見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お目当ては『平治』と『吉備大臣』/ボストン美術館展(東京都美術館)

2022-08-16 21:54:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京都美術館 特別展『ボストン美術館展 芸術×力』(2022年7月23日~10月2日)

 今年のお盆休みは、感染対策に気をつかいながら(基本的に単独行動で)いろいろ出歩いている。まずは東京編。本展は、世界有数のコレクションを誇るボストン美術館から、エジプトのファラオ、ヨーロッパの王侯貴族、日本の天皇・大名など、古今東西の権力者たちに関わる作品およそ60点を紹介し、力とともにあった芸術の歴史を振り返る。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年に中止となって以来、2年越しの開催となる。

 大好きな『平治物語絵巻・三条殿夜討の巻』と『吉備大臣入唐絵巻』が来ると知って、これは見逃せないと思い、慎重に情報をチェックしたら、会期が長いわりに展示替えがないと分かった。ちょっと驚いたが、ありがたいことだ。職場がお盆休みに入った8/12(金)、開館10分前くらいに到着すると、美術館の周囲に沿って、けっこう長い列ができていた。あらかじめ日時指定券を購入していたので、スムーズに入場。私の前に50人くらいが入場していたと思う。冒頭には、洋画の肖像画が2点並んでいたが、私は一番見たいものから見ることに決める。

 2部屋くらい飛ばして先に進むと、人影が途絶えた先に『平治物語絵巻』が出ていた。一組だけ、ケースを覗き込んでいた二人連れは、私と同様、この絵巻に直行して来たのだろう。ケースの横に立った係員のお姉さんが「お並びいただく必要はございません」「列の後方からもご覧ください」と(たぶん)決められたセリフを小声で繰り返していたが、全くそんな案内が必要な状態ではなかったので、自分のペースで、じっくり眺めることができた。

 図版では何度も見てきた絵巻だが、何度見てもすごい。絵巻の序盤、三条殿に駆けつけようとする大臣、公卿らの牛車で大混乱する場面、牛車に引かれる直前の白いイヌの絶望的な表情に目が留まる。別の大きく傾いた牛車の窓からは、中に乗った貴族の顔が見えている。拡散→密集→拡散→密集を繰り返す群衆表現の巧みさと、ひとりひとりの緻密な描き分け。鮮やかな色彩。折り重なる女房たちの死体、職業的な冷静さで、捕えた者の首を斬る武士など、凄惨な場面にも関わらず、ものすごく美しい。

 私はこの絵巻、2000年に名古屋ボストン美術館(2018年閉館)で初めて見た。その印象があまりに強くて、今回が2回目のような気がしていたが、2012年に東博の『ボストン美術館 日本美術の至宝』で見たことをすっかり忘れていた。

 それから会場入口に戻って、順路に従って見てゆく。「姿を見せる、力を示す」のセクション冒頭の巨大な肖像画はナポレオンだった。ふむ、どこかで見た顔だと思ったら。その隣、青いドレスの少女は、英国のチャールズ1世の娘のメアリーだという(あとで調べて、チャールズ1世はピューリタン革命で処刑された国王と知る)。あとは、エジプトのホルス神のレリーフがあったり、中国・乾隆帝の龍袍があったり。

 「聖なる世界」には、キリスト教の宗教画。ルーカス・クラーナハ(父)にエル・グレコって、日本人の好みの分かった選択ではないだろうか。中国・南宋の『三官図』(伝・呉道子筆)は、3幅に天官・地官・水官の三神とその眷属たちをそれぞれ描いたもの。天官は雲の上で壇上に座り、地官は騎馬して雲に乗り、山の中を行く。水官は龍に跨って海を渡る。激しく波立つ海の描写が独特でおもしろい。元代の『托塔羅漢図』は、あまり奇矯に走らず、写実的な人物表現。平安時代の大日如来像は、図録によれば、体内に長治2年(1105)の墨書銘が確認されているのが興味深かった。あと、二月堂焼経とか中尊寺経とか、祥啓の山水図もボストン美術館にあるのだな。

 「宮廷のくらし」には、インド・ムガル帝国時代の宮廷生活を描いた彩色絵など。「貢ぐ、与える」では、伝・狩野永徳筆『韃靼人朝貢図屏風』がおもしろかった。2曲1隻のほぼ四角い画面の上部(奥)には、船に乗った漢人ふうの一行、下部(手前)には、馬に乗った韃靼人の一行が描かれる。全体を飾る華やかな金雲。この時代、南蛮屏風が多数描かれているけれど、「韃靼人」も人気のモチーフだったように思う。

