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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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雲南旅行2003-04【5日目】麗江

2003-12-31 15:59:21 | ■中国・台湾旅行

 中国は全土で統一時間を用いているため、西に移動するほど日の出が遅い。朝の7時半を過ぎるとようやく空が白み始めた。麗江古城は、いわゆる伝統中国の町と根本から異なっていて、城壁がなく、碁盤の目のように整然とした大通りもない。ホテルの窓から眺めると、ごちゃごちゃした瓦屋根の重なりは、子供が崩した積み木遊びのあとのようである。

 4人で早朝の古城散歩に出かける。まだ観光客相手の商店が扉を閉ざしているため、静かな古城の面影が戻っている。いかにも働き者らしい、早起きのナシ族の女性たちが、しょい籠を背中に軽快な歩調で石橋を渡っていく。迷路のような路地に難渋しながら「四方街」と呼ばれる中央の広場に出て、このツアーの予定に入っていない「木府」(麗江一帯を治めていた木氏の邸宅)を目指したが、道に迷って野外マーケットに出てしまい、挫折してホテルに戻る。

 この日は郊外の景勝地めぐり。昼近くに虎跳峡に到着した。まず昼食にしましょうと言われて、食堂に入ったが、日のあたらない室内は信じられないほど寒い。木製の椅子が氷のようだ。服務員さんが洗面器に炭を起こして持ってきてくれたので、「その炭、テーブルの下に入れてみよう」と提案。「大丈夫かな」と言いながら、テーブルの下にそろそろと洗面器を蹴り入れてみると、コタツ効果で足元は次第に暖まってきた。しかし、テーブルの上は相変わらずで、熱さが命の中華料理が、運ばれてくるそばから急速に冷めていく。

 それでも食事が終わるとなんとか人心地がついた。散策路を歩いて、大峡谷の絶景を楽しむ。周囲の山肌は、全て大理名産の“大理石”である。対岸の山影が鏡のような水面にはっきり映っていて、しかも鉄塔がちょうど3基、水面に影を落としているので、今さらながら「倒影公園だ~」と負け惜しみのような見立てをしてみる。

 続いて、金沙江(長江の支流のひとつ)をさかのぼり、丸い石碑のある石鼓村と、長江第一湾を訪ねる。ここは諸葛孔明やフビライが雲南攻めの際に渡河した場所と言われている。帰路、ナシ族の伝統家屋を利用したレストランに寄り、ナシ族の婚礼料理を食す。主菜はやっぱりトリのスープと焼きザカナ。人懐っこい小犬が室内をとびまわっていた。

 そのあと、ホテルに戻り、前日にリクエストしておいたナシ古楽を聴きに行く。音楽院の入口にはインディアンの大酋長のような華麗なローブを身につけた老人が座っている。トンパ舞の名人だという。いかめしい風貌に似合わず、気軽に撮影に応じてくれる。これは麗江の観光資源全体に言えることだが、格調とサービス精神が、比較的破綻なく同居しているところがおもしろい。

 終演後、四方街の広場では、生演奏の楽曲に合わせて大勢の人が輪になって踊っていた。街灯のない樹の下に可憐な灯りが集まって揺れていると思ったら、ナシ族の礼服姿の女性が、蓮花のかたちの灯籠を露台に並べて喜捨を待っている。灯籠を水路に浮かべて新年の幸福を祈る慣わしらしい。我々もナシ族になったつもりで、大歳の祓えを試みる。そのあと、朝の散歩で挫折した木府を目指し、どうやらそれらしいところに着いたのだが、修復工事中の木府は真っ暗。フラッシュを焚いても鉄骨製の足場の写真しか撮れなかった。

 そろそろ店も閉まり始めたので、ホテルに戻って新年を迎えることにする。年越しビールが欲しいところだが、栓抜きをどうするか。ビールを見つけた店で(栓抜きって「瓶起子」だったかな?)手振りを交えて「売っているか?」と聞いてみると、「ああ、開瓶起(カイピンチー)」と分かってくれたが、答えは「没有(ない)」。道すがら、別の店を覗いてみたり、聞いてみたりするが、見つからないまま、ホテルが近づく。

