。特に観音菩薩で、こんなに近寄りがたい威厳を感じさせる像は、ほかにないのではないか。いや、天平の観音像も目が入ったら、こんな感じだろうか。

 曹源寺の十二神将立像は、後補である頭上の動物を全く無視して像名を想定し、並べているのが面白かった。矢筈を覗き込むようなポーズの子神の頭上には羊が載っている。左手を額にかざす卯神の頭に載っているのはネズミのようだ。12躯のうち、ひときわ大きく、生身の人間に近い風貌の巳神だけは伝承のまま。巳時生まれの実朝との関係が指摘されているという。

 常福寺の不動明王像及び両脇侍像(矜羯羅・制吒迦)は、三者そろって丸顔で愛らしかった。このほか、ポスターやチラシには、満昌寺の三浦義明坐像と無量寺の聖観音菩薩坐像の写真があったのだが、どちらも7月31日まででお帰りになっていたのは残念だった。三浦義明坐像(5月に鎌倉歴史文化交流館で拝見した)の写真には「一期一会の心でお待ち申し上げております/満昌寺宗寛」という手書きのメッセージが添えてあった。

 仏像以外は、衣笠城址や永福寺跡からの出土品、浄楽寺本堂の壁面に描かれた『釈迦三尊図』(戸川雪貢筆、天保8年)など。三浦義勝の末裔とされる永島家に伝来した文書資料も面白かった。最後に、常福寺・浄楽寺・清雲寺・曹源寺・大善寺・満願寺・満昌寺・無量寺の8か所の案内パネルが掲げてあった。展覧会のサイトには「三浦一族ゆかりの地散策マップ」(PDF版)も用意されている。大河ドラマがもう少し佳境に入ったら、ぜひ巡礼してみたい。あと、いま気づいたのだが、いずれかのお寺の御朱印(日付は問わない)を提示すると、観覧料が半額(500円)になるサービスがあったみたい。これは嬉しい企画。浄楽寺の「限定御朱印」持っていけばよかった!

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