 最後の「たしなむ、はぐくむ」のセクションは最上階(2F)へ。エスカレータの前に、次は『吉備大臣入唐絵巻』という予告のポップがあって、やばい、混んでいたらどうしよう、と慌てたが、それほどではなかった。広い展示室の三方の壁を使って巻1~4が完全公開されており、3周くらいして、じっくり眺めた。『平治』とは、ずいぶん人の顔の描き方が違う。髭を生やした人物が少ない(または髭が目立たない)ように思う。あと、吉備真備、どう考えてもズルいんだが、知恵比べでは勝てばいいのである。展示には、物語のポイントを示す解説が添えられていたが、1箇所「碁盤」が「基盤」になっていた。そして「碁盤の誤りです」という訂正のキャプションが展示ケースの上に追加されていたが、間違ったキャプション(展示ケースの中)は取り除かれていなかった。これは、展示ケースの中を一定の環境に保つため、展示期間中は容易に開け閉めできないのではないかと想像し、逆に感心した。

 このセクションで印象に残ったのは、南宋の『詩経書画巻』。伝・馬和之筆という絵画が、涼やかで愛らしくてとてもよかった。狩野山雪筆『老子・西王母図屏風』は整然とした構図の墨画屏風。日本初公開とのこと。左隻、西王母より偉そうなおじさんがいると思ったら、「(漢)武帝会西王母」という主題なのだそうだ。最後は、上野にゆかりの増山雪斎の『孔雀図』2幅でまとめていた。

 なお『吉備』は、私は2010年に奈良博『大遣唐使展』で見たのが最初で、2012年に東博でも見た。どちらの絵巻も今回が人生で3回目の出会いになる(正確には、東博の『ボストン美術館 日本美術の至宝』は会期中に2回行ったので4回目である)。欲張りだけど、いつかまた次の機会があることを願う。

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女子の生き方/中華ドラマ『夢華録』

2022-08-10 21:18:25 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『夢華録』全40集(企鵝影視他、2022年)

 中国では今年最高のヒット作と言われているドラマ。舞台は宋・真宗の時代(らしい)。銭塘に暮らす趙盼児は、役人だった父親が皇帝に諫言して罪に問われたため、少女時代に官妓(賤籍)となったが、長じて良民となり、孫三娘とともに茶舗を営みながら、婚約者の欧陽旭が科挙に及第して迎えにくる日を待っていた。あるとき、都の皇城司で「活閻羅(生き閻魔)」と恐れられている顧千帆が、『夜宴図』という絵画を求めて銭塘に下ってきた。かつて銭塘県の県令が所有していた『夜宴図』は、趙盼児の手に渡り、いまは欧陽旭のもとにあった。

 趙盼児は、料理上手の孫三娘、琵琶の名手である宋引章とともに東京(汴京=開封)に上り、欧陽旭を訪ねる。しかし、科挙で探花(第三位)の好成績を得た欧陽旭は、高官の女婿になる約束を交わしていた。悄然と東京を立ち去ろうとする趙盼児たちを引き留めたのは顧千帆。女三人で茶舗「半遮面」を開き、次に酒楼「永安楼」に商売を拡大し、「女の店など認めない」という同業者たちの嫌がらせに屈せず、さまざまな工夫で評判を呼ぶ。生き生きと仕事に励む盼児に惹かれていく顧千帆。

 一方、欧陽旭は本当に心変わりしたわけではなく、高官に睨まれた場合の盼児の身を案じて別れを言い出したはずだったが、人生の歯車が狂って、次第に闇落ちしていく。手元の『夜宴図』に劉皇后の前半生の秘密が描かれていることに気づき、それを皇帝に注進し、顧千帆と趙盼児の罪を捏造しようとするが、皇帝の皇后に対する愛情は揺るがず、失敗。悪人は去り、女性たちはそれぞれの幸せを手に入れる。

 趙盼児(劉亦菲)は、舞踊から蹴鞠まで運動神経抜群で、茶芸にも通じ、教養もあり、商売も巧い。苦境に立てば思い悩み、頭を下げて金策に走り回るが、不当な侮辱には決して屈しない。官家(皇帝)にもはっきり意見を申し上げる。今の社会ならごく普通の女性の姿だが、古装劇で、こういう女性を違和感なく描き出したところが新鮮だった。