 ここが最後かなあと思いながら、「小超市」(ミニ・スーパー)の看板を出している食品主体の小売商店で、仲良く並んで店番をしている夫婦らしい男女に尋ねてみると、「どんなお酒を飲むのか?」と聞き返される。いや、ビールはもう買ってあるので栓抜きだけ欲しいのだ、と説明すると、そこにあるから使っていいよ、と柱の釘にヒモでぶらさげてある栓抜きを示された。恐縮しながら、親切に甘え、その場でビール4本を開けさせてもらう。お礼代わりにその店で、つまみの乾きもの少々と雲南赤ワイン1本を購入。ビールは注意深く抱きかかえてホテルに戻った。

 日本には「大歳の客」と称される説話パターンがある。大晦日の晩は、客人神(まろうどがみ)があやしい乞食に扮して家々を訪ね歩くので、これを親切にもてなした家は福をつかむというものだ。我々もあの夫婦に福を呼び込んであげられるとよいのだが。零時をまわり、遠い爆竹の音を聞きながら、就寝。

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雲南旅行2003-04【4日目】大理→麗江

2003-12-30 15:52:08 | ■中国・台湾旅行

 剣川石窟を経由して麗江へ向かう。大理を離れる今朝になって、初めて空がカラリと晴れ上がった。白い冠雪をいただいた蒼山の峰々が全貌を現すと、風景の風格が急にひとまわり大きくなって、日本の水郷から、ヨーロッパのアルプスに転じる。

 昨日、「大理名物の三道茶を飲みたい」とリクエストしたので、再び周城に立ち寄り、白族の芸能パフォーマンスを見ながらお茶をいただく。三道茶とは「苦い」「甘い」「回味(ショウガ味)」の3つの味を順番に楽しむもので、なかなか乙であった。

 ドライブインで干し梅を買ったり、道端の露店で大量の梨を仕入れたりしながら、車は進む。道の両側は耕作地だが、大規模集約型農業ではなく、個人農家が多品種を作ったり、同じ品種でも収穫時期をずらして作付しているのではないかと思う。そのため、風景に変化と陰影があって面白い。菜の花もちょうど盛りで、春の信濃路ドライブという風情である。

 峠の小さな食堂で昼食。主菜は「トリにしますか?サカナにしますか?」と聞かれたので「トリ」を選ぶ。テラス席から外を眺めていると、店の前に座り込んでタライで包丁を洗っていた人影のところに、よく肥えたニワトリを逆さにぶら下げた者が近づいていく。その場で手際よくサバかれたニワトリは、圧力鍋に入って厨房に消えていき、数十分後には我々のテーブルに供せられた。トイレに立ったISさんが戻ってきて「ブタもいますよ」と報告する。

 剣川石窟に到着。名品の多い石鐘山石窟と、谷越えして向かい側の獅子関石窟を見学する。雲南の古仏は力強く神秘的で日本なら東北仏のような面白さがある。

 麗江市の県境を前にして、大理のガイドの尹さんとはお別れ。反対車線に止まっているミニバスに乗り換えて、大理に戻る尹さんに、経理担当の池浦さんがチップを渡す。明日からの休暇(蒼山に登って初日の出を見る計画とか)に気もそぞろだった尹さん、満面笑顔で降りていったが、「あ!」と気がつくと、せっかく買った大量の梨を袋ごと車中に忘れて行ってしまった。

 あとは麗江を目指すだけだったが、突然、大渋滞に巻き込まれる。前方の石油スタンドに集まった車が引き起こした渋滞だと言う。バスの乗客は下車して散り散りに歩き始めるし、小型車の中には無理やりUターンして去っていくものもあったが、中型車以上は全く動きが取れない。結局1時間近く立ち往生の末、公安の交通整理で動き出す。

 日が落ちると、街灯のない田舎道は真っ暗になった。自分の車のヘッドライトに照らし出された範囲の外は何も見えない。それでも何とか運転できるのは、街路樹の根元に塗られた白いペンキが、進行方向を誘導してくれるためである。この中国名物の白ペンキ(夜間の事故防止説と虫除け説がある)、昨今の大都会では用無しになっているようだが、田舎道ではまだまだ効果を発揮している。

 夜半、麗江に到着。待ちかねていたガイドの葉さんに迎えられる(若い女性。日本人ガイドの手配がつかず、中国語しか喋れないガイドさんであった)。ホテルから徒歩で古城内のレストランに夕食に出かける。曲がりくねった石畳の路地、石組みの水路は、想像どおりの風情だったが、到るところにレストランやおみやげ屋が立ち並び、流れる水に色とりどりの照明を映している。もう遅い時間というのに、カフェでくつろいだり、そぞろ歩く人の姿が絶えない。なんだか、城埼温泉あたりの雰囲気である。

