日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



 先週末に郷里の村へ帰り,亡父の三三回忌の法要をしてきました。父は60歳9か月で早死にしましたが,私は父の享年を越えることができ,おかげで三三回忌を営むことができました。
 我が家の菩提寺は檀家数が20数軒の小さな田舎寺で,臨済宗妙心寺派の末寺です。昭和の初め以来,伊勢出身の尼僧が住職を勤められましたが,平成8年3月に亡くなられてからは,住職不在の留守寺となりました。20数軒の檀家では,尼僧お独りの質素な生活を支えるのが精一杯で,新たな住職を迎えることができないのです。私の子供の頃,このお寺は村の保育所のような場所で,私達はいつも境内で遊び,和尚さんからお釈迦さまや地獄のお話を聞き,和尚さんの使い走りをし,お駄賃にあめ玉を一個貰うのが楽しみでした。ある夏の夕刻,祖母が作った煮物を盛った鉢を両手に掲げ,日暮しの鳴き声を聞きながらお寺へ走りますと,夕闇の庫裏の土間で,和尚さんが背を向けて行水をしておられました。ビックリして煮物の鉢を上がり框に置くや,何も言わずに逃げ帰りましたが,薄明かりの中で斜め後ろから見たふくよかな胸の和尚さんの姿が,阿弥陀如来のように思えたものでした。このお寺は私の心のふるさとであり,その名を南谷山「瑞月寺」といいます(私のペンネームはこれを無断借用したものです)。
 留守寺となった小さな寺には,小浜市街地にある妙心寺派の大きなお寺の和尚さんが住職を兼務し,檀家の法事を勤めてくれます。裁判官不在の裁判所支部を裁判官常駐支部の裁判官が填補しているのと同じです。住職常駐のそのお寺は「常高寺」といって,浅井長政とお市の方の間の3人娘の真ん中「お初=常高院」ゆかりのお寺です(ちなみに上が秀吉の側室茶々,下が徳川2代目秀忠の正室お江です)。国道27号線を舞鶴向けに後瀬山(のちせやま)トンネルを抜けると右手にあります。後瀬山の頂きには,お初の夫京極高次の最初の居城跡があります。常高寺の和尚さんのお話では,来年が京極高次歿後400年だそうです。(瑞月)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« ジャッジⅡ イタリアの参... »
 
コメント
 
 
 
ご縁がありますね。 (瑞祥)
2008-11-10 23:45:35
 瑞月さんの書き込みを拝見し,瑞月さんとはご縁があるとつくづく思いました。
 私は,滋賀湖北の出で,瑞月さんと同じように,お寺がとても身近で遊び場だった地域に育ちました。滋賀米原以北から福井,石川,富山といった北陸地方はそんな感じですね。瑞月さんのような艶やかな思い出はないのですが,私は,和尚さんにはよく怒られ,日曜日になると,日曜学校と称してお寺参りをさせられるのが小学校時代続きました。お経が退屈だったし,仏教説話が恐ろしかった(地獄の話など)記憶もあります。ただ,そうした少年時代のおかげで,浄土真宗のお経は,今でもそらで唱えることができます。瑞月さんと同じような文化的土壌ですね。
 また,小浜地方と滋賀湖北は,戦国大名でもつながっていますね。書き込みの中の,京極高次の京極家は,浅井家の元主君筋で,浅井家に湖北を乗っ取られてからも,湖北の小谷城に「京極丸」という館がありました。小谷城は,私の高校時代のランニングコースでした。高次もそこで生まれているはずです。お初ももちろん,小谷城で生まれていますよね。この2人は確かいとこの関係にあり,夫婦になって小浜に居住したのですね。お初は,豊臣家と徳川家の和睦に努力したのだと思いますが,姉や妹と比べていまいち名が知られていないのがとても残念です。その京極家の菩提寺が,京極家(近江源氏佐々木家から分かれた家です。)ゆかりの米原市の清滝(旧山東町清滝)というところにあります。丸亀藩に封ぜられてから,父祖の地ということで旧領の一部を願いによって回復したと記憶しています。菩提寺は,あまり人のこないところですが,先祖を思いやった京極家の藩主の想いが込められており,静かでとてもよいところにあります。
 小谷城跡や清滝の菩提寺と同様に,小浜も静かで落ち着いたところですが,アメリカの大統領選と絡んで俄然注目を浴びました。これからは,町おこしの4年ないし8年になるかもしれませんね。次期大統領が来日したときには,小浜に立ち寄るなんてこともあるかもしれませんね。(瑞祥) 

 
 
 
興味深く拝見しました。 (Unknown)
2008-11-11 18:28:08
本文とコメントの両方を興味深く拝見しました。(ムサシ)
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。