 あらゆる困難を、不屈の闘志と才覚(と女どうしのチームワーク)で乗り越えていく盼児に対して、恋人の顧千帆(陳暁)は影が薄い。序盤こそ冷酷無比な武闘派として登場するが、父親との関係に悩んだり、怪我で病床に伏せる描写が多くて、むしろ彼のほうがヒロインぽかった。しかし、別に女主が自力で運命を切り開いても、男主が女主を守り通さなくても、本人たちが幸せならいいのでは?と思う。お互いを信頼し、尊敬しあっている関係が伝わるので、この二人、欧米の映画やドラマに登場するカップルみたいな雰囲気があった。

 孫三娘(柳岩)は、夫も息子もいたのだが、身勝手な夫に息子を奪われ、離縁されてしまう。しかし東京で、風采は上がらないが誠実な杜長風と出会い、30歳で再婚の花嫁衣裳を着る。母親を追ってきた息子にも祝福されて新しい家庭を築く。宋引章(林允)は、はじめ商人に見初められ、趙盼児と孫三娘の反対を押し切って結婚するが、実は財産目当てだったことが発覚。法廷に訴え出て離婚を勝ち取る。東京では音楽好きの風流才子・沈如琢に言い寄られて心を許すが、これも利用されただけと分かる。楽伎という賤籍を脱したい焦りが、男たちに付け込まれてきたことを反省し、琵琶の技量に誇りを持って生きていこうとする。ちなみに三人のスポンサーとなる大金持ちの坊ちゃん・池衙内が最後は宋引章をデレデレと見守っていて、幸せな未来が想像できた。

 この池衙内(代旭)、大言壮語するだけで泣き虫の小心者なのだが、どこか憎めない。ドラマ『無証之罪』でサイコな殺人犯・郭羽を演じた俳優さんで、そのギャップにびっくりした。顧千帆の部下の陳廉は、細身の優男の上に兄弟は姉ばかりという設定で、女性たちとのフラットな付き合い方が巧い。いるなあ、こういう男子。陳廉は、趙盼児らの茶舗に拾われた招娣という元気な少女と相思相愛になるが、「招娣」も「盼児」も、女子より男子を望む気持ちを反映した名前であることが、ドラマの中で語られている。

 趙盼児は酒楼「永安楼」のVIP客のために、飲食だけでなく華麗なショーを提供する。大唐絵巻ふうのショーだが、ダンサーの中に女装した何四(胡宇軒=『将夜』の陳皮皮)が混じっていて笑った。このドラマ、かなり意識的にジェンダーの撹乱を狙っている。原作の古典劇『趙盼児風月救風塵』がどのように換骨奪胎されているのかは読んで調べてみたい。ちなみに導演の楊陽さんも編劇の張巍さんも女性である。全編美しく楽しいドラマだが、顧千帆と父親の蕭欽言(王洛勇)が最後に和解できたのかどうか示されないのが、私には物足りなかった。

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豊かさと抑圧/新彊ウイグル自治区(熊倉潤)

2022-08-08 16:57:34 | 読んだもの(書籍)

〇熊倉潤『新彊ウイグル自治区:共産党支配の70年』(中公新書) 中央公論新社 2022.6

 近年、中国共産党による人権侵害の象徴として語られることの多いこの地域の近現代史を丁寧にたどる。客観的・抑制的な記述で読みやすかった。序章では、新彊が中国の支配下に入った経緯を確認する。民国時代の新彊については初めて知ることが多く、隣国ロシア革命の波及、盛世才の統治、ソ連と蒋介石政権の勢力争い、東トルキスタン共和国の建国と消滅など、非常に興味深く読んだ。

 1949年、王震率いる人民解放軍が迪化(現・ウルムチ)に入り、中国共産党による新彊統治が始まる。初期の解放軍は、統治の正当性を得るため、積極的に地元住民の歓心を買おうとした。新彊省人民政府の要職には現地ムスリムが起用され、毛沢東は少数民族幹部の養成を重視した。しかし共産党に対する抵抗運動は止まず、急進派の王震を批判し、穏健路線を主導したのが習仲勲(習近平の父親)である。へえー。

 この時期、中国共産党にとって脅威となったのは、新彊ムスリムの「親ソ」傾向だった。中国は、ソ連の連邦制とは異なる民族区域自治制度として、1955年に「新彊ウイグル自治区」を誕生させる。この名称にも、いろいろ議論があったことを知る。同じ頃、新彊生産建設兵団が設けられ、漢人移民が急増し、新彊の中国化が急ピッチで進行する。移民政策の原点が、スターリンの助言だったというのは興味深い。というか、中国とソ連の関係は素人には難しくて、よく分からない。

