日本裁判官ネットワークブログ
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 暮れに,娘が2歳になったばかりの孫を連れて遊びに来た。
 カタコトをしゃべり出した孫は,なんとも可愛い。「ジイジイ」(私のこと)と言われるのがうれしくて,せがまれると,ホイホイと痛い腰を我慢して,公園まで「ダッコ」してしまう。

 部屋で一緒に遊んでいるとき,孫がおもちゃを入れる紙箱を破いてしまった。この歳では,破ることはこの上なく楽しいようだ。思わず「メッ! そんなことをしていると,ママに叱られるよ」とたしなめた。
 すると,そばで聞いてた娘が,即座に「お父さん! 違うよ。ママが叱るからいけない,じゃないよ」と横やりを入れてきた。「紙箱を破ることがいけないのは,使えなくなってダメになるからであって,ママに叱られるからではない」ということだろう。
 昔からひとこと多い娘である。時々,親に説教をする。「そんなこと分かってるわい」。言葉には出さないが,ジイジイは面白くない。

 非行を犯した少年たちと向きあっているときの同じようなシーンを思い出す。「バイク盗がどうして悪いのか」と尋ねられて,「警察に捕まるから」と答える子が結構多いのである。
 「そうかな?」と問い直し,「持ち主に迷惑をかけるから」「被害者に辛い思いをさせるから」という「正解」を引き出そうとする。被害者のことに思い至らず,警察に捕まって損をしたと,それだけで後悔する少年のことを,「内省」が足りないとみてしまう。

 それは,そのとおりであろう。
 しかし,ある鑑別所の技官の書いた本に「わが国の裁判所や鑑別所は,非行少年に対して,余りにも道徳的になり過ぎ,深い内省を求め過ぎている」と警告したものがあった。
 被害者のことに思い至れるように教育することは正しく,また目標でもある。ただ,「警察に捕まる」怖さを感じ,いわば損得で行動を律することも,人間として自然なものであり,決して低くみる必要はない。私ども,通常の大人も,いつもいつも道徳的な決断で行動しているわけではない。(誰もいない夜道で,大金を拾った場合を考えてほしい)。悪いことを抑止する動機には,捕まっては大変だという思いも,決して小さくない。

 昔から,子どもには,悪いことをすると「地獄に行く」とか「鬼にさらわれる」と教え込んできた。「おてんと様が見ている」も,後罰を恐れさせる教えであったろう。想像力を働かせて,悪い報いを心の中に呼び起こすことも,人間が行動を律する時の大切な方法の一つなのである。
 非行を犯す子どもたちの中には,「悪い報い」を想像する力が足りないのではと思われる子も多い(おそらく大人の犯罪者にも)。後先を考えて,損得で行動できるだけでも,立派なものなのだが。 (蕪勢)


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