 納西(ナシ)族の鍋料理を食し、今日はおとなしく就寝。男性陣から「そっちの部屋は寒くないですか?」と聞かれたときは風呂上りだったので「そお?」と答えたが、気がつくと確かに寒い。用心のため、ベッドカバーを上掛けにして寝たが、同室のNMさんは明け方の冷え込みで目が覚めてしまったとか。

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雲南旅行2003-04【3日目】大理

2003-12-29 15:47:04 | ■中国・台湾旅行

 空が明るいにもかかわらず、引き続き、雨。IKさんは物売りのおばさんから折りたたみ傘を買う。これで晴れるかな?と期待したが、結局、夕方まで天気雨が続いた。「よっぽど大勢のキツネが嫁入りする日なんだろうなあ」とIKさん。古城内にある大理市博物館を見学のあと、新市街に移動して、州の博物館を見学。昼食はタイ族料理。くりぬいたパイナップルに詰めた赤米のおこわや、もちもちした揚げドーナツが美味しい。主菜はトリとサカナである。

 南詔徳化碑、元世祖平雲南碑の2つの石碑を見たのち、周城という村で藍染めを見学。景勝地の胡蝶泉では、要所要所に白族の民族衣装を着た女の子たちが待ちかまえており、観光客が通りかかると、集団でポーズを決めて「お客さん、一緒に写真を撮りましょう~」と愛嬌をふりまく。もちろん商売。

 喜洲という村で白族の古い家並みを見て歩く。内部見学を許された伝統家屋は、地元の画家が個展を開いていた。会場案内のおばさんは、我々に絵を買っていけ、とさかんに勧める。ガイドの楊さんまで勧められて「要らない」と断ると「あんた、中国語うまいねえ」「私、中国人です」と会話しているのが耳に入る。「困っちゃうなあ」と日本語でつぶやき、苦笑する楊さん。

 夕食は再び大理古城の洋人街へ。連れていかれたのは「漢城(Seoul)」という韓国料理店。尹さんとひげのマスターは韓国語で会話している。尹さんは、中国の北端、黒龍江省の出身だそうなので、韓国(朝鮮)語には比較的馴染んでいるのかも知れない。一方、マスターは韓国の公務員だったが、途中退職し、理髪師をしながら世界各国を放浪した末、大理に落ち着いてレストラン経営を始めたそうである。

 ガイドさんたちは、日本人を喜ばせるなら刺身と考えているらしく、洱海で獲れたという白身魚の刺身が運ばれてくる。実は隣の客の豆腐チゲがうらやましいのだが、仕方ない。食事の最中、突然、店の灯りが消えてしまった。電力不足による停電らしい。しかし、店は慣れた様子で、自家発電装置に切り替え、すぐに復旧した。と思ったのも束の間、自家発電装置の燃料が切れたのか、再び店内が真っ暗になり、各テーブルに蝋燭が配られた。別のテーブルには陽気な西洋人の団体がいて、すかさず「HappyBirthday」を歌い出すなど、大騒ぎ。

 ホテルのロビーはいちおう灯りがついていたが、電力不足のため、エレベーターは使用禁止。5階まで階段を上がる。客室の電力も安定していないらしく、気を許してトイレに入っていると不意に電灯が消えてしまう。中国旅行にはいつも懐中電灯を携帯しているので困らないが、ホテルで使うのは久しぶりのことだ。しかし、街中がこんな状態でも、三塔寺と一塔寺のライトアップが中断されなかったのは不思議である。

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雲南旅行2003-04【2日目】昆明→大理

2003-12-28 15:36:05 | ■中国・台湾旅行

 午後1時まで自由時間。全員で早起きをし、早めの朝食を済ませて街に出る。新聞には広州で「疑似非典(SARS)患者発生」のニュースが報じられている。東寺塔、西寺塔という2つの塔を目指して歩く。周囲には復古調の町並みが作られ、観光開発が進んでいる様子。雲南省博物館の方角に見当をつけて向かったが、清真街(イスラム街)に迷いこむ。原型を留めるヒツジの燻製肉が哀れ。スパイシーな香りの串焼き、丸いパンケーキに混じって、マントウやシュウマイも美味しそうな湯気を上げていた。