 1950年代後半から70年代、中国は、大躍進運動、文化大革命の荒波に揉まれる。新彊では、東トルキスタン共和国の生き残りであり、毛沢東、周恩来らにも重用されたセイフディンが第一書記となるが、「四人組」への加担を批判され、解任されてしまう。

 1980年代初頭、中国政府は胡耀邦を中心に、民族政策を緩和し、少数民族の自治を保障する方向に動いていた。新彊では、漢人の第一書記・王恩茂→宋漢良の下、制約はあったが、ウイグル人の民族文化の振興が見られた。しかし、民族自治の理想と現実の落差、止まらない漢人の流入、そして核実験と産児制限に抗議する学生デモが、1985年、ウルムチで発生する。中国政府は「改革開放」を加速し、経済発展と貧困対策によって統治の安定を実現しようとした。

 1995年、新彊政府のトップに就任した王楽泉は、ソ連解体(1991年)を教訓とし「分離主義者」の苛烈な取り締まりを断行した。しかし抗議は止まず、各地で爆破事件、暗殺事件などが頻発する。江沢民は、分離主義者の行動に「テロ」を冠し、2001年の9.11事件以後「テロとの戦い」でアメリカと協調する。新彊では抑圧と開発が同時進行したが、中国政府による経済開発は現地ムスリム社会の反発を生む傾向が強まった。

 そして習近平の時代へ。新彊では張春賢書記の下、経済の比重は後退し「反テロ」が重点政策となった。2016年にはチベット安定化を「成功」させた陳全国が着任。テクノロジー(監視カメラ、スマホアプリ)と人海戦術(親戚制度)で住民の監視を強めた。「職業技能教育センター」で悪名高い陳全国だが、設置の素地は前任者の張春賢時代に整えられたものだという。2021年、陳全国に代わって馬興瑞が新書記に就任した。新彊政策の軸足が再び「反テロ」から経済発展に移る可能性も考えられるが、見通しは明らかでない。

 著者は最後に「新彊政策はジェノサイドなのか」という章を設け、見解を述べている。著者は、問題を矮小化するつもりはないことを言明しつつ、新彊のウイグル人やムスリムに向けられた抑圧が、20世紀の「ジェノサイド」という概念で括れるのか、という問題を提起する。少数民族は、殺害・殲滅されようとしているわけではない。しかし彼らは中華民族の一員として教育され、改造されて生きていくしかない。この「一見すると善意のような政権側の認識が、有無をいわさぬ強制的な措置を生み出している」構図は、確かに一面では「ジェノサイド」以上にグロテスクだが、中国史ではおなじみの光景のような気もする。

 私は、1996年(たぶん)の夏に新彊ウイグル自治区をめぐるツアーに参加したことがある。北京からカシュガルに飛び、旅行社の用意したバスで、ホータン、アクス、ウルムチ、トルファンなどを2週間かけて回った。豊かな自然の中で営まれていた、ウイグル農家の暮らしを思い出すと、そもそも「貧困人口」であることの定義も「脱貧困」のための動員も、上から与えられたもの、という本書の指摘が腑に落ちる。また、旅の街角で、私のカタコト中国語(漢語)が通じる場面もあり、全く通じなかった場面もあったことを、いま本書を読み終えて考えている。

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三浦半島の仏像/運慶(横須賀美術館)

2022-08-07 23:43:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

横須賀美術館 開館15周年記念・八百年遠忌記念特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』(2022年7月6日~9月4日)

 横須賀市内に残る運慶および運慶工房作と見られる仏像を中心に、前後する時期の仏像や書跡等、計約50点の文化財を展示し、三浦半島の歴史と文化に新たな光を当てる展覧会。ふだん拝観が難しい仏像が集合しているようなので、遠征して見てきた。私は、2001-02年度は逗子の住人で、葉山に通勤していたので、この一帯には親しみがある。横須賀美術館にも行ったことがあるはず、と思って記録を探したら、2007年、同館の開館記念特別展に来ていた。

 約50点の文化財のうち、仏像は20点くらいだったと思う。白で統一された広い展示室を贅沢に使っていた。冒頭、大善寺の天王立像は1メートル足らずの小像。両腕の先が欠落し、頭部は頬のあたりに大きな亀裂があって、顔面が脱落しかかっている。しかしその破損ぶりが、沈鬱な表情を引き立てて、不思議な魅力を感じさせる。大袖を翻して躍動するポーズ、どっしりした腰回りが、なんとなく東北地方の毘沙門天を思わせた。解説によれば、中尊寺金色堂の増長天の形式を踏襲するもので、平泉の仏像様式の影響が鎌倉周辺に及んでいたことを示すとのこと。あまり記憶がなくて、初見かなあと思ったが、2014年に金沢文庫の『仏教美術逍遥』展で見ていた。

