見もの・読みもの日記

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清末の実務官僚/李鴻章(岡本隆司)

2011-12-05 01:49:54 | 読んだもの(書籍)
○岡本隆司『李鴻章:東アジアの近代』(岩波新書) 岩波書店 2011.11

 岩波新書の新刊棚に「李鴻章」の文字を見つけた時は、嬉しいのと驚いたのと(あり得ない!)で、声を上げそうになった。著者は言う、日本人の中国認識はかなり偏っている。諸葛孔明は知っていても、李鴻章を知らない現代日本人は少なくあるまい、と。全くそのとおりだと思うが、私は、かなり異例な現代日本人で、年来の李鴻章ファンなのだ。何しろ、今夏の中国旅行では、李鴻章の墓苑を訪ねようとしたくらいである。

 本書の叙述に従い、年譜ふうに紹介すると、李鴻章(1823-1901)は、清朝末の軍人政治家。安徽省出身。郷試合格後、23歳のとき、湖南省出身の曽国藩(李鴻章の父と進士合格の同期だった)に師事する。ある意味、この縁が李鴻章の生涯の半ばを決めてしまった、というのは、本当にそうだな、と思った。曽国藩の幕僚となって、太平天国、ついで捻軍の平定に功をあげる。この間、曽国藩の湘軍に倣って淮軍を組織する。

 曽国藩の湘軍が、太平天国との死闘によって精鋭を失い、末期には極度の財政難に陥って、解散を余儀なくされたのに対し、富裕な江南デルタを戦場とし、ドル箱・上海を掌中にした李鴻章は次第に主役の座にのぼっていく。1870年の天津教案(外国人襲撃事件)の処理を、曽国藩から引き継いだことが、その転機となる。

 以後の李鴻章は、子飼いの軍事力(淮軍、北洋艦隊)を背景に、次々清朝にふりかかる外交的な難題を、獅子奮迅の働きで捌いていく。清朝宮廷は、公式には総理衙門という機関を設けて外政に当たらせようとしたが、端的に言ってしまえば「財力」も「兵力」も持たない総理衙門では、責任ある回答をすることができず、結局、諸外国は李鴻章となら交渉ができることを見抜き、彼を「事実上の外務大臣たらしめた」って、面白いなあ、この表現。

 1873年、日清修好条規の締結。台湾、琉球問題。朝鮮半島の動乱と天津協約。西北のムスリム反乱をめぐる「海防」「塞防」論。ベトナムと清仏戦争。そのいずれにも、李鴻章は関わっている。とりわけ、東アジアの近代は、李鴻章がこだわった「邦土=邦(朝鮮・琉球などの属国)+土(中国各省)」体制が実質的に崩壊し、新たな体制に組みかえられていく過程に他ならない。最後の旧体制人・李鴻章の言葉を注意深く聞くことによって、「属国」とは何であったかを知ることができる。

 著者は、最後に曽国藩の評を引いて、李鴻章は、官僚として仕事することが面白くて「命がけで」官僚をつとめた人物である、と述べている。「官僚として」というのは、高邁な理想やイデオロギーとは縁が薄く、せいぜい一歩先か半歩先を見越して動いていたということだと思う。だから、孫文や梁啓超のように、後世に思想的な影響を与えることもなく、歴史家に取り上げられることも少ないのだろう。けれども、凡百の官僚と比べれば、その「一歩先」は十分に過激思想だった。科挙の中に「洋務」コースを作るとか、各省に「洋学局」を設けるとか、後世から見れば微温的すぎる建議も、伝統世界を一歩も出ない士大夫たちから激烈な非難を浴びたという。そりゃあ「くさる」よなあ…。

 西北地域の経営について、乾隆帝の新疆平定以来、多額の労力と金銭を費やしながら何の利もあげてこなかったことを指摘し、反乱政権を承認して朝貢させようとしたこと、これはかなり革新的なシフトチェンジだったと思うが、実現はしなかった。また、日本が、中国の脅威となり得ることを早くから認識し、「(日本を)西洋人に『外府』として利用させてはならない」と語っている。これらは「一歩先」のように見えて、結果的に、21世紀の今日まで積み残された問題である。後者の指摘なんて、思わず「西洋人」に「アメリカ」を代入して読んでしまった。

 1895年の下関条約、1901年の辛丑条約(北京議定書)の調印。わが李鴻章は(著者にならってこう呼ぼう)最後まで自分のツケは自分で払った。それが大政治家の自負というものかもしれない。

 およそ文学的な要素がない、という李鴻章の生涯だが、私は本書から2つの印象的なエピソードを知った。ひとつは佐藤春夫に「李鴻章」と題した小説があること。堀口大学の父である若き外交官・堀口九萬一の眼に映った李鴻章を描いたものだという。詳しい内容は紹介されていないが、「なるほど、李鴻章の人あしらいというのは、こういうものなのか」という著者の感想が気になる。読んでみたい。

 それから、以下は李鴻章76歳の挿話。進士同期合格の知人に「翰林院に入って宰相の肩書もありながら、文事にたずさわる役職につけない」ことを揶揄され、激怒して杖で殴りかかったという。富貴・権勢を極め、「事実上の外務大臣」であった李鴻章だが、公式には一地方官に過ぎなかった。そのコンプレックスは、生涯、彼についてまわった。自負とともに悔いの残る人生。こういう成功者らしからぬところが好きなんだな、私は。

※李鴻章の郷里訪問の顛末は、こちら

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