 省博物館には「担当書画精品展」という垂れ幕がかかっていた。館内に入って初めて「担当」というのが明清時代の画家の名前であると知る。筆画を極端に省略した淡白な画風が、中国絵画らしくなく、仙崖、南天棒など日本の禅画を思わせて好ましい。

 もうひとつ驚いたのは「江川出土品」の多いこと。出発直前まで知らなかったが、昆明の南方に江川李家山という漢代の古墳群があり、青銅器の一大発掘地であるらしい。中でも、大小2頭の牛とそれに噛み付くヒョウをデザインした青銅器は、昆明市のシンボルになっているそうだ。公園や博物館など、あちこちでレプリカを見たが、現代彫刻と並べても違和感がないほどモダンな造型感覚である。以後、わたくしの本貫(祖先の発祥地)は雲南かもしれない、とひそかに疑っている。

 次はタクシーで昆明市博物館へ。もとは古幢公園と呼ばれ、大理国時代の古幢(経文を刻んだ石柱)がある。入口を入ると、30代半ばのおじさんが近寄ってきた。この博物館はまだ建設中で正式には開館していない、ただし、右側の古幢展示室と左側の文物陳列室は見学可能である、あなたはどちらを見たいか?というようなことを、さらさらと中国語で話しかけられる。

 咄嗟のことで慌てながら、両方見たいです、と中国語で答えると「ニホンジン?」と不審気に訊く。「そうです」と答えると、先方は流暢な日本語に切り替わり、「私はここで日本人のお客さんのために無料のガイドをしています」とのこと。「そちらの3人の方は日本人だろうと思いましたが、あなたは中国人かと思って、中国語で話しかけました」と言う。毎度のことだが「どこで区別されるんだろうなあ」と不思議がられる。ちなみに、このツアー中、ガイドさんの案内でレストランに入ると、4人で着席しているのに、なぜか食器が3客分しか出てこないことが続き、「1人はガイドさんの仲間だと思われてるんじゃないの」という解釈もあった。

 半日のフリー観光を終え、タクシーでホテルに戻る。集合時刻まであと30分弱だが、できれば腹ごしらえをしたい。急いでホテルのレストランに入り、雲南の名物料理「過橋米線」を注文。ぐらぐら煮えた熱いスープと、麺(米線)と具(野菜や薄切りハムなど)が別皿に載って出てきた。テーブル上で麺と具をあつあつスープにくぐらせて賞味するのである。ゴマ油の効いた鶏がらスープが美味で癖になりそう。ロビーにガイドの楊さんを待たせつつ、あわただしく食べ切り、思い残すことなく、昆明を出発。

 しかし、空港のセキュリティチェックで私は大失態に気づく。いつも旅行に携帯する万能ナイフ(ナイフより栓抜きの用途のほうが圧倒的に多いのだが)を、昨夜、ビールを飲むため手荷物に移したまま、忘れていたのだ。数年前までは手荷物にナイフが入っていても何のお咎めも受けなかったが、最近はチェックが厳しくなって、裁縫セットのハサミさえ取り上げられてしまう。日本の航空会社なら「機長預かり」で運んでくれるところだが、中国では、没収もしくは空港預かりの選択肢しかないようである。我々のツアーは帰路も昆明空港を使うことになっていたので、ガイドの楊さんが「帰りに受け取りましょう」と言ってくれる。

 飛行機は正味40分ほどのフライトで大理へ。巨大なゾウリムシのような形の淡水湖、洱海(じかい)のほとり、山の上の空港に到着する。大理のローカルガイドである尹さん(男性)に出迎えられ、専用車で大理古城に向かう。あいにく小雨のパラつく曇り空の下、左手には山頂を雲に覆われた蒼山(そうざん)の連山が迫り、右手は葦の茂る湖畔で、小船を操って漁をする人の姿が見られる。なんとなく、琵琶湖の周辺、たとえば、水郷の町、近江八幡の風景に似ていなくもない。洱海を挟んだ対岸はよく晴れていて、山の稜線が美しい(比叡山みたいだ)。そういえば、短い繁栄を誇りながら、滅んでのち、省みられることの少なかった大理国は天智天皇の大津京を思わせる。人麻呂なら「大宮人の船待ちかねつ」と詠むところだろう。