 次に浄楽寺の不動明王立像と毘沙門天立像。厚みのある体躯、太い腕と首、顔の中心に集まったような威圧的な目鼻、運慶らしくて、鎌倉彫刻らしくて、大好きな仏像だ。また2躯の像内から発見された月輪形銘札(しゃもじの柄がうんと伸びたようなかたち)も一緒に展示されており、大願主の「平義盛芳縁小野氏」(和田義盛と妻の小野氏)、製作者の「大仏師興福寺内相応院勾当運慶小仏師十人」の文字が読めた。

 清雲寺の毘沙門天立像は、首が極端に短く、福々しい丸顔が肩の上に乗っているので、童形の武者人形の趣き。りりしくて、かわいい。解説にも「あるいは子供の出生や成長、供養にまつわる造像背景があった可能性もある」という。和田合戦のとき、和田義盛を助けたという説話もあるのだな。赤や青の彩色の跡がわずかに残る。岡崎義実(三浦義明の弟)の念持仏とされる毘沙門天立像は個人蔵で出陳されていた。「岡崎って、あのおじいちゃんよ」とドラマ『鎌倉殿の13人』に出てきたことをちゃんと記憶しているお客さんがいて、感心した。

 続いて、満願寺の観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天立像。みんな猛々しく力強い顔をしている。特に観音菩薩で、こんなに近寄りがたい威厳を感じさせる像は、ほかにないのではないか。いや、天平の観音像も目が入ったら、こんな感じだろうか。

 曹源寺の十二神将立像は、後補である頭上の動物を全く無視して像名を想定し、並べているのが面白かった。矢筈を覗き込むようなポーズの子神の頭上には羊が載っている。左手を額にかざす卯神の頭に載っているのはネズミのようだ。12躯のうち、ひときわ大きく、生身の人間に近い風貌の巳神だけは伝承のまま。巳時生まれの実朝との関係が指摘されているという。

 常福寺の不動明王像及び両脇侍像(矜羯羅・制吒迦)は、三者そろって丸顔で愛らしかった。このほか、ポスターやチラシには、満昌寺の三浦義明坐像と無量寺の聖観音菩薩坐像の写真があったのだが、どちらも7月31日まででお帰りになっていたのは残念だった。三浦義明坐像(5月に鎌倉歴史文化交流館で拝見した)の写真には「一期一会の心でお待ち申し上げております/満昌寺宗寛」という手書きのメッセージが添えてあった。

 仏像以外は、衣笠城址や永福寺跡からの出土品、浄楽寺本堂の壁面に描かれた『釈迦三尊図』(戸川雪貢筆、天保8年)など。三浦義勝の末裔とされる永島家に伝来した文書資料も面白かった。最後に、常福寺・浄楽寺・清雲寺・曹源寺・大善寺・満願寺・満昌寺・無量寺の8か所の案内パネルが掲げてあった。展覧会のサイトには「三浦一族ゆかりの地散策マップ」(PDF版)も用意されている。大河ドラマがもう少し佳境に入ったら、ぜひ巡礼してみたい。あと、いま気づいたのだが、いずれかのお寺の御朱印(日付は問わない)を提示すると、観覧料が半額(500円)になるサービスがあったみたい。これは嬉しい企画。浄楽寺の「限定御朱印」持っていけばよかった!

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30年の歳月/映画・ジュラシック・ワールド新たなる支配者

2022-08-05 19:48:49 | 見たもの(Webサイト・TV)

○コリン・トレボロウ監督『ジュラシック・ワールド新たなる支配者』(TOHOシネマズ日本橋)

 話題作をさっそく見てきた。設定は、前作『炎の王国』から4年後。ロックウッド邸を抜け出した恐竜たちは、世界中に生息地を広げてしまった。バイオ企業のバイオシン社は、イタリアの山中に恐竜たちのサンクチュアリを設置し、保護と研究を進めていた。

