中国は全土で統一時間を用いているため、西に移動するほど日の出が遅い。朝の7時半を過ぎるとようやく空が白み始めた。麗江古城は、いわゆる伝統中国の町と根本から異なっていて、城壁がなく、碁盤の目のように整然とした大通りもない。ホテルの窓から眺めると、ごちゃごちゃした瓦屋根の重なりは、子供が崩した積み木遊びのあとのようである。
4人で早朝の古城散歩に出かける。まだ観光客相手の商店が扉を閉ざしているため、静かな古城の面影が戻っている。いかにも働き者らしい、早起きのナシ族の女性たちが、しょい籠を背中に軽快な歩調で石橋を渡っていく。迷路のような路地に難渋しながら「四方街」と呼ばれる中央の広場に出て、このツアーの予定に入っていない「木府」(麗江一帯を治めていた木氏の邸宅)を目指したが、道に迷って野外マーケットに出てしまい、挫折してホテルに戻る。
この日は郊外の景勝地めぐり。昼近くに虎跳峡に到着した。まず昼食にしましょうと言われて、食堂に入ったが、日のあたらない室内は信じられないほど寒い。木製の椅子が氷のようだ。服務員さんが洗面器に炭を起こして持ってきてくれたので、「その炭、テーブルの下に入れてみよう」と提案。「大丈夫かな」と言いながら、テーブルの下にそろそろと洗面器を蹴り入れてみると、コタツ効果で足元は次第に暖まってきた。しかし、テーブルの上は相変わらずで、熱さが命の中華料理が、運ばれてくるそばから急速に冷めていく。
それでも食事が終わるとなんとか人心地がついた。散策路を歩いて、大峡谷の絶景を楽しむ。周囲の山肌は、全て大理名産の“大理石”である。対岸の山影が鏡のような水面にはっきり映っていて、しかも鉄塔がちょうど3基、水面に影を落としているので、今さらながら「倒影公園だ~」と負け惜しみのような見立てをしてみる。
続いて、金沙江(長江の支流のひとつ)をさかのぼり、丸い石碑のある石鼓村と、長江第一湾を訪ねる。ここは諸葛孔明やフビライが雲南攻めの際に渡河した場所と言われている。帰路、ナシ族の伝統家屋を利用したレストランに寄り、ナシ族の婚礼料理を食す。主菜はやっぱりトリのスープと焼きザカナ。人懐っこい小犬が室内をとびまわっていた。
そのあと、ホテルに戻り、前日にリクエストしておいたナシ古楽を聴きに行く。音楽院の入口にはインディアンの大酋長のような華麗なローブを身につけた老人が座っている。トンパ舞の名人だという。いかめしい風貌に似合わず、気軽に撮影に応じてくれる。これは麗江の観光資源全体に言えることだが、格調とサービス精神が、比較的破綻なく同居しているところがおもしろい。
終演後、四方街の広場では、生演奏の楽曲に合わせて大勢の人が輪になって踊っていた。街灯のない樹の下に可憐な灯りが集まって揺れていると思ったら、ナシ族の礼服姿の女性が、蓮花のかたちの灯籠を露台に並べて喜捨を待っている。灯籠を水路に浮かべて新年の幸福を祈る慣わしらしい。我々もナシ族になったつもりで、大歳の祓えを試みる。そのあと、朝の散歩で挫折した木府を目指し、どうやらそれらしいところに着いたのだが、修復工事中の木府は真っ暗。フラッシュを焚いても鉄骨製の足場の写真しか撮れなかった。
そろそろ店も閉まり始めたので、ホテルに戻って新年を迎えることにする。年越しビールが欲しいところだが、栓抜きをどうするか。ビールを見つけた店で(栓抜きって「瓶起子」だったかな?)手振りを交えて「売っているか?」と聞いてみると、「ああ、開瓶起(カイピンチー)」と分かってくれたが、答えは「没有(ない)」。道すがら、別の店を覗いてみたり、聞いてみたりするが、見つからないまま、ホテルが近づく。
ここが最後かなあと思いながら、「小超市」(ミニ・スーパー)の看板を出している食品主体の小売商店で、仲良く並んで店番をしている夫婦らしい男女に尋ねてみると、「どんなお酒を飲むのか?」と聞き返される。いや、ビールはもう買ってあるので栓抜きだけ欲しいのだ、と説明すると、そこにあるから使っていいよ、と柱の釘にヒモでぶらさげてある栓抜きを示された。恐縮しながら、親切に甘え、その場でビール4本を開けさせてもらう。お礼代わりにその店で、つまみの乾きもの少々と雲南赤ワイン1本を購入。ビールは注意深く抱きかかえてホテルに戻った。
日本には「大歳の客」と称される説話パターンがある。大晦日の晩は、客人神(まろうどがみ)があやしい乞食に扮して家々を訪ね歩くので、これを親切にもてなした家は福をつかむというものだ。我々もあの夫婦に福を呼び込んであげられるとよいのだが。零時をまわり、遠い爆竹の音を聞きながら、就寝。
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