 ホテルにチェックインのあと、崇聖寺へ。かわいい民族衣装を身につけたガイドのお嬢さんたちが行き来している。崇聖寺の三塔は、大理、いや雲南の観光案内に必ず登場するビューポイントである。西安など大都会の仏塔が今や高層ビルの谷間に埋もれるようにしか存在していないのに比べ、蒼山の大自然を背景に屹立する白亜の三塔には、天と地をつなぐような高度感と威厳が感じられる。

 しかし、この日、雨は次第に激しくなるばかり。崇聖寺の三塔は、倒立した影を池水に映して眺めるのが風流とされているのだが、激しい雨がたたきつける水面には、残念ながら何も映っていなかった。

 冷たい雨を恨みながら、夕暮れの古城内を少し歩く。大理は少数民族である白(ペー)族の居住区域で、白壁の目立つ独特の建築様式が見られる。また、昔から西洋人旅行客が多かったため「洋人街」と呼ばれる一角には、ほかの中国の町にない、無国籍な雰囲気が漂っている。白族料理のレストランで夕食。

 ご存知のとおり、我々の中国ツアーは「高山に登ると雨に遭う」というジンクスがつきまとっている。唯一の例外は(IKさんの不参加だった)山東省の泰山に登ったときだが、それ以外は、五台山、長白山、峨眉山など、ことごとく天候に恵まれていない。しかし、乾季の雲南省、しかも平地でこの雨は?と思ったら、ガイドの尹さんいわく「蒼山は海抜4000メートル級ですが、大理の中心部も実は2000メートル近いんです。泰山(1545メートル)の標高より高いんですよ」と聞いて納得。「我々って泰山が限界なんじゃない?」という新説が生まれたのでした。

 食後、ホテルの売店に寄ったが、寒いのと栓抜きがないのとでビールを避け、白酒(バイチュウ)系の「南詔御酒」を購入する。思ったより飲みやすく、すぐに空いてしまった。つまみは大理名物としてイチ押しの「毛虫パン」。

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雲南旅行2003-04【発端/初日】成田→昆明

2003-12-27 15:30:37 | ■中国・台湾旅行

 数ある中国の名勝地の中で「雲南に行きたい」と思い始めたのはいつごろだったか。1997年に麗江が世界遺産に登録され、衝撃的に美しい古城の写真を見 た頃だったような気もする。どこか日本の宿場町の「古写真」のようなその風景が、現存する中国の町であると知ったときは、二重に意外の感にとらわれた。唐 代の南詔国、宋代の大理国など、中国史の本流からはおよそマイナーな地方政権が存在し、消えていったことにも興味を惹かれた。

 しかし、我々の中国ツアーは休暇の取りやすい8月から9月に企画されるため、中国の最南に位置する雲南(炎暑が予想されるうえ、9月は雨季)は、何度か 候補に上がりながら「行くなら春だよね」と言いわけをつけて避けてきた。だが、暦の関係で休暇が長くなる今年の年末はチャンス到来。いつものメンバーを、さりげなく説きつけ、その気にさせて、ついに雲南遊の決行にこぎつけたのである。

 東京組は朝8時半に成田集合。暗いうちに起き出し、家を出る。都営新宿線が地上に出ると、人家の屋根が白い。東京は、昨夜、初雪に見舞われていたのである。

 広州の空港で関西発のNMさんと落ち合う。4人で国内線ロビーにまわり、昆明に向かうものと思っていたら、「IS様ご一行様」というペーパーを掲げた男 性が近づいてきた。広州中国旅行社のガイドさんで、我々の国内線乗り継ぎをサポートするという。この秋、就職したばかりの新人だそうで、どうやら研修代わ りにこの仕事を命じられたものらしい。

 夕刻、昆明空港に到着。スルーガイドの楊さん(女性)に迎えられる。背が高くてスタイルのいい天然美人。どこでどう日本語を習ったのか「うん、あのね、 ごめんねー」と友だち口調で喋る。

 昆明は雲南省の省都であるが、北京や広州に比べれば片田舎である。街の暗さがなんとなく懐かしくてうれしい。(変化の激しい国なので)5年くらい前の中 国に戻った感じである。ホテルに到着後、買い物に出ると、物乞いが寄ってくるのだが、そんなところも昔の中国ふうで懐かしかった。ビールと乾きものを買っ てきて簡単な夜食とし、最初の夜を終える。

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