 オーウェンとクレアは、カリフォルニア山中の山小屋にクローン少女であるメイジーをかくまって暮らしていた。森の奥には、ヴェロキラプトルのブルーと、ブルーが単性生殖で産んだベータが住んでいた。ある日、メイジーとベータは、ともに密猟者に拉致され、地中海のマルタ島を経て、バイオシン・サンクチュアリへ連れていかれる。オーウェンとクレアは、運び屋のケイラの操縦する飛行機でこれを追った。

 同じ頃、アメリカ中西部では、巨大イナゴの大群に穀物畑が食い荒らされる被害が多発していた。しかし、なぜかバイオシン社の品種だけは被害を受けない。疑念を抱いた古植物学者のエリー・サトラーは、旧知の古生物学者アラン・グラントに協力を求める。二人は、バイオシン社に在籍するマルコム博士の仲介を得て、サンクチュアリ地下の研究施設に潜入する。

 そして、二組の潜入者は、それぞれ目的を達するものの、サンクチュアリに大火災と大混乱を引き起こし、恐竜たちが大暴れする事態になる(お約束)。バイオシン社のCEOドジスンは、自分の利益だけを確保して逃亡しようとするが、恐竜に阻まれる(お約束)。

 メイジーは、バイオシン社で出会ったウー博士から、早世した母親シャーロットの話を聞く。シャーロットは優れた遺伝学者で、自分の遺伝病を修正したクローンであるメイジーをこの世に残した。巨大イナゴの災厄を創り出してしまったウー博士は、その誤りを修正するために力を貸してほしいと懇願し、メイジーはこれを受け入れる。ウー博士は、オーウェンらとともにサンクチュアリから退避。そして、悪人たちは一掃され、人類と恐竜が本格的に「共存」する世界が到来した。まあ、めでたしめでたしと言ってよいのか、ひとまず調和的な終わり方だった。

 私は、1993年の『ジュラシック・パーク』第1作を劇場で見た世代である。そんなに好きな映画ではなかったはずだが、繰り返しテレビ放映を見るうちに、このシリーズのファンになってしまった。今でもどちらかといえば『パーク』シリーズのほうが好きなので、本作に『パーク』のサトラー博士とグラント博士が登場したのはとても嬉しかった。当たり前だが、二人ともきちんと年を取っていた。第1作では、けっこういい雰囲気になった二人だが、その後は別々の人生を歩んできて、30年ぶりに再会という設定がまたよい。第1作では活躍の場が少なくて、なんのためのキャラクターか分からないという批判もあったマルコム博士が、ファンに愛され続けているのも面白い。

 しかし最終回答は、人類と恐竜の「共存」かあ…。第1作の恐竜は、完全に人智を超えた存在、善悪の彼岸の怪物(モンスター)で、人間が安全を保つには「住むところを分ける」以外の解決策はなかった。それが『ワールド』では調教可能になり、人間くさい表情を見せ、視聴者の感情移入を許すようになる。生臭い血の匂いのする恐怖シーンはすっかり減り、派手なアクション、高度なSFXを安心して楽しめる作品になってしまった。夢物語の「共存」で美しく幕を引くのは、いまの時代に人々が求めるものの反映かなと思った。私はもう一回、第1作が見たくなった。

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懐かしい風景/香港ミニチュア展(KITTEアトリウム)

2022-08-04 16:30:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇KITTEアトリウム『香港ミニチュア展』(2022年7月28日~8月7日)

 香港特別行政区の設立25周年(つまり香港返還25年)を記念する展覧会(無料)。香港の街並み、伝統文化、日常生活などを表現した40のミニチュア作品を展示する。ひとりの作家の作品ではなく、100人以上のチームにより制作されたものだという。

 香港には、一度だけ行ったことがある。返還前だったか直後だったか。またすぐ行きたいと思いながらそれきりになってしまったので、近未来的な建築の立ち並ぶ現在の風景は、あまり記憶にない。

 私は香港には一度しか行っていないが、中国の他の都市、台湾、シンガポール、マレーシアなど華人の多い地域に、過去30年くらいの間、何度か行っているので、こういう何気ない風景が懐かしくて、心に刺さる。

 ランタン屋さんは、ベトナムのホイアンで見たなあ。

 中国の街角や市場の食料品店は、だいたいどこもこんな感じ。

 中華圏なのにパイやクッキーが美味しい!と驚いたのは、シンガポールの思い出。

 これは香港のおもちゃやさんだが、日本のキャラクターグッズがふつうに並んでいる。私の子供の頃、昭和の東京の下町にも、こんな雰囲気のおもちゃやさんがあった。

 本展は、香港特別行政区政府・駐東京経済貿易代表部(香港経済貿易代表部)の主催とのことで、安全安心な香港をアピールする、政治的意図もあるのだろうが、それはそれとして楽しかった。旅行できるようになったら、香港にもまた行きたいなあ。

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京都工芸の近代/津田青楓:図案と、時代と、(松濤美術館)

2022-08-02 23:10:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

渋谷区立松濤美術館 『津田青楓:図案と、時代と、』(2022年6月18日~8月14日)

 明治30年代に京都で多くの図案集を出版し、大正時代には夏目漱石(1867-1916)の本の装幀も手がけた津田青楓(1880-1978)を軸に、図案集と図案に関する作品を紹介する。津田青楓については、2020年の練馬区立美術館『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』も記憶に残る展覧会だったが、本展はまた異なる切り口で構成されていた。

 第1会場(3階)では、青楓初期の図案集から装幀の仕事を紹介する。その中に、いかにも江戸琳派ふうというか、神坂雪佳ふうの作品があるなと思って見ていたら、そもそも青楓は「当時神坂雪佳なる人の図案世にもてはやされければ、われこれしきのこと、かけぬことなし」と思い立って二条寺町の本屋に持ち込んだ図案集を、本屋の主人が気に入って買い取り、出版に至ったのだという。

 それから青楓はパリに留学し、ヨーロッパの美術やデザインを学び、個性と創意にあふれたデザイン=図案作品を次々に創り出していく。フランス刺繍もあり、朝鮮民画のような描き更紗もあり。小宮豊隆の言葉「津田にとつては、かきたい時にかきたい事をかきたい様にかいてゐさへすれば、それが日本画になつてゐやうが西洋画になつてゐやうが、画になつてゐやうが図案になつてゐやうが、そんな事はどうでも可い事なのである」は、とても腑に落ちた。そして、やはりこの時期(明治・大正)の青楓の仕事といえば装幀、特に漱石本の装幀である。年長の漱石との気の置けない交流の跡を示して、第1会場は終わる。

 第2会場(地下1階)は、青楓が生まれ育った京都における「工芸の革新」に焦点をあてる。たとえば京友禅の呉服店でも、職人の仕事とされてきた図案制作が、明治中期には画家が積極的に携わる仕事に変化していった。展示ケースに並んだ、江戸時代の小袖見本帳『ひいながた』や明治の図案集は、呉服店(株)千總の所蔵品で、ものによっては「貴」(貴重資料)のラベルが貼ってあった。『若冲図譜』は千總の所蔵品ではなかったが、明治の京都工芸界では図案集として参照されていたという指摘が面白かった。

 京都工芸繊維大学からも多数の資料が出品されていた。そうか、前身は京都工業専門学校と京都繊維専門学校なのだな。明治末年にフランス留学から帰国した浅井忠は、京都高等工芸学校で後進の育成に当たった。京都工芸繊維大学美術工芸資料館は、当時の生徒作品(図案や絵画など)を多数所蔵しているようだ。

 浅井忠の図案を数々の蒔絵作品に仕立てた蒔絵師・杉林古香は、津田青楓の古い友人・浅野古香の別名である。このへん、練馬区立美術館の展示でも、当然、取り上げられていたはずだが、すっかり忘れていた。また、青楓の日本画の師匠は、京都美術学校(現・京都市立芸術大学)の教諭になった谷口香嶠(たにぐち こうきょう)である。京都市立芸術大学芸術資料館から、香嶠の購入した「書籍費及参考品費精算書」が出ていて、アーカイブ好きには興味深かった。

 青楓の図案集出版を手伝った寺町二条の本屋は「山田芸艸堂」である。のち「本田雲錦堂」と合併して、現在の芸艸堂(うんそうどう)に至る。本展には、芸艸堂所蔵の貴重資料も多数展示されている。このほか、笛吹市青楓美術館(青楓と親交のあった歴史研究家が設立)、佐倉市立美術館(浅井忠は佐倉出身)、漱石山房記念館、京都国立近代美術館など、官民のさまざまななアーカイブ、ミュージアムの資料が集められているのを感慨深く眺めた。

 しかし、漱石没後も青楓は長い長い激動と苦難の時代を生き続けるのだ。そのことをあたらめて思い出した。彼は、晩年は図案の仕事をしていたんだっけ? どうだったかな。

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2022年6-7月@東京:展覧会拾遺

2022-08-01 22:28:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

日比谷図書文化館 特別展『鹿島茂コレクション2「稀書探訪」の旅』(2022年5月20日~7月17日)

 稀書コレクターとして著名な鹿島茂氏。本展は、ANA機内誌『翼の王国』に連載された「稀書探訪」全144回に採り上げられた書籍や資料を総覧する。パリの景観図や風俗図など、以前、練馬区立美術館の『19世紀パリ時間旅行』で見たものもあったが、カラフルな絵本や児童書、四コマ漫画などもあって面白かった。窒息しそうな圧倒的なボリュームは、いかにも本好きと図書館員のつくった展示空間で好感が持てた。

五島美術館 『館蔵・近代の日本画展』(2022年5月14日~6月19日)

 風景画を中心に、明治から昭和にかけての近代日本を代表する画家の作品約40点を展観。数では横山大観と川合玉堂が圧倒的に多かったのは、五島慶太の、あるいはその時代の趣味だろうか。個人的には、小川芋銭の『夕風』とか、小林古径の『柳桜』とか、小茂田青樹の『梅さける村』とか、ほのぼのした風景が好き。玉堂はやっぱり巧いと感じる。平台の展示ケースでは、宇野雪村コレクションの文房具が展示されていて、筆・紙・墨・硯の文房四宝だけでなく、文鎮や水滴、筆筒、筆架などの取り合わせが楽しかった。

五島美術館 『館蔵・夏の優品展:動物の饗宴』(2022年6月25日~7月31日)

 絵画や工芸、考古資料などに表されたキュートな動物のかたち約60点を紹介する。しかし、いきなり『沙門地獄草紙断簡・火象地獄図』(平安時代)が展示されていたのだが、堕落僧を蹴散らし、食いちぎり、血走った目で暴れ狂う火象(恐竜みたいだ)は「キュート」なのか? 『駿牛図断簡』(鎌倉時代)は、江戸時代の模本から、もと10頭の牛と1人の牛飼を描いたものと分かり、これは9番目の牛であるとのこと。顔が小さく、頸や肩の筋肉が逞しくて強そう。絵画では、橋本関雪『藤に馬』が実は好き。今尾景年『真鶴図』は、ふわふわした白い羽がリアルな上に目が怖い。形を崩したポーズもよい。逆に、金島桂華の『鶴』は完璧なポーズに惚れ惚れした。展示室2「江戸時代の言葉遊び」は、地口、なぞなぞ、はんじもの尽くし。ゆっくりした気持ちで味わうと楽しい。

文化学園服飾博物館 『型染~日本の美』(2022年6月15日~8月4日)

 小紋、板締、型友禅など、さまざまな型染の服飾を紹介する。日本の型染は、型紙の登場によって世界で類を見ないほどに発達した。量産に向く型染は、日常着に多用され、幅広い人々に愛用された。確かに江戸後期の日常着といえば型染の浴衣である。手ぬぐいや半纏も。近代には化学染料を用いた型友禅の技法が開発され、庶民の女性たちにも華やかな友禅染めの着物が広がる。大正・昭和前期のモダン柄の友禅も面白いが、やっぱり驚くのは、複数の型紙を重ね合わせることで複雑な文様を生み出す職人芸。数学的な頭脳がないとできないと思う。

台東区立書道博物館 企画展『美しい楷書-中国と日本-』(2022年6月28日~10月23日)

 中国で楷書が完成するまでの過程を時代ごとに紹介するとともに、日本の楷書作品もあわせて展示する。久しぶりに同館を訪ねて、展示解説を読んでいるうちに、北朝では激しい楷書、南朝では穏やかな楷書が生まれ、隋唐でこれが融合する、という見取図が頭によみがえってきた。2010年の『墓誌銘にみる楷書の美』や2019年の『王羲之書法の残影』で教えてもらった見取図である。私は隷書好きだが、欧陽詢の『九成宮醴泉銘』は文句なくよいと思う。「楷書の極則」と呼ばれるそうだ。徽宗の『張翰帖跋(三希堂帖所収)』は長文で、痩金体の魅力を堪能した。林則徐の文字に「いかにも官僚らしい」という解説がついていたのには苦笑した。確かに細かくて読みやすい字が書けなければ、科挙に合格できず、官僚としてのスタートラインに立てないのだ。でも偉くなると大字の揮毫も求められるから、さらに大変だろうな。

 「三国志ではチョイ役、書道の大物」という解説つきで鍾繇の作品が出ていたのは個人的に嬉しかった。中国ドラマ『軍師連盟(軍師聯盟)』にも登場する、鍾会のお父さんである。日本の楷書には、不折の書を愛した森鴎外の作品も出ていた。

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